天主塔の頭の痛い一日(5)
「桂花、こっちこっち」
「・・・・・・」
木々の生い茂る天主塔の庭を先にたって歩く南の太子に手招きされ、複雑な表情で桂花は後に続く。
顔を合わせば、罵詈雑言の嵐。下手をすれば斬妖槍で襲いかかってきかねないという、桂花にとっては天敵に等しい存在の南の太子。
「・・・桂花?」
その南の太子が心配そうに自分を見上げてくるのを見て、桂花はもうこのまま回れ右をしてどこかへ逃げ出してしまいたかった。
(・・・ダメだ・・・。すごい違和感が・・・っ)
順応の早い柢王は入れ替わった二人にあっさりと慣れてしまったようだが、桂花は違う。そんなに簡単に慣れることなど出来ない。まして顔を合わすたびに殺されかねなかった相手ならなおさらだ。中身が違うと判っていても、猛獣の隣にいるような気分だ。いや、猛獣の方がまだましだ。126倍ぐらいましだ。(←どういう基準で126倍なのかは謎。)
「桂花のせいじゃないよ。悪いのは私だ。だから、そんなに気に病むのはやめてくれ」
「・・・申し訳ありません・・・・・・」
すまない気持ち半分、南の太子の困った表情をこれ以上見ないするようにすること半分で桂花は頭を下げた。入れ替わった原因が自分にあり、中身が恩も義理もある守天である。でなければとっくに逃げ出している。
今の桂花は逃げ出さないようにするためのみに、理性へ総動員発令中だ。他の事に気が回らない。
ゆえに言葉や動作にぎこちなくでるのだが、守天(中身)はそれを別の意味にとった。
「・・・そういえばおなかがすいたね。朝食はまだだったし、厨房にいってちょっと軽くつまめるものでも作ってもらおう。あ、それともちょっと早めのブランチにしてしまおうかな。アシュレイは厨房に顔が利くからたいていのお願いは聞いてもらえるし」
理性に総動員発令中の桂花の脳裏に異音が重なった。
警報だ。
「・・・ちょっと待ってください、・・・サ、じゃなくて守天殿」
・・・たしか天主塔にいるのがばれたらまずいとか何とか言っていなかっただろうか?
それを言うと、南の太子はちょっと首をかしげ、数秒考え込んだが、すぐに にこっと笑うとひらひらと手を振った。
「う〜ん。まあ、今さらだろう。執務室であれだけ大騒ぎしたんだから(←半分は貴方のせい)たぶん八紫仙には知れてると思うよ。・・・どっちにしろ南領にいないことは事実なんだし。・・・ああ、こんなに天気がいいんだし、どうせなら外で食べようか。うん、決めた。バスケットにつめてもらって天主塔の景色のいいところで食べよう。桂花、飲み物は香茶でいい?」
「・・・何でもいいです・・・」
食欲がないと言ってもとても通じそうにない。ニッコリ笑っているのに有無を言わさないこの強引な誘いに、こめかみを押さえながら桂花は答えた。・・・頭痛がする。
(・・・守天殿って、こんな人だったっけ?)
いや、違う。天界の統治者たる、いつもの慈悲深く思慮深い『守護主天』ではない。
・・・・・こんな守天殿は知らない。
桂花は青ざめた。
薬の飲みあわせによる変調で体が入れ替わってしまったのみならず、ついに精神に支障をきたすようになってしまったのか?
・・・それとも・・・
「・・・・・・守天殿、・・・もしかして、今の状況を楽しんでらっしゃいます?」
おそるおそるの桂花の問いかけに、先に歩いていた南の太子が振り向く。桂花を見てちょっと首をすくめるような笑い方をすると、やおら桂花に向き直って、楽しい悪戯を思いついた子供のように笑って見せた。
「うん。そうかもしれないね。・・・だってこんなに自由なのは久しぶりなんだ。・・・文殊塾以来かな。元服以来、いつもいつも何人ものお付きや文官が後に先にとついて回る生活だったからね。アシュレイには悪いと思うけど、楽しんでるのは事実かも。さ、ちょっと厨房に行って来るから桂花はここで待ってて」
鼻歌を歌いながらうきうきと歩いてゆく後姿を、呆然と桂花は見送った。
(か、勘弁して欲しい・・・)
桂花はよろりと近くにあった木の幹にすがった。
南の太子の姿であの慈悲深い優雅な笑顔は、自分にとって非常に心臓(←核?)に悪い。
おまけに連日の執務によって、よっぽどストレスがたまっていたのだろうその反動で異様に陽気な守天は、いつもの思慮深さなど百万光年の彼方に置き忘れてしまったらしい。
魔族の討伐で天界随一の功績をあげている南の太子が魔族と歩いている姿などを目撃されれば、彼の威信に傷がつきかねない事など、少し考えれば分かりそうなものなのだが・・・。
(・・・・・・って、なぜサルの威信の心配までこの吾がしなきゃならないのか・・・)
げんなりと桂花はため息をついた。
いつもなら、それは守天の役目であるはずなのに。
現在、その守天が南の太子の姿をしている。
しかも、やたらテンションが高い。
・・・その南の太子の姿をした守天に、桂花は今日一日付き合わなければならないのである。
「・・・・・・・」
桂花はこの場を逃げ出したくなった。
たとえ罵詈雑言の嵐だろうが、半径3m以上近づくなと言われようが、あのまま執務室にとどまったほうが、よかった気がする。
中身はともかく少なくとも外見は守天だ。
斬妖槍を出される心配はないし、舌戦なら勝つ自信はある。
(・・・何よりも仕事が進む・・・!)
だからとりあえず執務室に戻って柢王と役目を交代してもらおう、と限りなく後ろ向きなんだか前向きなんだかよくわからない決心をした桂花であったが、しかし引き返す間もなく、バスケットを片手に意気揚揚と南の太子が帰ってきたのであった。
「いや〜、厨房にはアシュレイが来てる事バレバレだったよ。」
激辛唐辛子料理以降、ちょくちょく厨房に顔を出すようになった南の太子は試作品や新メニューをよく食べさせてもらっている。
その時に守天の好みも聞けるし、美味しいと感じればダイレクトに顔に表情として出る南の太子は、美味しさをはかるバロメーターとして料理人たちに受けがいい。自分が造った料理を褒めて貰って嬉しくない料理人などいないし、造ることに対して気持ちに張りが出るというものだ。
そういうことで、南の太子が天主塔に来ていると情報が入れば、いそいそと支度にかかる料理人も少なくない。
「だからちゃんと用意して待ってくれてた。バスケットにつめてって言ったら変な顔されたけど」
「・・・まさか吾と外で食べるとかおっしゃったわけではないですよね?」
「言ったよ?」
(・・・・さ、最悪・・・っ)
頭痛に加えて耳なりまでしてきた。
「大丈夫、ちゃんと二人分貰ってきたから。焼き菓子もつけてくれたよ♪」
その上、論点が最初からずれている。
しかも桂花の危惧する意味を判っているのか判っていないのか。(←いや、絶対判ってない)南の太子は桂花の腕にバスケットを持っていない腕を絡めると、にっこりと笑った。
「さあ、どこで食べようかなあ・・・。 ああ、ほんとにいい天気だね」
「・・・・・・」
今の彼の心情を反映させたかのように、雲ひとつなく澄みわたる青空を見上げてうきうきと歩き出した南の太子に、頭痛・耳鳴りに加えて目まいまでしてきた桂花が引きずられるようにして連れられて行く・・・