投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
今から二年ほど前、江戸で美少年が演じる若衆歌舞伎が流行ると、男性の間でたちまち美少年趣味が生まれた。
その流行りにのり、客と買われた少年の密会のために作られた場所を「陰間茶屋」という。
陰間とは本来、歌舞伎役者の修行中である、「影の間」をさす言葉だったのだが、やがて役者の副業だけでなく、売春専門の男娼があらわれると「陰間」はもっぱら男娼を表す言葉となっていった。
『冥界茶屋』と名付けられたこの建物も、数ある陰間茶屋のひとつである。この界隈でもっとも美しい男娼がいると評判で、いちばん人気の陰間を相手にする客のみ、他に類をみない決めごとがあった。
無色透明なびいどろの、吊り行灯がふたつ。
行灯とは言っても、庶民が使用する魚油を用いるものとは異なり、中にはほっそりとした蝋燭が立っていた。
それだけでもぜいたくだというのに、行灯には松に楼閣が配され、その裏面には花卉文を加飾してあり、吊り紐は紫水晶や玉髄などの玉をちりばめた、手の込んだ細工であった。
その下で男が、吉原格子に腰を落とし、通りを行き交う人々を見下ろしていた。
浅紫に染められた、異国の衣をまとう姿。全身のどこで区切られているのか、あいまいなそれは、長い袖が時おり吹く風になびいている。
形のそろったヒスイ、コハク、サンゴにメノウの髪飾りがあしらわれた髪は、一部がかるく結ってあり一本簪で留められていた。
男娼であるこの美しい男。彼は初めから体を許すつもりなどなく、そしてそれが許される唯一の陰間『桂花』だった。
「う・・・・」
つらそうなうめき声に振りむくと、うつぶせになったままの僧侶がこちらの方へ手を伸ばしている。
「斯様なところへ足を運ぶひまがあるのでしたら、修行をされた方が・・?」
高僧相手に修行が足りぬと辛辣な台詞を吐いた麗人は、呼鈴を手にとる。
「御仏に仕える御身、これ以上吾につきまとえば、儚いものとなりますよ・・・ご自愛なされませ」
言葉と裏腹な流し目を餞別代りにくれてやると、鈴を鳴らして終了の合図をおくった。
指一本触れることすら叶わなかったというのに、僧侶は恍惚とした表情で引きずり出されていく。
やっと一人になった桂花はイラつく気持ちを鎮めようと煙管に手を伸ばし・・・・やめる。
「李々・・・」
大切な大切な人の名。穢れたこの場所に、清浄を取りもどせる気がして、日に数回くちにしてしまう。
「生きて再び会える日は来るのかな・・・」
親のような、姉のような存在だった人。彼女もまた―――――吉原に囚われている。
いきなり戸が開かれたと思いきや、ひとりの男が敷布の上へと転がされた。
「この男は?」
「外で寝ていたのでな。この男、かなりの上客となろう」
怪しげな笑みを浮かべたのは「冥界茶屋」の主、教主である。
「これだけ酔いが回っているなら、懐を失敬して放っておけばよろしいのでは?」
「その場しのぎの儲けで満足できるか?こやつを常連にするまでよ」
ホホホと、わざとらしく声をたてて笑いながら、教主は部屋を後にした。
男は泥酔のようすで身動きしない。
「運の悪い男だ」
桂花はフッと息を吐き、ふたたび煙管に手を伸ばしたが、やはりやめる。
「吸えばいい、俺に遠慮は無用だ」
ハッとしてふり向くと、転がされていた男が敷布の上であぐらをかいていた。
「お前!」
ニヤリと笑った男に桂花の顔がこわばる。何の構えもないのに隙がない・・・ここは慎重に事を運ばねば。
「旦那・・・斯様なところは初めてで?」
「ああ、でもお前を抱くための決まりがあるのは知ってるぜ。有名だからな」
そう、桂花を相手にするには一つだけ掟がある。吉原ほど手のかかる決めごとや、大枚も時間香も必要ないが、やはりそれなりの金を積まねば桂花に目通りすることは叶わない。
たとえ部屋へ通されても、そこで簡単に彼を抱くことはできない。桂花と勝負し、腕ずくでものにできた男だけが、思いを果たせるのだ。
「自信がおありのようで」
「まぁな、お前の『初めての客』になってやる」
かすかに眉を顰めた桂花だったが、ゆっくりと胸元に手を差し入れると、挑発するかのように自らはだけて見せた。
「面白いことをおっしゃる」
その目が細くゆれる行灯の火をとり入れ光った瞬間、あぐらをかいていた男が飛び退いた。
重い鞭の音を追うように、ヒュウと鳴った口笛。
「ンな所に物騒なモンかくし持ってんなよ!」
つぎつぎ振り落とされる鞭をよける男は軽業師のように身軽だ。
それまで相手を追っていた鞭を置くと、桂花は微笑を浮かべ敷布に横たわる。
「おい?」
「あなたのような方は初めてですよ。とても吾の敵う相手ではない」
「あ、そお?分っちゃった?」
(馬鹿な男だ)
心で罵りながら、結った部分の髪を下ろそうとした桂花のうでが、いきなり掴まれそのままねじり上げられた。
「っ!」
痛みに耐えかねた桂花の手から、簪が落ちる。
「こんなもんまで仕込んでるとはな。こいつで喉元狙われたらイチコロだ」
桂花が髪を下ろすしぐさに見せかけて引き抜いたそれは、ただの簪ではなく、琉球で「ジーファー」と呼ばれている護身武器だった。
「俺の勝ちかな」
「退け!」
「シ、大声出すなよ。や、耐えられないほど良かったら我慢しないで聞かせてくれてもいいけどよ」
「ふざけたことを!」
男はもがく桂花の首筋に顔を埋める。
歯をくいしばっているその唇に指をすべらせると、すかさず牙をむく麗人。
「気性の荒い美人も好みだぜ」
「いやだっ」
「俺の名は柢王。甘い声で呼んでくれ」
どこまでも軽薄な口調だったが、その目は獲物を捕らえた獣のように鋭く桂花を見下ろしていた。
びゅう、と強い風が舞いこみ揺れる行灯。
ゆら。ゆら。ゆら。
それに合わせて二つの影が、伸びたり縮んだり。
観念した桂花がそれを目で追っていると、大きな手で視界をふさがれた。
夜陰を這う衣擦れの音。
ゆるやかに忍び込んできた手を拒絶しても、次には強引な態度で押し入ってくる。
自分の領域に土足で踏み込んできた男の背中に爪をたてながら、桂花は意識を手放した。
「ほら」
口から紫煙を吐きながら煙管を差し出す柢王に、起き上がることもできない桂花が横になったまま首を振る。
「なんだよ、吸えないわけじゃないだろ」
「願掛けで・・・・会いたい人がいる」
疲労で、抵抗する気にもなれない。
「なにっ!?決まったやつがいるのか!?俺が調べさせた資料にはそんなこと―――」
興奮して大声をあげた柢王が、口をあけたまま固まる。
「調べさせた?」
問うと、彼はくやしそうに舌打ちをして口を割った。
「いつもそこの窓から、通りを見下ろしてるお前に一目ぼれした」
「は?」
「で、調べさせたら、お前はここにきてから客の相手をまともにしたことがないって知って、慌てて来た。間に合ってよかったぜ」
「来た?来たって・・・あなたまさか」
「演技は役者並みだろ?」
「酔った振りをしていたって?」
「俺めったに酔わないし」
強いもんなー。と、言いながら桂花の体にすり寄ってくる。
「・・・・会いたい奴って?」
「恩人・・・」
「ただの恩人なんだな?色とかじゃないな?」
「フ・・・ええ」
柢王は、桂花の体を起こし自分に寄せると、煙管をムリヤリ彼の口に突っ込んだ。
驚きむせる細い背をたたいてやると、桂花は目に涙を浮かべながら柢王をにらむ。
「お前の会いたい恩人って、吉原にいる李々か?」
「!?・・・なぜそれを」
「調べさせたって言ったろ。分かった、俺が会わせてやる」
「え?」
「あと、お前の身請けもする」
「そんなこと・・・・無理だ」
不意に顔色を変えた桂花は、飾られていた瓶細工を手にとった。そのひょうたん型のびいどろの中には、手まりが入っている。
どのようにして手まりを入れたのか見当がつかず、柢王は桂花から取り上げたびいどろを揺らした。ころころと中で転がる手まり。
「どーなってんだ?」
「それは、中身を抜いた状態の手まりを畳んで、びいどろの中に入れるんですよ」
「中身?」
「ええ、その際、糸で手まりの口が開くようにしておいて、そこからもみ殻や小豆などを詰め込むんです」
「めんどうだな」
桂花は軽く頷いてつづける。
「最後は折箸で糸をたぐり寄せるようにして、手まりの穴をふさぎ、形を整えて完成です」
「なかなか手が込んでるな、お前のものか?」
「いいえ、ここにあるすべてのものは教主のものです・・・・吾も含めて。吾はもうここからは出られない、その手まりと同じ」
パリン、と砕け散ったびいどろに、俯いていた桂花が顔を上げる。
「同じだって言うならお前も自由だ」
壁に当たり弾かれた手まりが、柢王の手元に転がりすくいとられる。
「俺がここから出してやる」
「あなた・・・一体、何者なんです?」
行為の最中、いつものように呼鈴が鳴らないことを訝しんで、様子を見に来た男たちをあっという間に伸して縛り上げると、別の部屋へ放り込み、とうとう出てきた教主までも倒してしまった柢王。その間、逃げることもできたのに、なぜか桂花は彼を待ってしまっていた。
「紀伊國屋蒼龍王って、知ってるか?」
「もちろん。たびたび吉原を貸し切る大金持ちの馬鹿商人でしょう」
紀伊國屋蒼龍王は、材木で巨万の富を築いた天下の商人。そして、その紀伊國屋と並んで財を成したもう一人の豪商、奈良屋洪瀏王。
二人は、互いの財力を見せつける豪奢な遊びとして、大門を閉めさせ他の客の出入りを禁じ、吉原を貸し切ってしまったことが何度かある。
「俺の親父だ」
「えぇっ!?」
「俺は三男で、親父の金とか店とか継ぐ必要もないから、自分で道場 兼 護衛所をやってんだけどな。この前、道場に来たやつに残った富くじを強引に買わされたんだけど、そいつが大当たり♪しちゃって、まー使い道に困ってたっていうかなんて言うか。だからお前を見受けしようかとv」
「・・・くだらないウソを」
「や、ホントだって。っていうか、どっちを信用してない?親父の方?富くじ?」
「両方ですよっ、バカバカしい。どうせつくならもっとましなウソをつけばいいのに」
一瞬でも、信じた自分がはずかしい。
「・・・・・ま、信じなくてもいいけどな。」
苦笑して覆いかぶさってきた柢王が、桂花のみだれた髪を梳く。
「それで?いつ吾を見受けしてくれるんです?」
「なんだよ、信じてないんだろ」
「ふふ、信じてみてもいいかな・・・あなた、よくわからない人だけど」
「ばっか、こんな分かりやすい男はいないぜ?おまえが欲しい。それだけだ」
柢王はそのまま細い首筋に吸いついて、満足そうな笑みを浮かべた。
「よし。印もつけた。もうお前は俺のもんだ」
やることがあまりにも幼稚すぎて、桂花は声をたてて笑った。
今日。
たった数時間前に初めて存在を知った男。
けれど、桂花はこの男に急速に惹かれている自分を認めざるを得なかった。
運命の相手だなんて、今はまだ言わないけれど。そういう出会いもあるのかもしれない。
その日を境に、冥界茶屋から桂花の姿は消えた。
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