投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
窓の外はこんなにいい天気なのに。
アシュレイは雲ひとつない空を見あげ、それとは対照的などんより淀んだ室内で、しきりに背後を気にしていた。
ティアが訪れてから、どのくらい経っただろう?
氷暉に忠告されたばかりだ。ティアがなにに対して苛立っているかくらい見当がつく。だから、家の中には入れたくなかったのに・・・。
「やあ、帰ってたんだ?私が待っててって言ったのに、いなかったから心配したよ」
棒読みのような口調が怖くて、一瞬ひるんだアシュレイを押して「お邪魔するよ」とティアは強引にあがり込んで来たのだ。
掃除当番だったアシュレイに「私も用事を済ませてくるね。もしかしたら、私の方が遅くなるかもしれないけど、待ってて」と言ったティア。
分かったと応えたけれど、掃除が終わって昇降口に行ってもティアの姿はなかったので、その間に氷暉に断りを入れておこうとアシュレイは室内プールへ向かった。
そこで、自分が来る少し前に、ティアが氷暉にくぎを刺しに来ていたことを知り、彼の勝手な振るまいにムッとして、一人で帰宅してしまった結果が―――これだ。
「君さ・・・あの男のこと、好きなの?」
くぐもった声でティアが切り出す。
それまでの沈黙の方が気まずかったアシュレイは、一呼吸おいてからふり向き、思わず後ずさってしまう。真後ろまでティアが接近していたのだ。
「あ、あの男?」
「・・・私にあいつの名前を言わせるつもり?ずいぶん意地悪だねアシュレイ」
「氷暉・・・のことか?」
「やめてよ、君の口からあいつの名なんて聞きたくない」
「〜〜〜どうしろってンだ。言っとくけど俺はお前に責められるようなことは何もしてないぞ」
氷暉が溺れていたと勘違いしただけだとか、人工呼吸になっていなかったとか、そんなことは置いといて。誰がなんと言おうとアシュレイにとっては人命救助以外のなにものでもなかったのだから、きっぱりと言い放つ。
「そうだよね・・・何もしてないよ、私には。あいつには君からしたっていうのにね」
「だからあれは人命救助だったって―――」
「・・・・本当にしたんだね・・・ひどいショックだよ。なんだって君からあんな奴に・・永遠に沈ませておけばいいものを!!・・・クッ」
アシュレイのベッドに顔を突っ伏したティアの背中を恐る恐る叩くと、ガバッと起き上がった彼に体をつかまれ、組み敷かれてしまう。
「なにすんだよ!」
またか?また、よからぬことをしようと?!アシュレイが睨みつけても、ティアは動じない。アシュレイに負ず劣らず強い瞳でまっすぐ見つめ返してくる。
「アシュレイ。確かに君が怒るのも無理はない。大勢がいる教室であんなことをして、君のプライドを傷つけて、退路も断った。それは悪かったと思ってる」
それなら・・・と、口を開きかけたアシュレイの言葉を阻止してティアは続ける。
「私の気持ちを受け止める気がないのなら、全力で逃げて」
「え?」
「本気なんだよ。君が軽く受けとっている私の気持ちより、ずっとずっと本気なんだアシュレイ。君が好きなんだよ・・・もう、自分でもどうにもできないくらい」
ごくりとティアの白い喉が動いて、彼の真剣さが伝わってくる。
「他の誰かに渡したくないんだ。無茶なこと言ってる自覚はある・・でも、我慢できない」
浮かされたように、君を愛しているんだと何度もつぶやく唇が、髪から耳へと移動してそれを食む。
「ぅあ」
くすぐったくて首をすくめると、今度は首筋におりてきた。余計にゾクゾクして暴れだしたアシュレイに、ティアは隙間がないほど密着して動かなくなった。
互いの胸の鼓動が共鳴したかのようにはげしく打ちつけ合う。このままでは、ティアのペースに流されてしまう、とアシュレイは口火を切った。
「お前の気持ちはちゃんと分かってるつもりだ、でも、ちょっと、こういうのは俺・・」
「分かってないよ。分かってたら下心ある私をこんな簡単に部屋へあげたりするものか」
「し、下心ってお前・・・だいたいお前が勝手に上がってきただけだろーが!」
「ベッドがある部屋に・・・そんなことで信用されても私は嬉しくないからね。君って人は無防備にもほどがある。だからあんな奴に付け込まれるんだ・・・・逃げないの?」
赤い髪を優しく払いながら、現れた額に唇をよせる。
「つけこむとか言うな、氷暉はそんなことしねぇよ」
「どうだか。ねぇ、あいつにこんなふうにされたら、とっくに殴り飛ばしてない?私が相手だから・・嫌じゃないから、戸惑うんじゃないの?」
切羽詰まっていた声が、だんだん甘さを含み始めていることに、アシュレイは気づかない。
「うるさい、殴っていいなら殴るぞ。もうどけよ、重いんだよっ」
「じゃあ・・・私がアシュレイ以外の人に、こんなことしているところを見たらどう思う?君は何ともないの?」
「・・・・・・・」
体をぴったり重ねあって、額に唇を押しつけたりして。
端正な顔が、すぐそばで甘い言葉を囁きつづけ、繊細な指がやさしく髪を梳く。
―――――それを、自分以外の・・他のやつに・・・?
「そんな事しやがったら二度と口きかねーぞっ、この色欲魔!サッサと出てけっ!」
容赦のない蹴りを入れ、悲鳴をあげてひっくり返ったティアの腕をひっつかむと、部屋の外へ追い出し、ドアを閉めた。
「アシュレイ!ごめん、例え話だよ!開けてアシュレイ、誤解だってば。こんなに君一筋だって言ってる私が、そんなことするわけがないよ!」
ドンドン叩くティアに、耳を貸さず「帰れ!しばらくその面、見せんな」と冷たい言葉を浴びせたアシュレイは、とうとうドアを開けてはくれなかった。
しかたなく家に帰ることにしたティアだったが、その顔は落ちこむどころか締りのない二ヤけた表情をしていた。
「アシュレイってば、自分で気づいていないんだ・・・あんな焼きもち妬いちゃって。フ、氷暉なんか目じゃないかも。フフフ・・・フフ・・・」
道行く人に怪訝な顔で見られても、自信を持てたティアにとっては、どうでもよいことなのであった。
昔、昔、あるところに、後に冥界教主様と呼ばれた、金髪で、妖艶なシンデレラがいました。
ある日、シンデレラの父が再婚し、新しい家族が増えました。
しかし、シンデレラは、新しい家族の、桂花とアシュレイに、常識も知らないのかと、冷たく扱われておりました。
「ご自分の部屋くらい、ご自分で掃除して下さい」
と、桂花が言えば、
「掃除とはなんだ?」
怪訝な顔のシンデレラに、アシュレイは、びっくりした。
「そうじも知らないのかっ!?」
「そんな言葉は、我の辞書にはないわ」
完全に開き直る、シンデレラ…
「…この人を、片付けてもいいですか…」
桂花は、氷の微笑を浮かべ呟いた。
その言葉に、アシュレイが、「じゃ、俺がっ」とウキウキするので…
「本当に片付けてはいけませんよ…」
ひとつため息をついた桂花は、脱力感からなんとか立ち直って、
「まさか、アシュレイができることを、あなたができないなどと、おっしゃいませんよね?」
「その手にはのらぬ」
「自信がないなら、仕方ないですね」
「サルにできる事を、我ができぬわけがない」
「それは、証明して頂かないと。
それが終わるまで、今日の王宮主催の舞踏会には、参加させませんよ」
目が笑っていない微笑を浮かべる桂花と、踏ん反り返るシンデレラの間に、
絶対零度の青白い火花が飛び散った。
…怖っ
近くにいたアシュレイは、凍傷になりそうな気がして、後じさった。
王宮の舞踏会に出かける、継子達を見送って、シンデレラは、掃除とは何の事だ?と首を傾げておりました。
わからぬものは仕方ない。
町に行って、我のこの美貌で、代わりにそうじとやらをさせる下僕を見つければよい。
窓から出掛けようとしていたところへ、魔法使いアウスレーゼ様があらわれて、
「そなたの望みを叶えてやろう」
と、超棒読みでおっしゃった。
「なんでも?」
キラリと目を光らせたシンデレラに、肩をすくめる魔法使い様。
「仕方あるまい、それが、仕事だそうだ」
「ならば、我の美貌を引き立てる衣装と、王宮までの足が欲しい。あぁ、そうじとやらもな」
「ただで、と言うのはつまらないね…毒花も良いが…
今は、野に咲く花の気分なのだよ」
扇で優雅に仰ぎながら魔法使い様。
「それならば、うちのアシュレイを差し出そう」
「それは愉しみだ」
ふっと笑って、魔法使い様が、魔法を使うと、シンデレラの望みは叶っていた。
シンデレラは、その美貌を最大限に利用して、王子をたぶらかし、
一度引く方が効果的と考えて、わざとガラスのくつを忘れて帰り、
まんまと王女となりました。
王子が王様になると、シンデレラは、国の名前を「冥界」と改めさせ、自らを「教主様」と呼ばせました。
王様は王座の飾りとも囁かれ、絶対教主様制度が作られた。
教主様の気に入らない者は、即刻、処刑…
国が滅ぶまで、酒池肉林…
めでたし、めでたし。
………………………
柢王「めでたくねぇだろ。桂花は、どうなったんだ!」
桂花「どうにもなりませんよ」
冥界教主様「残念ながら、何もしてはいないよ。その前に、国が滅びてしまったのでな」
アシュレイ「お前、人を勝手に取引に使うな!」
ティア「アシュレイ、何もされてない???アウスレーゼ様、アシュレイには、手を出さない約束でしょう」
アウスレーゼ「手を出してはいないよ。あやつが、約束を違えたからな」
冥界教主「あなたが、我の楽園を、滅ぼしたのか!?」
アウスレーゼ「約束を守らぬ、そなたが悪い」
冥界教主「約束は違えるものよ」
アウスレーゼ「罰が当たったのではないかな」
………………………
むかし、むかし、あるところに、王様を篭絡し、国を自らの楽園とし、
魔法使いとの約束を違えて、国を滅ぼされる原因を作った、
冥界教主様と言う名の傾国の美女がいた。
めでたし、めでたし?
「わざわざ空港まで迎えに来るから何事かと思えば、花見だなんて……」
呆れた、とも驚いた、ともいうような苦笑いで、桂花が柢王の顔を見あげた。
空港から車で30分ほどの河川敷では、両岸に一面、淡い薄紅色を刷いた連なりの下、大勢の人たちが座敷を並べていた。
賑やかな笑い声。木々の間に灯されている赤いリボンのような提灯と照らされた満開の花が暗い水面に幻想的に浮かび上がり、
花見の宴はたけなわ、というところだろう。
土手の緩やかな勾配を桂花の手を引いて降りる柢王は、器用に肩をすくめて、
「ほんとはどっかおまえとふたりで休みがてら見に行きたかったんだけど。シフト合わねぇし、雨が降る前に、近場で我慢ってことでさ」
言葉通り、仕方なさそうな目で見上げる先では、雲の早い濃紺の空を背景に、遠い月が淡い金に輪郭をにじませていて、
吹く風も水気を含んで肌に冷たい。夜半から雨になるという天気予報は、たしかに当たりそうだ。
リゾート便で今日の昼に戻り、明日の午後には近場の往復便に乗る予定の柢王は、本来ならば今の時間は自宅でフライトプランか
遅めの夕食、あるいは早めの就寝。いずれにしても、意気揚々と花見、という感覚でもなかっただろうに──
税関を出たところで待っていた柢王に、ロング便で戻った桂花が何事かと思ったのは当然のことだ。
それに、他愛のないような口調で、
『あのさ、ものすごい疲れてる? もし、すぐに家に帰りたいなら構わないけど、ちょっと余裕あるなら、寄り道して帰らねぇ? 』
ま、それはどっちでも構わないけど、とにかく本社の前で待ってるから、帰るのは一緒に帰ろうぜ。と、それだけ言い置いて、
さっさと踵を返した男の態度は、一応、配慮なのだろう。パイロットの仕事の終わりは本社で手続きを終えるまで。その後は距離に関係なく、
早く家に帰りたいのがごく自然な心理なことは予測するのも簡単なこと。
だが、それでも、端から本社の前でなく、空港の税関前まで来たことがその本心を露呈している。それに超長距離の後のパイロットは
大抵その後数日連休、というのは天界航空の通例だ。自分の仕事の段取りは確実に済ませておけば、桂花がそのことで文句を言うことはない。
と、まで踏んでのことかどうかはわからない。そして、その背中を見送ったクールな機長がなにをどう解釈したかもまた外からはわからないが──。
『寄り道するのは構わないけど、あなた、薄着で風邪ひきますよ』
約束通り、本社前に車を止めて待っていた柢王に、ドアを開けた桂花はそう答え、それを聞いた柢王は笑って、車を走らせたのだった。
花に酔っているのか酒に酔っているのかわからない賑やかさを横目に、
「やっぱ、今夜が終わりだな」
柢王がくぐり抜ける枝を見上げる。
早い新芽がところどころ覗く、丸いぼんぼりのような花をびっしりとつけた枝先がその重さにかたわむように揺れていて、
淡い色の花弁がはらはらと柢王の肩先にこぼれてくる。
寄り道の予定などなかったから、コートの下は制服姿の桂花もそれにならって枝をくぐりながら、
「でも、きれいですよ。桜はやはり満開が一番豪勢ですね」
きれいな頬に笑みを浮かべて花を見上げる。
ぼんぼりの明かりのせいか、その紫水晶の瞳にも揺れる花影が宿る。白い長い髪がその花の色に溶け込むようで、
「……たしかに、すげぇ、きれいだよな」
柢王も笑みを浮かべて、瞳を細めた。
しかし、ふたりが、そこからいくばくも歩かないうちに、最初の水滴がぽつりと川面に落ちた。
と、見る間にさあぁっと音がして、雨が落ち始めた。
「って、マジ? まだ八時だろっ?」
天気予報は九時ごろから雨だったのに、と慌てたように時計を見る柢王の周囲でも、にわかの雨に驚いた人たちがわっと天を仰ぎ、
悲鳴を上げる。大急ぎで席を片づけて、
「やだ、せっかくの満開なのに」
「こんなに早く降るなんて詐欺だろっ」
バタバタと雨を避ける人たちを避けるように、柢王は桂花の腕を掴むと、大木の下に身を隠した。
ざぁぁっ…と雨脚が強くなり、枝が揺れる。
「最悪……」
蜘蛛の子を散らすように人々の姿が消えていき、雨に打たれた花が無残に散らされていく眺めに、柢王はがっくりと首を振った。
ふたりのいる大木の枝間からも雨のしずくが落ちて下草を濡らす。ため息をついて、
「ごめん、桂花。風邪ひくから車戻ろう」
せっかくの花見だったけど、今年は仕方ないな。と、促した柢王の腕を、桂花が軽く掴む。花びらを含んだしずくがひとつ、
その髪に落ちて、艶やかな彩りを宿す。その唇に、静かな笑みを浮かべて、
「きれいですよ」
言った桂花の言葉に、柢王もその視線の方に顔を向けて、はっと目を見開いた。
まだ残りの人がいくらか片付けをする河川敷。雨に打たれて、ゆれる赤い提灯の光の中で。
濡れた下草の上に見る間に淡いピンクの色が刷かれていく。それはまるで、花の絨毯のように──艶やかで、あでやかな、春の色を、
敷き詰めていくようだ。
一夜限りの幻のように、水面も、対岸も、花の雨に染められていく。
「この時期の雨は花散らしの雨、と言われるようですけれど──」
これでは花降らしの雨ですね。ささやいて、微笑む桂花の隣で、
「……すげぇ──」
つぶやいた柢王も、その眺めに瞳を細める。
吹く風は肌に冷たく、雨のしずくも冷たくて、寄り添うように佇みながら、ふたりはしばらくその場にとどまっていた。
「って、マジ寒いよなっ、おまえ、大丈夫?」
車に乗り込み、エンジンをかけ、エアコン全開にしても濡れた体はぞくぞくと寒い。自分の頭はプルプルと犬の子のように振りながら、
後ろの席にあったタオルを差し出して尋ねた柢王に、桂花はくすりと笑って、
「吾は寒いところから戻ったばかりですから。あなたこそ、平気ですか? だから薄着だと言ったのに」
用心のいい機長のコートは撥水性でライナー付きの全天候仕様。対して、シャツの上に上着を引っ掛けただけの機長は身震いしながらも笑みを見せ、
「俺が丈夫なのはよくわかってんだろ? それに短い時間だけど、ちょっと変わった風情の花見もできたしさ」
ワイパーを動かす。風に吹かれて飛んできたものか、フロンドガラスの上にも花びらが貼りついている。それがまたたく間に消え去る。
それに、軽く肩をすくめながらも、未練を残した様子もなく、
「それとも、かわいそうだから、帰ったら一緒に風呂入って添い寝してくれる?」
笑った柢王に、桂花が瞳を細める。いたずらっぽく、だが、優しく、向けている瞳を覗き込むようにして、
「自業自得──あなたは丈夫なんですから、添い寝なんて要りませんよ」
優しく笑ったその白い髪の先──春のしずくが、ゆっくりと流れ落ちた。
「桂花、ただいま」
窓から飛び込んだ柢王は桂花が顔を上げるより早く細い身体を抱きしめた。
心地よい胸に額をギュッと押し付け「おかえりなさい」とつぶやく桂花に柢王は更に
抱擁を強くする。
「・・・桜?」
「さっすが」
ニヤリと笑う彼は、どうやら桜の香を桂花に移そうとしていたようだ。
「満開の桜を抱えてたンだ。おまえ好きって云ったろ?」
「ええ、でも・・・あの木はうまく切らない枯れてしまうんですよ」
「ぬかりねぇ。庭師に頼んだ」
「―――――枝は処分しました?」
「蒼穹の門でな」
上機嫌な柢王の顔がわずかに曇る。
「持ち帰ってもよかったンだぜ?」
「しなくて正解です」
言い切る桂花に柢王はため息を落とした。
「でもよ・・・」
「嬉しいです。正しい判断をくだしてくれて」
「俺のモンは黙認のくせに・・・刀とか」
「己の責任を己でとるのは当たり前です」
『ですが吾の責任は貴方にまわってしまう』と桂花は無言で語る。
それでも柢王の気持ちが嬉しくないわけなどなく、桜をも黙らす艶やかな笑みで恋人を包み込んだ。
「さ、桜の香りも満喫したことですし、そろそろホコリを落としてきてください」
「えーーー、もう少しこうしてようぜ」
「汗くさいですよ」
「そうかぁ?」
「ついでに冰玉も洗ってやってください」
グルリと自分を見回す柢王の甘え巻きつく腕を外し、呼び寄せた冰玉を押し付けた。
窓越しに纏わりつく冰玉とじゃれ合い泉に向かう柢王を見つめ、桂花は桜の香の残る身体を抱きしめる。
桜の香は好きだ。
だけど今はその香すら邪魔になる。
数刻後には跡形もなく塗り替えられるだろう喜びと消え行く香を慈しみ、桂花は静かに目を閉じた。
―「いっぺん、桜の木の下に埋まってみますか?」
人間界の桜を眺めながら、柢王は、天界にいる相棒の言葉を思い出していた。
あれは、いつだっけ?
思い出せねぇな。
その時の表情や、声はすぐに浮かんでくるのに、原因は思い出せない。
ま、いっか。
なんかで、あいつを、恥ずかしがらせた時だ。
いつもは、青白い毒舌も、そんな時は、この桜の花のように染まって…
何度でも聞きたくなるんだよな。
その時の表情ときたら…
頬が緩むのがわかる。
桜を眺めながら、にやけてるなんて、誰もいないとわかっていても、
辺りを見回してしまう。
相変わらず、群生する桜の花が、まるで雲のようにたなびいているだけだった。
一斉に咲き乱れる姿は、妖しく美しい
まるで、桂花みたいだ。
あぁ、そうだ。
―「あなたが養分の桜なら、吾が大切に育てます」
なんて言うから、桜なんて勝手に、咲くんじゃないかと言ったら、
「桜は、少しの傷にも弱い、手のかかる植物なんですよ。
だからこそ、咲き乱れる姿は美しいんです」
人間界の桜を懐かしく思い出すように、桂花は遠い目をしていた。
危ないところだった。
任務の途中で、ここに立ち寄ったのは、あまりにも桜が綺麗だったので、
この桜を桂花への土産にしたら、喜ぶかなと思ったからだ。
桜を、手折ったりしたら、桂花を悲しませるところだった。
風に乗って、微かに春の甘い香りがする。
―もちろん、桂花には、俺が養分になったら困るだろうことを、
寂しさを吹き飛ばすくらい、しっかり教えたけどな。
さっさと任務を済ませて、桂花のそばに帰ろう。
それが、一番の土産に決まってる。
自信ありげに柢王は笑って、最後にもう一度、満開の桜を見上げた。
風に吹かれて、桜がひらひら舞い落ちる
その中の1枚が、柢王の服にくっついて
天界で、桂花に見つけられ、
また、寄り道してましたね
と、軽く睨まれて、
桜の話をしたら、
気持ちだけで吾はうれしいですよと
微笑うのが愛しくて
柢王は思わず、桂花を抱き寄せた。
そんな日常が、薄紅色。
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