投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
東領に雪が降ったのはその朝のこと。
煙突で遊んでいた冰玉がびっくりしたように部屋に戻ってきて、その羽をばたつかせた。その音で、桂花は目を覚まし、窓の外を見て、ああと呟いた。
「ん〜? どしたぁ?」
目を開けた柢王が、窓辺に立ったままの桂花を見て、眠たげに尋ねる。桂花はそれに外を指して、
「柢王、雪ですよ」
「雪?」
柢王も寛衣を羽織って窓辺に来ると、うわと呟いた。ちらちらと白い花の降るように、雪が舞っている。
「寒いと思ったぜ」
はじめてみる雪に興奮気味にぴいぴい羽ばたく冰玉を肩にとまらせ、隣の桂花の肩を抱きこむ。
「親父の趣味で季節があるのはいいが、雪まで降らせることないのにな。おまえ、寒いだろ」
「いまは寒くないですよ」
桂花は笑って、
「でも、積もるんでしょうか」
「さあなあ。雪なんか久しぶりだから、積もるまでやるかもな。自分は上にいるから大して気にしてないもんな」
柢王が肩をすくめてそう答える。確かに雪は延々続くようだ。
「人間界ではよく大雪が降りましたよ。朝は寒くて」
「だよな。俺も大雪に出くわしたことがある。まあ、あれはうちの親父のせいというより、カルミアの親父のせいだけど」
「冰玉には嬉しいでしょうね、雪は初めてだし」
応えるように、青い雛鳥はぴいと鳴いた。柢王が笑って、
「おまえとじゃ雪合戦ってわけにはいかねぇけどな。あ、でも、雪だるまだったら・・・」
「雪だるま?」
「そう、あと、雪ウサギとか」
「いろんなことを知っていますね、柢王」
半ば呆れたように、桂花がいうのに、柢王は笑って、
「そううのは任せとけって。冰玉、雪が積もったら雪だるま作ってやっからな」
それを一体なんだと思ったのか、龍鳥の雛は嬉しそうにぴいぃっと叫んだ。おやつだと思ったのか、おもちゃだと思ったのか。うきうき顔の柢王と嬉しそうな冰玉に、桂花はやれやれと肩をすくめた。
「なんだよ、ティア、これは」
執務室の机の上に置かれている二つの白い塊に、アシュレイが首を傾げる。
ティアはそれに微笑んで、
「ひとつは君のだよ。柢王がさっき届けてくれたんだ。東領に雪が降ったからって」
枝で小さな手をつけた雪だるまと、冰玉の好きな赤い実を目に、緑の草を耳にしたウサギとを指し示す。
「なんであいつがこんなもの、持って来るんだ?」
アシュレイはそのふたつを見比べた。
「だって、ここは常春だし、君のところは南国だろう? 季節のおすそ分けだって。柢王らしいよね。結界に包んでおいたから、君も帰るときにはそうするといいよ。どっちがいい?」
「俺は・・・」
アシュレイは言葉に詰まった。いまさら子供じゃあるまいしと、突っ撥ねたい気もするが、柢王の優しさは嬉しかったし、そのひんやりとした白い塊はたしかに見慣れないものだ。
「俺は・・・う、うさぎが・・・」
いい、と最後は消え入りそうに呟いたのに、ティアはうなずいて、
「うん、ウサギね。こういうのって、ちょっと思いがけなくていいね」
「ああ、まあな」
微笑んだティアに、アシュレイもそっぽを向きながら答える。
机の上の雪の塊は、窓からさす光にきらきら光って、ちょっとした宝石のようにも見えた。
珍しいもの、高価なもの、そんなものは天界にいくらでもあるし、見慣れてもいる。
だが、こんな季節の贈り物は、めったにない大切なプレゼントだ。
補足
冰玉は柢王の作った小さなウサギを痛く気に入って、一週間、その体にとまっては、ぴいぴい嬉しげに羽ばたいていた。
その結果、柢王と桂花は、龍鳥でも、しもやけになるのだと知った。
ある意味、それも季節の贈り物、なのだが・・・・・・。
いつの記憶かは忘れた。
いつしか追悔することも、なくなった。
あれだけ愛した人だったはずなのに、今ではその姿すら追憶の彼方に忘れてきてしまったようだ。
一度命を失い、その時心のかけらをも失ってしまったのかもしれない。
愛しく思う者たちはいるが、無我夢中で求めるような・・・想い人の幸せのために己を殺して見守る側に徹するような・・・・そんな情熱は既に――――――。
「ふ・・・・・この島国の四季には心乱される」
人界にはいくつかの気に入った場所があり、ここもその一つだった。
降っていた雨は長くは続かず既にやんでいる。
紅葉した葉がひらりと枝を離れ、落ちていく前にアウスレーゼは手中にそれを収めた。
曳曳とした黒髪をそのままに美丈夫は朱塗りの欄干から、受け止めた葉を透きとおった水へ落とし、その舟を見送る。
体を寄せた橋は新しい。
川が増すたび流されていたここの橋は、これで四度目のもの。ついに人柱を立てたと耳にして人間の無知に眉をひそめた。
――――――知らぬということは恐ろしいものだ。
怖さを知らぬが故、無茶をして命をおとす。
ものを知らぬが故、無意味な「贄」を差し出す。
庶民が深く学ぶ場所がない時代。神や仏にすがるのは道理と言えば道理なのかも知れないが・・・・・。
「守天殿の苦労も絶えぬはずだ・・・」
苦笑したアウスレーゼの顔が次の瞬間はじかれたように天を仰いだ。
「―――――――今度は何があった、アシュレイ」
先ほどまでの憂い顔が失せ、楽しそうな笑みが浮んだと同時にその姿は橋の上から瞬時に消え去った。
そこに、今の今まで男が立っていたことすら夢だったかのように。
残されたのは時雨に濡れそぼった石畳と、紅葉の掌ばかり――――――。
(2004年、容子ママが他界したという掲示板の一樹さんのカキコを読んで2年前に書いておいたものです)
入退院を繰り返していた二葉たちのママが逝ったのは、まだ春浅い3月だった。
二葉はそれからしばらく口がきけなくなった。
春が終わり夏が過ぎ、もう大丈夫だからと二葉に言われても、俺は楽観できずにいた。
凪いだ海に不意に波が立つこともある。
季節の変わりめの、花冷えの頃を思い出させる肌寒い夜は尚更だった。
先にシャワーだけ浴びてリビングに戻ると、ソファを背もたれに足を伸ばした二葉がぼんやり宙を見つめていた。
テレビもついてはいるんだけど、見てるような感じじゃない。
もしや…と思いながら、二葉の隣に二葉のほうを向いてそっと腰を下ろした。
「二葉……?」
声をかけても俺を見ない。
「疲れてる? シャワーする元気もない?」
「……………ん」
「眠い? 俺もここにいて、いい?」
イエスの代わりに、二葉は一度ゆっくり瞬いた。
……あのときの二葉と同じだ。
そう意識した途端、身体がこわばる。
ママが亡くなったあとだったから、身体はもちろん精神的にも疲れてるんだろうとベッドに連れて行ってやすませたら、夜中に酷くうなされて……。
すぐに起こして、一晩中小さな声で話をしながら抱いててあげた。
話すことで、束の間でいい、心が軽くなればいいと思って。
二葉のなかの整理できないつらい気持ちを、わずかでもいい、吐き出させることができたらと思って……。
そんなことを考えながら、黙ったまま20分ほど経っただろうか。
「…ずっと長いこと患っててさ、」
二葉がひとり言のように、ぼそぼそと話し始めた。
「……ずっと、その間いろんなことしてあげて。自分は精一杯できることをやったから、だからもう悔いはない、って……」
「誰が言ったの?」
「……さっき……テレビで」
テレビか……。
思わずつけっばなしのテレビを睨む。
「でも俺は…生きててほしかった」
テレビめっ…!
二葉のそばに転がってるリモコンを取ってテレビのほうに向けると、俺は力任せに電源ボタンを押した。
「生きて、もっと……なんでもいいから…っ」
「うん」
「なにをしてやったって、悔いが残らないなんて、嘘だ…!」
二葉に限らず、一樹さんも小沼も幹さんたちも、もちろん二葉たちのパパも、すごくママを愛してた。
入院中も退院して家に戻ってるときも、たとえほんの少しの時間でも、ママと過ごす時間を大切にしていた。
ママがさびしくないように、そしてそれ以上に自分たちがそうしたいから……。
そんな気持ちが痛いほどわかった。
みんなに愛されてるんだなって、見てる俺まで嬉しくて……せつなかった。
「もっと……もっと…っ」
「二葉…」
そしていまも、せつなくて悔しくて…苦しい。
「後悔してもいいから、自分を責めないで」
これが初めてではない嘆きに、同じ言葉を繰り返す。
どんな慰めも、きっと時間には敵わない。
だからせめて、早く時が過ぎてほしい。
「……俺は、絶対置いていかないよ」
こんなときに、俺がそういうこと言うの嫌だろうなと思うけど……。
勝手に二葉の手を取ると、両手でくるんでギュッと力を込める。
「二葉が好きだよ。……愛してる」
おまえが教えてくれたんだよ。
たいせつなことは、ちゃんと言葉にしないと伝わらないって。
「二葉…」
ほんの少し身を乗り出して、うつむいてしまった二葉の顔を覗き込む。
「二葉…?」
「…もっと言って」
顔を伏せたままだけど、くぐもった声の二葉の答えに、俺は少しだけ安心できて肩の力が抜けた。
「言って欲しかったら、起きてシャワーして歯みがきしてパジャマに着替えて」
「……続きはベッドか?」
「あったりまえじゃん」
小沼の真似してそう言うと、俺は二葉の額に自分の額を押しつけて笑った。
二葉の表情も少しだけやわらいで見えて、俺は不覚にも涙が出そうになる。
「…んじゃ、とっとと済ましてくるか」
両手と額にあった二葉の体温がゆっくりと離れていく。
「待ってるから…!」
立ち上がり、浴室に向かう背中に思わず叫んだ。
待ってるから……。
元気に見えても、まだ駄目なんだ。
まだ時間が足りない。
今だって、きっと俺のために強がってるだけ。
ベッドに入っても、ただ抱きしめあって眠るだけなんだ。
でも、それだけだから。俺にできるのは、そばにいて同じ時間を過ごしていくことだけ。
だからなおさら、今この瞬間、俺だけは笑っていようって決めたんだ。
時が経てば、二葉はまた強くなる。強くなって、俺と一緒に歩いてくれる。
そう信じてるから……。
だから、二葉。
無理はしないでいいんだ。
立ち止まってゆっくり休もう。
いまは俺がおまえを守るから。
ふたりなら、きっと乗り越えられる。
――――― ふたりだから、乗り越えられると思うんだ。
ハアッ・・・ここ数年ついたことないため息を今日は何度ついたことだろう、山凍は思う。
彼はいま南領市街で月に一度開かれる月例祭へ三人の子供を連れやって来ていた。いや引率させられたという方が正しい。
たまたま天主塔に本を探しにきた折、三人にねじ込まれたのだ。
もちろん大反対した。
だが「私はいいから、柢王とアシュレイは行っておいで」と寂しそうに笑った幼い守天に山凍は落ちたのだ。
「やってる、やってる」
「早く、行こうぜ」
ウキウキ気分の柢王とアシュレイ。
月例祭に来れた喜びで声も出せず目を潤ませているティア。
まだ南ではそう顔を知られていない柢王はそのまま、南国の王子であるアシュレイは真赤な髪と瞳を茶褐色に、ティアは御印を消し、髪を軽く結い上げた可憐な少女姿に変装していた。
問題はなかった・・・三人には。
問題は変装下手な山凍。あまりの不器用さに三人は嘆息した。せめても髪と瞳を黒くすることで三人は妥協した。
四人で歩いていると脇から山凍の腕がガシッと掴まれた。
「いらっしゃい、いらっしゃい旨い酒に肴だよっ。他じゃ手に入らない珍味だよっ。兄さん、兄さん味見てってちょうだい」
「いや、結構。すまない・・・」
ブツブツ断る山凍。
「食べたら変わるよ、ホラホラホラっ」
強引なおばちゃん。
「わたしは結構・・・」
断る山凍。
「仕方ねーなぁ」とアシュレイと柢王は顔を見合わせ駆け寄った。
そして掴まれていた山凍の腕をひっぱり「親父っ、さっさと行こうぜ」アシュレイが言えば、ツーカーのタイミングで「父ちゃん、腹減ったー」と柢王が言う。
「おや、子連れだったのかい?」
驚き顔のおばちゃんに柢王は擦り寄り何やら囁く。
おばちゃんは「まぁ!!」と小さく叫び、同情にあふれた目で山凍を見つめた。
そして「若いのに大変だね。ま、かんばんなよっ」と一抱えのサービス品を山凍に渡した。
訳がわからぬものの解放され安堵顔の山凍の横でアシュレイは首を傾げる。
「おまえ、なに言ったんだよ」
柢王はニヤッと笑いアシュレイに囁く。
「俺の母は俺を置いて他の男と駆け落ち、ティアの母は身分違いで泣く泣く別れ、今のおまえの母は病弱で療養中ってな」
「・・・・・」
しばらくして、またしても山凍が売り子につかまった。
先ほどのおばちゃんタイプとは違う。
容姿は中の上。多分、自分の容姿に自信満々の女だ。
「あのタイプはティア、おまえだな」
「私っ?」
「そうそう、はやく行け」
柢王に促されティアは「父上・・・」と小さな声を出した。
「ダメダメそんなんじゃっ!!親父、さもなきゃ父ちゃんだ」
アシュレイが口をはさむ。
「オ・・・ヤジ・・・???」
初めて口にする言葉にティアは躊躇する。
そして口の中で呟く。「オ・・・ヤジ・・・オヤ・・ジ。×××とー・・・ちゃん。とう・・・ちゃん。とうちゃん・・・父ちゃん♪」と。
そして山凍の側に行くとそっと上着の裾をつかみ笑いかける。
「父ちゃん♪」
南の女と山凍が瞬時凍りつく。
そんな二人にティアは天使の笑みを浮かべもう一度。
「父ちゃん♪」
一瞬で勝負はついた。
南の女は敗北を認めた。こんな綺麗な子供の母親には敵わない・・・と。
その後、三人は大いに楽しんだ。
山凍は柢王やアシュレイ付きの教育係りと違いグチグチと小言を言わない。ハメをはずしすぎるとゴチンとゲンコツが落とされる。そのやり方はすっきり明快で腕白な二人にはピッタリ合っていた。
それに城の大人が知らない骨董市での目利きや、物の質による値段の相場を教えてくれたりもした。
さんざん遊び疲れ眠ってしまってティアとアシュレイを山凍は軽々と背負い、その横で柢王は月例祭で手に入れた皆の品を両手に帰途につく。
肩を並べながら山凍は柢王へ静かに口を開いた。
「守天さまには、おまえやアシュレイのように嘘をつかずに、相談しあえる友達が必要なのだ。守護主天の力は特別のものだが、心が傷つくときは私達と同じだ。よく覚えておいてくれ」
柢王は山凍のこの一言をしっかりと胸に刻みつける。
ティアを私室のベットに寝かせると同時にアシュレイは目を覚ました。
山凍はくれぐれも今回のようなことはしないよう釘を刺し、そして早く守天を護れるくらい強くなれと二人の頭を大きな掌でガシガシとかき回し笑った。
山凍の大きな手のぬくもりは未来の武将を支える何よりの糧となった。
「わあ、アシュレイ、すごい人だねぇ」
頭の上からティアの感心した声が聞こえる。
「あんまり動くなよ、ティア。落ちたらどうすんだ」
「あ、ごめんごめん、つい珍しくって」
「それはわかるけど」
事の起こりは、アシュレイが昨夜、ティアを尋ねて天主塔に行ったこと。
アシュレイもティアには逢いたい。だが、逢うと必ずといって良いほどセクハラまがいかそのものの歓迎を受けるのがいつまでも慣れない。そんなことしなくても好きだろっと言いたい気持ちと気恥ずかしさと。あるいは、誰かがそこまで自分を求めるその激しさが怖いのか。
たが、昨夜のティアは違った。バルコニーから入ってきたアシュレイに瞳を輝かせて歓迎してくれたが、どこか元気がない。
「どうした?」
尋ねると、ティアは苦笑いして、
「一昨日、柢王も戻ってきてね。桂花を迎えに来たんだけど、そのとき、明日が東の秋祭りだって言っていたんだよね」
柢王は、アシュレイともティアとも幼馴染の東領の第三王子。元帥でもあるかれは、人間界で出逢った魔族の桂花を副官+恋人としていつも側に置いているのだが、人間界に行く時には桂花の身の安全を考えて天主塔に預けていくのだ。桂花は、アシュレイの嫌いな魔族ナンバーワン。逢わなくてよかったと胸をなでおろすかれに、ティアは微笑んで、
「お祭りって聞いたらなんだか羨ましくて。秋祭りなんてするの、東領くらいだものね」
東領は生粋のお祭り好きの住む土地──享楽に聡い国民性というのか、王家が保護する一大歓楽街の花街が堂々と営業しているのも東領くらいだ。地上でなら神と呼ばれる立場のものがお祭りもないだろうに、東ではよく賑やかな催し物が開かれる。
「でも、祭りって、花街に近い一画で見世物市や露店が出るだけだったと思うぞ」
その規模は大きいが、珍しいほどでもない。答えたアシュレイに、ティアは笑って、
「でも、私には縁がないからね」
天界の統括者であるティアは、幼い頃から執務に就いていた。柢王やアシュレイと出逢った文殊塾以外、どこへ出かけるのも大規模な警護がついて、自由気ままに出歩くことなどまずない。その存在が天界の光と称えられる絶対唯一の身には、過ぎた警護などないのではあるが。
「行きたいのか」
尋ねたアシュレイに、ティアは笑って、
「見てみたいかなあとは思うけど、まあね、仕方ないよね」
悟っているような返事に、アシュレイは顔を曇らせた。ばれたら絶対にやばい。だが、ちょっとだけなら・・・ティアはたまに東領での船遊びの招待を受けたりもしている。だから、
「ほんのちょっとだけなら・・・隠れてみるくらいなら」
思わず、呟いたアシュレイにティアが驚いた顔をする。
「えっ、連れて行ってくれるの?」
「お、俺はただっ、そんなに見たいなら・・・・」
「アシュレイ!」
ぱっとティアの顔が輝いて、アシュレイは言葉を続けられなくなった。ティアはわがままは言わない。温厚で、優しくて、本当は芯の強い、きついところも持ってはいるが、守天の立場を忘れるくらいに我を通す事など絶対にしない。
「そ、そんなに行きたいなら・・・」
「うん! 君と一緒に出かけられるなんて嬉しいよ」
嬉しそうなティアに、アシュレイも赤面しそうで慌てて横を向いた。君に会えて嬉しいとか、君と一緒で嬉しいとか。嬉しいけれど、照れくさい。これが柢王ならば気の利いた言葉の一ダースも返せるだろうに。そんな風に言ってやれない自分の不器用さにも腹が立つ。
「いいか、ちょっとだけだからな。見たらすぐに帰るからな」
念を押したアシュレイに、ティアは嬉しそうに同意した。自分と出かけることを、そんなにも喜んでくれているのを見ると、こちらも胸が温かくなった気がして恥ずかしかった。
と、いうわけで、ふたりは東領の花街に近い辺りにいたのだった。
賑わいは盛大だった。抜けるような晴天の下、大きな通りの両側にずらりと露店が建ち並ぶ。風にはためく幟。めずらしい品々が並んでいる。菓子や食べ物を売る店のいい匂い。美しい簪や宝石を売る店が一際人気なのは、すぐそこが花街だからだろう。着飾った美しい女たち、子供たちと、女たちを目当てらしい男たちとで通りはごった返している。
アシュレイは変化していた。衣装も足元までの長衣につば広の帽子。それはティアを小さな姿にして匿っておくためのものだった。中からは外の様子が透けて見えるようにはなっているが、完全ではない。ティアが帽子の中で小さく動いては、話し掛けてくるのがどこかくすぐったい。
東領へはよく来たが、祭りは久しぶりだ。景気のいいかけ声、典艶な音曲、人々の笑顔。ふいに、おなかの虫がぐうっと鳴いた。それが聞こえたように、ティアが帽子の中から尋ねた。
「ねえ、アシュレイ、いい匂いがするね。あれは何?」
「イカ焼きだろ。ティア、なんか食べたいのか」
話すのはあくまで小声。でないと危ない独り言だ。
「うん、君がおいしそうだと思うものがあれば食べてみたいな」
帽子の中からの答えに、アシュレイはよしと答えて近くの露店でイカ焼きを初めとして食べ物を買い込んだ。それを抱え、人気のない路地に入ると、辺りを確かめてからそっと帽子を取った。
「ふうぅ、やっと出られたよ」
なかからは掌サイズのティアが姿を現した。アシュレイの顔を見るとにっこり微笑む。賑わう通りの様子を伺い見て、
「やっぱりすごい人出だねぇ」
嬉しそうに笑うのでこちらも嬉しくなる。が、アシュレイは咳払いして、
「ほら、ティア。熱いぞ」
湯気を立てている串を差し出した。ティアがそれに抗議の声を上げて、
「これじゃ食べられないよ。ちょっと待って」
「わ、ティア、おまえっ」
ぱっと姿が消えたかと思うと、アシュレイの前には実物大のティアの姿があった。額の御印も鮮明な、外出用の美しい衣装のその姿はどこか見ても守天様だ。
「ティアっ」
「だ、だってこうしないと食べられないから。食べたら戻るから、ねっ」
すまなさそうなティアの顔に、アシュレイは何も言えなくなる。守天でなければそのまま出歩いても誰も何も言わないのだ。最初はティアも変化してはと話していたのだが、危険だし、東領の花街警護は他ならぬ柢王だ。アシュレイ一人ならばれても構わないが、ティアが一緒だとばれたら柢王は怒るだろう。
怒られるのが嫌なのではない。怒られて、ティアがすまながるのが嫌なのだ。
(俺がもっと強い武将なら・・・・・・)
自分が守天の警護にいるなら安心だと、誰もが確信を持ってくれるほど自分が強ければ、ティアにももう少し自由に振舞ってもらえるかもしれない。そんな思いに少しくやしくなって唇を噛んだが、ティアは初めて食べるイカ焼きに感激した顔で、
「色々なものがあるんだねぇ」
アシュレイが抱えている食べ物を見やる。
天界の統括者でも知らない事は山とある。それが嬉しいような悲しいような・・・。
「ティア、こっちも食べてみろよ、これは東領の名物なんだ」
「うん。あ、これもおいしそう」
ティアの前にあれこれ取り出すと、遠足に来た子供よろしく、ふたりで仲良く買い食いを楽しんだ。
そして、小腹も満たされ、再び小さくなったティアを帽子にかくまい、路地を出ようとした瞬間。げっと叫んで足を止めた。
花街の方からこちらへ向けて歩いてくる目立つ二人連れ。ひとりは黒髪で長身、ひとりは白い長髪に紫微色の肌。どちらも東領の軍の制服姿だ
アシュレイは慌てて路地に身を隠した。連れ立ったふたりは賑やかな露店の合い間を縫うように歩いてくる。風に乗って話し声が聞こえてくる。
「今年はずいぶん賑やかだなー。なんか年々派手になってる気がするぜ」
「花街も昼間から人が多かったですね。喧嘩が起きなければいいんですけど」
陽気な柢王の声に、桂花の冷静な声が答える。こっそり覗いてみれば、柢王は隣を歩く桂花の髪を突つくと笑って、
「心配しすぎだって。見てみ、これなんか似合いそうじゃん」
すぐ側の露店に並んでいる美しい首飾りのひとつを手に取ると、桂花の首に押し当てていた。紫水晶を嵌め込んだそれは、魔族の瞳と同じ色だ。
「あ、それともこっちがいい? これも感じよくないか」
「要りませんよ、柢王。買い物に来たわけじゃないでしょう」
桂花が首を振って先に行くように促す。どうやら花街警護の途中らしい。
「なんだよ、せっかく選んでんのに。一年に一度のことだぜ」
「この前も似たような理由で散在したはずですよ。いいから、早く行きましょう」
桂花は構わず、柢王の手を取って歩き始めた。
「なんだ、あいつらはっ! 昼間っからいちゃいちゃとっ。仕事しろよ、仕事をっ!!」
「ア、アシュレイ、声が・・・・・・」
高いとティアがいいかけたとたんに、ちょうど路地の前を通りかけていた桂花の足がぴたりと止まった。アシュレイはうわと身を隠した。
「どうした、桂花」
「いま、サルの声が聞こえたような・・・・・・」
桂花が辺りを見回すのに、誰がサルだっ、アシュレイは心で叫んだ。だが、心臓はバクバク、頭の上のティアも緊張しているのがわかる。
「まさか、アシュレイがいるわけないだろ」
「まあ、そうですよね。守天殿の声もしたような気がしたんですが、まさかね」
鋭すぎる桂花の聴力に、隠れたふたりはヒイッとすくんだが、幸い、
「おまえ、働きすぎだって。たまには息抜きしないと。お、あれ、うまそうだ」
「柢王、買い食いは禁則です」
ふたりの声は風に流れて遠ざかり、すぐにかき消えた。
「あのクソ魔族ッ!誰がサルだ、誰がっ」
もう絶対に聞こえないと確信してから、アシュレイは怒り狂ったが、ティアは帽子の中から笑い声を立てて、
「でも、おもしろかったよね。かくれんぼみたいで」
それから、しみじみした声で、
「連れて来てくれてありがとう」
口を開きかけたアシュレイは無言になった。こんなことくらいで、ありがとうなんて。
「さあ、さっさと見て回るぞっ」
わざとぶっきらぼうに言って、路地を出た。大股に、柢王たちとは逆の方向に歩き出して、ふと足を止めた。
さっき、柢王が桂花に首飾りを勧めていた露店。黒い布の上に並べられた月長石の耳飾りにふと目が止まる。月の光を閉じ込めたような、優しい乳白色のその石に、ついふらふらと手を伸ばし、買い求めてしまったのはどうかしていたとしか思えない。
「ねぇねぇ、何を買ったの? よく見えなかったけど」
興味津々、尋ねたティアに、
「なんでもねぇよっ」
赤くなった顔をそむける。ティアが帽子の中でよかった。
賑わう通りをひととおり、帽子の中と外とで会話しながらの散策。
(俺にできるのはまだこの程度・・・・・・)
なのに、ティアが本当に喜んでくれているのが嬉しいのとくやしいのとで、アシュレイは複雑な顔をして人ごみを歩き続けた。
八紫仙が待ち受ける天主塔にこっそり戻ってきたのは数刻後。
「若様、若様、どうかお開け下さいませェェェェ」
結界を張っておいた執務室の分厚い扉を叩いて懇願する声に、アシュレイと、元の姿に戻ったティアは顔を見合わせた。
「んじゃ、俺は帰る」
執務に自分は邪魔だろう。ティアはうなずいて、
「アシュレイ、今日は楽しかったよ。本当にありがとう」
その笑顔のまぶしさが恥ずかしくて、ポケットに手を突っ込むと、耳飾りの包みを無造作にティアの机に放り出し、
「俺が帰るまで絶対に開けるなよッ」
「あっ、アシュレイっ」
ティアの驚いた声を背後に、バルコニーから飛び立った。
(見てろよ、絶対、俺が強くなるから)
責任=不自由ではないのはわかっているが、その身の自由を少しでも広げたい。ティアのために、強く強くゆるぎなくありたいのだとずっと前から願って来ているのだ。
体に押し寄せる風圧が、ヒヨコないまの自分となすべき誓いの強さを思い知らせるようで。
挑むように、ぐいと高みを目指すアシュレイには、執務室の机の前、包みを開いて感激したティアが、うるうる瞳で空を見上げ、
「あああ、今度は春祭りだよねぇっ」
一人勝手に夢見ているのを、知るすべは、全くなかった──。
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