投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
発端は薬屋『夢竜』に投げ入れられた一通の封書だった。
中には、オープンを間近に控えた郊外のショッピングセンター、通称『冥界センター』から出店勧誘を綴った文書と、数枚の写真。
―――――― 追伸
―――――― お身内の方、こちらを大変気に入られたご様子。
―――――― 店主殿も一度参られたし。
朝一番で新規の客に薬を届けに出たはずの柢王だったが、昼近くになっても姿が見えない。てっきりまたどこかで道草でも食ってるのだろうと思っていた。
「………はぁぁ」
我知らず、ため息がもれる。
面倒ごとを持ち込むようで気は進まないが、ことは自店だけの問題ではない。黙っているわけにもいかないだろう。
店を閉め扉に『本日閉店しました』の札を下げると、桂花は自治会長を務める守天の店『天主塔ベッド』へと急いだ。
そして、桂花に手渡された封書の中身を改めた守天によって、商店街の店主・またその代理たちが緊急招集されたのだった。
「…あンの、くそバカヤロウがーーーーーーーっっっっっ!!!」
アシュレイの全身から怒声とともにうっすらと白い煙が立ち昇る。
鮮魚店『阿修羅』は今日も店主代理のアシュレイが燃えに燃えている。
「桂花殿の店が引き抜かれるとなると…」
「商店街としてはつらいですな…」
アシュレイほどではないが、そこここでざわめきが起きている。
「……桂花っ」
桂花の服の袖口をツンとひっぱってカイシャンが不安げに呼びかける。
「大丈夫ですから」
安心させるように優しく微笑む桂花に、不謹慎ながらカイシャンの頬は真っ赤になる。
「柢王だって、悪気があってのことじゃないんだし…」
「悪気があるなしの問題じゃねえ! 簡単にとっ捕まるようなバカさ加減に呆れて、はらわた煮えくりかえってるだけだっ!」
守天の幼馴染へのフォローの言葉も、もうひとりの幼馴染には全く効力がない。
「商店街が足並み揃えて頑張っていかなきゃいけねーってときに、あンの色ボケ野郎一人のせいで薬屋が引き抜かれでもしたらっ…近所の腹痛のガキや、腰痛や関節痛のじいちゃんやばあちゃんたちゃ不便で仕方ねーじゃねーかっ!」
「うんうん、君の言うとおりだよね」
相変わらず「商店街・命」、「隠れご近所の星」であるアシュレイの真っ赤な眼(まなこ)を潤ませての気合の入った熱弁は情にあふれている。
守天の熱いまなざしとは別に、アシュレイの心意気に老店主達はありがたがって拝みだす。
「とにかく、」
突然召集された商店街のおもだった面々は、いっせいに桂花のほうに向き直り、生唾飲み込みつつ次の言葉を待った。
「柢王は、吾が引き取りに行ってきます」
薬屋の店主の手の中で、紙切れがぐしゃりと音をたてて握りつぶされる。
「あちらの好き勝手にはさせません。柢王と一緒に、必ずここに戻ってきます」
桂花の一言に、老店主たちが沸き立った。
ひとりアシュレイだけが小さく舌打ちしたが、誰の耳にも届かなかった。
使いの帰りだった。
柢王が道端にうずくまって苦しんでる妙齢の娘を見つけたのは。
「どうした、娘さん」
「…急に差し込みが」
お約束だなぁ、と思いながらも都合よく目の前に建ってる宿に連れ込んだ……まではよかったのだが、そこからの記憶がない。
(どこだ、ここは。つか、なんで俺は縛られてんだ?)
皆目検討がつかない。
五十畳ほどの和室のほぼ真ん中あたり、ご丁寧にも座布団の上にあぐらをかくような格好で両腕を天井からロープで一くくりに縛られて寝こけていた自分。
ロープもどうやら特殊性らしい。ちょっと力を入れてみたが尚更腕に食い込んでくる。
一瞬そういうプレイかとも思ったが、…たぶん違う。いや、きっと。
(部屋に通されて…そうだ、なんだかいい香りがするなぁと思ったら…急に眠気がして……)
桂花に知れたら冷たい目で見られんだろなー、ま、死んでも言わねぇけど、などと思ってると、
「お目覚めか」
突然目の前のふすまがスパッと真ん中から両側に開いて、これまた五十畳ほどの広さの和室が眼前に現れた。
その中央より幾分こちらよりに、脇息にもたれ無駄に長そうに見える黒髪を畳に散らした男が、着流しみたいな着物でゆったりと座している。
「…暑苦しぃ」
「なにか言ったか?」
「や、なんにも」
にこっと人好きのする笑みで答える柢王に、男は楽しそうに微笑み返す。
「もうすぐそなたの主人が来る」
「へ?」
「あれほどの美形に囲われながら、それでもこんなちゃちな手にひっかかるとは…くくくくく」
「………………」
こんなちゃちぃ手にひっかかった、美形の囲われもの。
(――なるほど)
なんとなく、自分の立場が見えてきた。
「主人が来たら、勧めてくれぬか? 冥界センターへの出店を」
「出店…?」
(そういえば――――)
確か今度新しくできるショッピングセンターのオーナーの名前が冥界教主、そしてその名を取ってセンターの通称は冥界センター、だが、オープン間近のセンター内に未だ空き店舗がいくつかあるらしい…などなど、そんな話を前に商店街の寄り合いで小耳に挟んでいた。
ついでにそのオーナー、三メートルはあろうかという長髪だとかで、「いったいトイレのときどうしてんだ!?」と話題が集中してたのを思い出す。
三メートルなんてありえねぇし、人様のトイレ事情なんてどうでもいいだろ、と思ってた柢王だったが、
(マジ、トイレのタイル掃除しながら用足ししてんじゃねぇか?)
と、どうでもいいことを考えた瞬間。
「…ああ返事の前に、これを」
ピッ…と男の手から大判サイズの紙切れが一枚飛んできた。
「…………なんじゃ、こりゃーーーーーー!!!」
「くくくくく、若いということは難儀なことよの。ちゃんと引きのばして送っておいたぞ」
縛られて頭だけ突き出す格好の柢王にも、綺麗に細部まで見てとれるほど鮮明な、素敵に合成されたエロ生写真。
モデルは先ほどの差し込み娘と、囲われもの。
囲われものの主人は、こんなものに騙されるほどバカじゃないし、こんなことで嫉妬を見せてくれるほど単純でもない。だが、しかし……。
「はぁーーー」
柢王は深く溜息をつくと、男に訊いた。
「出店だけか?」
「いまのところはの」
「…はぁぁぁ!?」
「おまえの主人の髪、」
「髪?」
「なかなかよいの」
(…………はっ?)
寒気を覚えながら、勇気を出して突っ込んで訊いてみる。
「それはそのー…どういった意味、で…?」
「意味とは? よいからよいと言ったまで」
難問だ。
しかし、この男、どうやらホンモノ(の危ない人)らしい。
「冥主様、もう少し詳しく教えてさしあげないと、変なレッテル貼られてますわ」
男の斜め後ろに控えていた赤毛の女が口を挟む。
柢王の目は明らかに変質者をうかがうそれだった。
「ほほ。参ったな。…これを」
ピッ…と名刺が飛んでくる。
柢王の目の前の畳に突き刺さったそれには『全国ロン毛協会 名誉会長 冥界教主』とある。
(ロン毛…?)
「…って、そっちの勧誘かーっ!? つか、なんだよそのロン毛協会つーのは!!」
「読んで字の如く、ロン毛のロン毛によるロン毛のための協会、略して『全ロン会』。会員同士シャンプーやトリートメントの話はもちろん、ヘアーエステなどなど、髪にまつわる全ての話で盛り上がる。…フフ、楽しいぞ?」
「…うっ…」
「どうした?」
は、吐き気が…。
とは言えないので、ぐっと我慢。
「桂花殿の髪、編んでみたい。昼間はきつく、夜はゆるめに……」
ふ…ふふ………ほほほほほ……と教主の静かな笑い声が不気味にこだまする。
桂花(の髪)はホンモノ中のホンモノのおめがねにかなったらしい。
(……最悪だ。だが、そうと分かれば長居は無用)
柢王が(一応建物内であることを考慮して)ロープが切れるくらいの微力な雷光を試そうとしたとき。
「この建物には避雷針が、そしてこの階には低圧避雷器が取り付けてある。雷使いとの噂を聞いていたので最新設備でお出迎えしてみた。自由になるくらいの小さな力は使えぬはず。さりとて、建物内で大きな力は尚更使えまい?」
(……このトイレ磨き野郎!!)
全くその通りな教主の言葉に、柢王は心で盛大に悪態をつく。
来るんじゃねーぞ桂花、と念じつつも、来るんだろうなーと厄介ごとの種を自らまいてしまった自分にトホホな気分の柢王だった。
そんな柢王の念も空しく、商店街ではいよいよ桂花が『天主塔ベッド』を出て冥界センターへと向かうところだった。
「桂花、ひとりは危ないよ。…そうだ、山凍殿! 山凍殿に一緒に行ってもらってはどうだろう」
「私でお役に立つなら」
守天の提案に、肉屋『毘沙門天』の主人・山凍が一歩前に進み出る。
「お気遣いありがとうございます。ですが、向こうの指定も吾ひとりですし」
「でも桂花…」
なにかといつも気にかけてくれる自治会長の守天の心配げな様子に、桂花は心が温かくなる。
「もしなにかあれば冰玉を飛ばしますから。守天殿も山凍殿も…」
桂花は、心配気に守天と桂花のやり取りを見守っていた周りに目を向ける。
「皆さんも、そのときは柢王をお願いします」
微笑む桂花にそれ以上は言えず、守天は桂花の手を取り「気をつけて…」と皆とともに送り出した。
「桂花、これっ」
商店街のアーケードを出たところで、やっとで桂花に追いついたカイシャンが息せき切って握りこぶしを差し出してきた。
「元気玉。もしつかれたらこれなめて。おじいさまに頼んで俺がこねさせてもらった奴なんだ。…ちょっと不恰好だけど、絶対元気になるから」
「わかりました」
安心させるように優しい声音でしっかりと飴玉を受け取る。
「戻ったら『モンゴル亭』にお茶しに行きます。お茶受けは任せます。用意して待ってて下さい」
「うん…!」
まだ整わぬ息の子の頭を撫でて、桂花は敵地へと足を進めた。
「…で? どうしてあなたがついてくるんですか」
「・・・・・・・」
「…まあ、想像はつきますが」
守天のためだろう。
もちろん、柢王とは幼馴染で今でも親友らしいが、それよりなにより守天の心配事を自分が解決してやりたいとでも思っているに違いない。
「邪魔ですから、ついてこないで下さい」
「…………」
「聞こえませんでしたか?」
「俺の行く前をおまえが歩いてんだろっ!」
「…はあ?」
「おっ、俺は、別におまえの後をつけてるわけじゃない!」
「偶然ですか」
「そ、そうだ! 偶然たまたまだっ!!」
「…そしてたまたま柢王のとこまで来ちゃった、と」
桂花はため息をつくと、右の拳を握りこんだ。
「そ、そうだ。文句あるかっ」
(文句もなにも……)
すでにふたりは封書で「参られたし」と指定されたショッピングセンター内の事務所前、つまり柢王監禁ポイントに到着していた。
その上階では、教主ご自慢のホームシアターシステムにより壁一面に桂花とアシュレイの様子が映し出されている。
(この画面のデカさって……)
違法じゃねーのかっ!?、と心の中で訴えてみた柢王だったが、自分の置かれている状況自体犯罪のはず。
(この手合いに法律なんざ関係ねーか)
「これはこれは…」
――― ロン毛がひとり、ロン毛がふたり…。
うなずきながら目じりを下げ口角を上げたの笑みの下、桂花とアシュレイを数える教主の声なき声が聞こえた気がして、柢王は身震いした。
秋の風が吹く頃、王宮は大都へ居地を変えていた。
木々は黄葉し黄金の秋といったところだが実際は霜が下りる冷えこみだった。
「ありがとうございます」
桂花からニレとヒイラギの枝を受け取りシビュラは笑顔をみせた。
大都の街から馬で少し行くと小さな草原が広がっている。上都ほどではないが薬草、野草も採れるし、小動物も生息しているので王宮の狩りにもしばしば使われる。
桂花は薬草の補充の片手間にシビュラが探していた木々を届けてやった。
「古代ケルト人のまじないか?」
フビライは邪教、まじないを嫌う。ニレとヒイラギは魔を払う、そして今日は万聖節の前夜。あたりをつけた桂花は一言進言しておこうと口を開いた。
「ええ」
シビュラは頷いたものの、少し首をかしげ続けた。
「でも、これは私の村に伝わる古い占いですわ。百年に一度の。今日は特別、全世界の空間、時間を制御するものが止まるそうです。月を映した水面に7種の野草と代々伝わるこの石を砕き入れると己の至宝が見えると祖母から聞きました。祖母もそのまた祖母から聞いたと言ってましたが」
空間も時間も飛び越えて。
魂が・・・。転生していても。
ふふ、馬鹿な。
いつになく真に受けた己自身に桂花は苦笑する。
「桂花様にもお分けしますわ」
「いや吾は」
「桂花様は人待ち顔をなさってる。会いたい方がいらっしゃるのでしょう」
シビュラは静かに微笑んだ。
それ以上彼女は何も言わなかった。
そして占いに必要な木々と7種の野草、石のかけらを包み桂花に渡した。
夜半過ぎ。月は一段と大きく赤く輝いている。
桂花は館を抜け出した。
心は否定している。そんなことがあるものか、人間が作り出した戯れごとだと。
だが、それでも、一目でも柢王に会えるなら。
桂花は操られるかのよう昼間の草原へと馬を走らせていた。
草原の入り口に馬をつなぎ、森の奥にある小さな泉に足を向ける。
その泉は天界で柢王と暮らしていた家屋の裏手にあったものと似ていた。
泉の周りにニレ、はしばみ、ヒイラギの枝を刺して魔を払う。
そして水中に7種の野草とシビュラにもらった砕いた石の粉を浮かべた。
揺れる水面を桂花は食い入るように見つめる。
「・・・ふふふ、やっぱり何も起こらないじゃないか」
視線をはずし半分安堵しつぶやく。と、静まりかえった森に突如一陣の風が湧き起こった。
ザワザワと森の木々が乱れ揺れ、落ち着きかけた水面が荒立つ。
波打つ水面に黒い影が浮かび上がり徐々に型をとりはじめた。
それは、やがて人型となり桂花の待ち望んだ姿が映し出された。
「柢っ・・・王」
桂花の声が絞り出され、伏せられた柢王の目が開きかける。
――――――バシャッ――――――
桂花が右手を泉にたたきつけた。
水面は激しく揺れる。
映し出されていた像は散り乱れ・・・やがて消えていった。
桂花は肩で息をしていたが、屈んでいた膝の力も抜け、やがてズルズルと座りこんだ。
「―――柢王っ・・・。会えない・・・今の、今の吾は・・・」
見せられない。あなたに見せられない。
柢王がなによりも大事にしていた守天、アシュレイを裏切り、さらには柢王を殺めた者の僕に成り果てている吾など。
桂花の頭の中で教主の楽しそうな笑い声が響きわたる。
桂花は唇を噛み締める。強く噛み締めすぎ赤い血が唇から滲み出した。
赤い血。それすら教主に再生されたものだ。
それでも、ひたすら桂花は耐える。耐えるしかなかった。
静けさを取り戻した森は息吹すら感じない。
泉は怪しく光る月をただ、ただ映すだけだった。
花街の倉庫が小火を出したのは未明のこと。
近くで上げられていた花火の火の粉が飛んだとか。幸い、側に警護の者がいたのと、店の者の発見が早くてすぐに消し止められた。
忙しさに倉庫の中身を忘れていたその店の女将は、いい機会だからと倉庫の虫干しを決めたらしい。
そんな報告を柢王と桂花が受けたのは数日前のこと。万事めでたしと忘れていたその件を、思い出したのは今日の午後。
花街警護の最中に、その店の女将に呼び止められた時のことだった。
女将は先日の警護の働きに丁重に礼を言った後、柢王たちに見せたいものがあるのだと切り出した。
なじみのその店の座敷に通され、柢王は、微笑んでいる女将を見て尋ねた。
「それで、見せたいものってなんだよ」
女将はそれに笑って、
「はい、先日、倉庫の整理を致しましたでしょう? その時に、昔の姿絵がいくつか出て参りましたのですけれど」
花街では、人気のひいき客の姿絵を飾るという風習がある。店の宣伝のようなもので、現在最も人気があるのは他ならぬ柢王のものだった。
女将が机に並べてくれた絵は、たしかに飾られていたらしい、色褪せてはいるが当時の客たちの様子がよく窺い知れた。髪型や服装、
顔立ちにまでいささかの変遷があるのは、天界といえど、流行り廃りがあるからだ。
なかでも強烈なのが、柢王がいま手にしている一枚。
金の髪の貴族的な顔立ちの若い男が、滝のようなフリルのブラウスにこれみよがしに刺繍の入った上着を着て、右斜め45度の角度
から満面の笑顔を見せている絵姿。
東領はたしかに祭り好き気質で、王も美しいものは好むが、西領ほど華麗を好む土地柄ではない。こんな姿はめったに見られるもの
ではなかった。
「すげぇ」
酒の勧めは桂花に却下されたので、熱々の茶を片手に呟いた柢王に、女将は裏書を見るとああとうなずいて、
「こちらは先代の守天さまがおいでの頃ですわ。あの頃はこうした衣装がたいそう流行りましたのよ。薄物も人気で。この方のはまだ
大人しいほうですわ」
「これで大人しいんですか」
桂花も思わず口をはさむ。天主塔で手伝いをする時に着ているびらびらの衣装さえ派手だと思えるのだが、この男のフリルはその十
倍はありそうだ。
とはいえ、先代の守天は天主塔をして『淫魔の城』と呼ばしめた『好色一大(受)男』。噂では相当の華美を好んでおいでだったとか。
「世が世なら、柢王、あなたもこんな格好で・・・・・」
「マジでやめろよ」
フリルふりふりに微笑む柢王を想像して、ふたりはぞっと背筋をふるわせた。
「でも、見せたいもんってこれか」
尋ねた柢王に、女将はいいえと答えると、文箱から大切そうにいくつかの絵を取り出した。
「こちらですの」
白銀に近い洗練された衣装と、こちらを見ているきりりとした面。端正で、すずやかなその美青年は・・・。
「これ、蒼龍王さまでは?」
「親父?」
柢王が慌てて覗き込むのに、女将は頷いて、
「ご即位なさって間もない頃だと思いますわ。あの頃から、蒼龍王さまの姿絵にはとても人気があって。わたくしも懐かしくて、
ぜひ柢王さまに見ていただこうと思いましたの。なんでしたら、お持ちになって蒼龍王さまに差し上げてくださいましな」
過去を思い出すようにうっとりとした顔を見せる。
柢王の父である蒼龍王の即位といえば、人間界でいうビフォア・センチュリー。この絵だって人間界で見つかれば世界遺産の年代物だ。
「これが親父かよ・・・」
想像すらしたことのなかった父親の若かりし日の姿に、柢王ははああとため息をつく。横から覗いていた桂花が、ふいに、
「なんだか、柢王に似ていますね。さすがに親子」
「あら、わたくしもそう思いましたのよ。柢王さまにそっくり」
感心したようなふたりの意見に、柢王はやめろよと首を振った。
「ってことは俺が年取ったらああなるってことかよ。冗談じゃねえぞ。第一、親父のやつ、老け顔だろ、俺とは全然似てないって」
「あら、でも、お目もとの感じとかお顔立ちが・・・・・・」
「ええ、口元も似ていますよ。いままで考えた事はなかったけれど、柢王、やはりよく似ていますね」
畳み掛けるふたりに、柢王はまじかよと叫んで頭を抱えた。
若者にとって、自分の未来予想図を見るのは確かに楽しい事ではない。が、全く似ていなければそれも問題には違いない。
若い頃の父親の姿は、たしかにその三男坊によく似ていた。意志の強そうな瞳。笑みを浮かべた口元。与えられたものは決して悪くはないものだ。
「はぁぁ。まあ、親父は嬉しいだろうな、これを見たら」
女将が渡してくれた何枚かをめくりながらため息をつく。
柢王本人には自分が歳を取ったらどうなるのかのモデル・データのようなものだが、いまだ現役を自負する父親は自分の若かりし
日の姿を見れば喜ぶだろう。それを甘え上手の三男が持って行けば、母親には言えない過去の自慢話を酒の肴に話してもくれそうだ。
「親孝行しろってことかよ」
女将の笑みにそんな意図を感じて、最後の絵を眺めようとした時。
「柢王、その絵、二枚が重なっているようですよ」
貫禄あふれる男盛りになっていた絵の裏に、もう一枚、絵が張りついている。
「まあ、わたくしも気がつきませんでしたわ。きっと糊がついているのかも」
「ほんとだ。まあどうせ同じような絵だろうから、多少傷がついたってかまやしねぇだろ」
柢王は笑って、二枚の絵の間に指を入れると、べりっとはがした。
「どれどれ」
大して期待もなく覗き込んだ柢王の顔が、げッと強張る。何事かと覗いた桂花と女将の顔も同じだけ硬直した。
見てはならないものを見てしまった沈黙が、重く座敷に垂れ込めた。
色褪せ、一部ははがれかけたその絵に映し出された蒼龍王の絵姿。
もういいかげん壮年の、貫禄あふれる威厳ある王が、ナイアガラのようにこぼれ落ちるフリルとこれでもかといいたげな刺繍の
上着をばっちり着込んで、右斜め45度に、渋いスマイルでキメているその姿・・・・・・。
流行の恐ろしさは、それが過ぎた後にまざまざと押し寄せるということを、人生初期の柢王たちと人生半ばの女将とがまざまざ
と思い知った瞬間だった──
「火・・・火を持ってきてくれっ」
柢王が胃痙攣でも起こしたような引きつった声でそう叫んだのはしばらくしてから。すぐにっと座敷を走り出た女将が廊下をバタバタ鳴らす音が響く。
「・・・柢王」
桂花が絵から視線をそらして尋ねた。
「なんだ、桂花」
柢王も握り締めた絵には視線を戻さない。
「その、絵・・・ですけど、それ、飾るための絵、でしたよね・・・・・」
確認するように言った桂花に、柢王も右手をふるふる震わせて、
「そう、飾るための、な──あんのくそ親父っ!! よくもこんなもん飾らせやがってたなっ」
流行というのは恐ろしい。おかげで柢王も桂花も女将も、壮年になった柢王がフリルふりふりで微笑んだらどうなるかがよぉく理解できた。
「いいか、このことは絶対に内緒だぞ。俺たちだけの秘密だからなっ」
火鉢の上で燃え上がる姿絵を、それがこの世から消滅するまで見届けると決めているように睨み続けている柢王が、後で正座している桂花と女将に念を押す。
後ろのふたりは、はいと答えた。
桂花はもちろんだが、女将も、当時はそれを見てどう思っていたかはともかく、時の流れが理性を取り戻させたいま、四国の要と称えられる蒼龍王の、見てはならない過去を封印せねばならない必要性は強く理解しているらしい。
他の絵を一巻にして筒に収めると紐をかけて、
「こちらは時期がきたら蒼龍王さまのお手元にお送りして、絵のことは一切忘れてしまいましょう」
強い口調で進言するのに、柢王も桂花もうんと強く頷いた。
そして、みんなで息をつめ、一致団結、証拠が燃え尽きるのを見守った。
天界に機密事項はままあれど、この秘密の存在は、限りなく重い──。
永遠に続く春の盛り。終らない春。枯れることを知らぬ花々。
それは世界がとこしえに変わらぬことの証なのかも知れなかった。
「守天さま、ともかくもう少し身をお慎み下さいませ」
八紫仙のひとりが憔悴したように言葉を続ける。
「守天さまは天界に唯一の尊い御身。その方があまりに羽目を外されては世界に示しがつきませぬ。今日も今日とて、
執務半ばであのような・・・・・・」
言いにくそうに咳払いをする。
「尊い身のなさりようにしてはあまりに奔放に過ぎるとはお思いになられませぬのか」
嘆くように訴えるその姿に、目の前の麗人はいつもの妖艶な笑みを浮かべて答えた。
「奔放に過ぎるなどとは思わないよ。だって、悩みがある者だからこそ、私の腕の中で癒されるのだろう?
悩みがひとつもないような者ならば、私の手など求めはしないよ」
「それは詭弁と申すものでございます。現に・・・」
「現に世界は平和だと、私の目には映るけれどね」
ネフロニカは、御印のある美しい面に笑みを浮かべて遮った。
「終らぬ春、護られた天界。人間界だって大きな事件も起こらずに、この世は全て平和。まあ、私のおかげと
は思わぬけれど」
「守天さま」
言いかけた八紫仙に向けた麗人のまなざしを、慈悲と呼ぶか、高貴な冷酷と呼ぶかは見る者次第だろう。
「でも、まあ、こうして書類も山積みだし、そなたも私の仕事を思い出させてくれたことだし、少しは役目を
果たす事にするよ。しばらくは誰も近づかぬように。そなたたちが、私の仕事を手伝ってくれる意思があると
いうのなら、心に憂いなど抱えず、私をひとりにしてくれるのが一番だよ」
出て行けと、はっきり言葉で告げるよりも、凍りついたような瞳の笑みがその意思を告げる。
八紫仙のひとりもいくらか体をこわばらせ、
「で、では、御用の際にはお声をかけてくださいませ」
そそくさと、礼を取り、部屋を後にする。
扉が閉まる瞬間に、守天が浮かべた謎めいた笑みは、八紫仙には届かなかった。
「終らぬ春、か」
窓の外に続く美しい空と花々の咲き群れる庭とに目をやり、ネフロニカはその瞳を細めた。
守天と閻魔の結界に護られた天主塔は、とこしえに春の続く世界の楽園。美しく護られたその場所で、守護主天は人々の心を救い、愛しむことに専念する。
天界の絶対権力者の、それが真実。
「私のおかげで世界が救われているというのなら、その証を見てみたいものだよね」
うずたかく机の上に積まれた書類はこの世の悩みの総括とも言うべきもの。
何代も守天はこの世に降臨し、その度ごとに世界は救われ、終りない春が続くようにそれは繰り返される。永遠に。
ただひとりの身がただひとりの生涯を終えるまでに、この世の全てが癒されるなど、信じる事などできるはずがない。
「この世はきっと私なしでも美しいよ」
ただ人間を、愛し、愛しむだけならばどんなにか楽だろう。
誰かを納得させる生き方など不可能だと叫んでよいのなら、あるいは、守天とは完全に慈悲深く、
自由な存在だと言えたかもしれないが。
自分の存在を、鍛え、変わり続けなければ、与え続ける日々に精神が輝きを失い、磨耗する。
それでは守天の役割は果たせない。もしも変わり続けることができなければ、いっそ心を閉ざして生きるしかないが、
それもまた守護主天の生き方ではない。
「永遠に命でもあればねぇ・・・」
他人の期待など振り切るように、この世を愛し続けもできるかもしれないが。
世界はあまりに重く、命は尊くて、それに比べてこの身はあまりに軽く、もろい。
それでも──
肩をすくめ、執務机について書類をめくり始めた守天の頬には、誰にも見せぬ笑みが浮かんでいた。
なぜなら、かれはわかっていたから。
自分が何者かを。
時に、耐えがたいほど深い心の奥底で、この世を愛している。変わり続けることがどれだけ自己を傷つけていくか承知している。
それでも、いま、世界はここにあり、存在もまたここにあるのだ。
過ぎた奔放などありえるはずがない。確かなものを欲しいと切望する脆さ。そう願う自分を受け入れる強さ。
絶望と慈しみとはゆれ動く秤の両端なのではなく、互いに、それが存在するというだけの真実だ。
その真実こそが、今生の守護主天の存在の全てなのだ。
きっと世界が救われるのは、誰もが守天の手を必要としなくなるときだ。
だが、それまでは──
命を慈しむ何者かが、この世を愛し続けるのも悪くはないだろう。
たとえそれが、存在の耐えられないほど、儚く、小さな、ただひとりの身だとしても──。
柢王は、女の名前は一度で覚えても、花の名前などまったく覚えない男だ。
そんな男が花街警護の帰りに、うきうきと腕一杯の花束を抱えて戻れば、誰だって浮気を疑う。
桂花は凍るような瞳で、嬉しげにその花束を見せた柢王の顔を仰ぎ見た。
「きれいだろ、春の花だぜ」
笑顔で差し出すそれは、純白の花弁を開かせた種類様々の花々。甘い香りが部屋中に広がる。
桂花はそれに、ええと答えた。たしかに、それは春の花だ。
「ええって、それだけ?」
柢王が、がっかりしたように尋ねる。桂花は冷ややかに、
「あなたが春の花だと言うから、返事をしたんですよ。柢王、どうしたんです?」
桂花は美しいものはきらいではないが、特に花に関心があるわけではなかった。
というより、桂花の植物への関心は、それが食えるかとか薬になるかとか、サバイバルに関する事が中心なのだ。
「どうしたって、記念日だからさ。おまえが気に入ると思ったのに」
柢王が面白くなさそうに唇を歪める。
「記念日?」
首を傾げた桂花に、
「俺たちが出会った記念日」
柢王がきっぱりはっきり言って寄越した。桂花は目を見開いた。柢王はその顔を見て、
「やっぱり、おまえ、覚えてなかったな」
「だって、柢王、そんな・・・・・・」
桂花は慌てて首を振った。
人間界で柢王と出会ったのは天界の時で二年前。小さな島国がいろとりどりの春の花で彩られていた時期の事だ。
魔族退治に来ていた柢王に出会い、天界に連れて来られて、傍らで暮らし、様々なことを経て、いま桂花は柢王の
恋人として、東領元帥の副官として存在する。
そのきっかけになったのは、たしかに、最後に月を見たあの夜。柢王に出会った日のことなのだが。
「魔族には記念日を祝うような習慣はないんですよ、柢王」
魔族には歳月に関心はない。自分がいくつかさえ、桂花は知らない。時間の概念も存在の価値観も天界人とは違うのだ。
だから、と、慌てていいかけた桂花に、柢王は笑って首を振った。
「いいっていいって。おまえがそういうのは気にかけないだろーなとは思ってたからさ。ま、だから、俺が先に祝う
んじゃんか。今度の時は、おまえも祝ってくれるよな」
「今度?」
「そ。来年もその先も、俺たちが一緒にいる永遠、ずっと」
「ずっと・・・」
桂花は呟き、柢王の顔を見つけた。
瞳をきらめかせてこちらを見守っているその笑顔。
魔族は、命に関心がない。ただいまその場に存在する、それを全てにしてきた自分に、望むこと、命を想うことを
教えてくれた人。
かれは、この先もずっと一緒にいようと、この運命が生まれた日を祝ってくれるのだ。
桂花の頬に笑みが浮かんだ。
百の花束よりも、その優しさが嬉しいけれど。
「ええ、柢王。来年は吾もお祝いしますよ。きれいな花ですね」
「桂花っ」
呼ばれて、桂花は振り向いた。
吹く風がきらめく草原をゆらすモンゴルの遅い春。足元に広がる小さな花々。走って来た子供が満面の笑顔でその右手を
差し出す。春の、白い花をつけた小さな野草。
「今年、初めての花だぞ、きれいだろう」
誇らしげにそれを差し出す笑顔に、桂花は、一瞬言葉をなくした。
が、
「きれいですね、カイシャン様」
すぐに微笑み、そう告げた。
そう、今度はすぐにきれいと言える。心から。
春の花は、春の命。
それを愛しむ心は、命を愛しむ心だと、いまはもう知っているから。
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