投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「わあ、アシュレイ、すごい人だねぇ」
頭の上からティアの感心した声が聞こえる。
「あんまり動くなよ、ティア。落ちたらどうすんだ」
「あ、ごめんごめん、つい珍しくって」
「それはわかるけど」
事の起こりは、アシュレイが昨夜、ティアを尋ねて天主塔に行ったこと。
アシュレイもティアには逢いたい。だが、逢うと必ずといって良いほどセクハラまがいかそのものの歓迎を受けるのがいつまでも慣れない。そんなことしなくても好きだろっと言いたい気持ちと気恥ずかしさと。あるいは、誰かがそこまで自分を求めるその激しさが怖いのか。
たが、昨夜のティアは違った。バルコニーから入ってきたアシュレイに瞳を輝かせて歓迎してくれたが、どこか元気がない。
「どうした?」
尋ねると、ティアは苦笑いして、
「一昨日、柢王も戻ってきてね。桂花を迎えに来たんだけど、そのとき、明日が東の秋祭りだって言っていたんだよね」
柢王は、アシュレイともティアとも幼馴染の東領の第三王子。元帥でもあるかれは、人間界で出逢った魔族の桂花を副官+恋人としていつも側に置いているのだが、人間界に行く時には桂花の身の安全を考えて天主塔に預けていくのだ。桂花は、アシュレイの嫌いな魔族ナンバーワン。逢わなくてよかったと胸をなでおろすかれに、ティアは微笑んで、
「お祭りって聞いたらなんだか羨ましくて。秋祭りなんてするの、東領くらいだものね」
東領は生粋のお祭り好きの住む土地──享楽に聡い国民性というのか、王家が保護する一大歓楽街の花街が堂々と営業しているのも東領くらいだ。地上でなら神と呼ばれる立場のものがお祭りもないだろうに、東ではよく賑やかな催し物が開かれる。
「でも、祭りって、花街に近い一画で見世物市や露店が出るだけだったと思うぞ」
その規模は大きいが、珍しいほどでもない。答えたアシュレイに、ティアは笑って、
「でも、私には縁がないからね」
天界の統括者であるティアは、幼い頃から執務に就いていた。柢王やアシュレイと出逢った文殊塾以外、どこへ出かけるのも大規模な警護がついて、自由気ままに出歩くことなどまずない。その存在が天界の光と称えられる絶対唯一の身には、過ぎた警護などないのではあるが。
「行きたいのか」
尋ねたアシュレイに、ティアは笑って、
「見てみたいかなあとは思うけど、まあね、仕方ないよね」
悟っているような返事に、アシュレイは顔を曇らせた。ばれたら絶対にやばい。だが、ちょっとだけなら・・・ティアはたまに東領での船遊びの招待を受けたりもしている。だから、
「ほんのちょっとだけなら・・・隠れてみるくらいなら」
思わず、呟いたアシュレイにティアが驚いた顔をする。
「えっ、連れて行ってくれるの?」
「お、俺はただっ、そんなに見たいなら・・・・」
「アシュレイ!」
ぱっとティアの顔が輝いて、アシュレイは言葉を続けられなくなった。ティアはわがままは言わない。温厚で、優しくて、本当は芯の強い、きついところも持ってはいるが、守天の立場を忘れるくらいに我を通す事など絶対にしない。
「そ、そんなに行きたいなら・・・」
「うん! 君と一緒に出かけられるなんて嬉しいよ」
嬉しそうなティアに、アシュレイも赤面しそうで慌てて横を向いた。君に会えて嬉しいとか、君と一緒で嬉しいとか。嬉しいけれど、照れくさい。これが柢王ならば気の利いた言葉の一ダースも返せるだろうに。そんな風に言ってやれない自分の不器用さにも腹が立つ。
「いいか、ちょっとだけだからな。見たらすぐに帰るからな」
念を押したアシュレイに、ティアは嬉しそうに同意した。自分と出かけることを、そんなにも喜んでくれているのを見ると、こちらも胸が温かくなった気がして恥ずかしかった。
と、いうわけで、ふたりは東領の花街に近い辺りにいたのだった。
賑わいは盛大だった。抜けるような晴天の下、大きな通りの両側にずらりと露店が建ち並ぶ。風にはためく幟。めずらしい品々が並んでいる。菓子や食べ物を売る店のいい匂い。美しい簪や宝石を売る店が一際人気なのは、すぐそこが花街だからだろう。着飾った美しい女たち、子供たちと、女たちを目当てらしい男たちとで通りはごった返している。
アシュレイは変化していた。衣装も足元までの長衣につば広の帽子。それはティアを小さな姿にして匿っておくためのものだった。中からは外の様子が透けて見えるようにはなっているが、完全ではない。ティアが帽子の中で小さく動いては、話し掛けてくるのがどこかくすぐったい。
東領へはよく来たが、祭りは久しぶりだ。景気のいいかけ声、典艶な音曲、人々の笑顔。ふいに、おなかの虫がぐうっと鳴いた。それが聞こえたように、ティアが帽子の中から尋ねた。
「ねえ、アシュレイ、いい匂いがするね。あれは何?」
「イカ焼きだろ。ティア、なんか食べたいのか」
話すのはあくまで小声。でないと危ない独り言だ。
「うん、君がおいしそうだと思うものがあれば食べてみたいな」
帽子の中からの答えに、アシュレイはよしと答えて近くの露店でイカ焼きを初めとして食べ物を買い込んだ。それを抱え、人気のない路地に入ると、辺りを確かめてからそっと帽子を取った。
「ふうぅ、やっと出られたよ」
なかからは掌サイズのティアが姿を現した。アシュレイの顔を見るとにっこり微笑む。賑わう通りの様子を伺い見て、
「やっぱりすごい人出だねぇ」
嬉しそうに笑うのでこちらも嬉しくなる。が、アシュレイは咳払いして、
「ほら、ティア。熱いぞ」
湯気を立てている串を差し出した。ティアがそれに抗議の声を上げて、
「これじゃ食べられないよ。ちょっと待って」
「わ、ティア、おまえっ」
ぱっと姿が消えたかと思うと、アシュレイの前には実物大のティアの姿があった。額の御印も鮮明な、外出用の美しい衣装のその姿はどこか見ても守天様だ。
「ティアっ」
「だ、だってこうしないと食べられないから。食べたら戻るから、ねっ」
すまなさそうなティアの顔に、アシュレイは何も言えなくなる。守天でなければそのまま出歩いても誰も何も言わないのだ。最初はティアも変化してはと話していたのだが、危険だし、東領の花街警護は他ならぬ柢王だ。アシュレイ一人ならばれても構わないが、ティアが一緒だとばれたら柢王は怒るだろう。
怒られるのが嫌なのではない。怒られて、ティアがすまながるのが嫌なのだ。
(俺がもっと強い武将なら・・・・・・)
自分が守天の警護にいるなら安心だと、誰もが確信を持ってくれるほど自分が強ければ、ティアにももう少し自由に振舞ってもらえるかもしれない。そんな思いに少しくやしくなって唇を噛んだが、ティアは初めて食べるイカ焼きに感激した顔で、
「色々なものがあるんだねぇ」
アシュレイが抱えている食べ物を見やる。
天界の統括者でも知らない事は山とある。それが嬉しいような悲しいような・・・。
「ティア、こっちも食べてみろよ、これは東領の名物なんだ」
「うん。あ、これもおいしそう」
ティアの前にあれこれ取り出すと、遠足に来た子供よろしく、ふたりで仲良く買い食いを楽しんだ。
そして、小腹も満たされ、再び小さくなったティアを帽子にかくまい、路地を出ようとした瞬間。げっと叫んで足を止めた。
花街の方からこちらへ向けて歩いてくる目立つ二人連れ。ひとりは黒髪で長身、ひとりは白い長髪に紫微色の肌。どちらも東領の軍の制服姿だ
アシュレイは慌てて路地に身を隠した。連れ立ったふたりは賑やかな露店の合い間を縫うように歩いてくる。風に乗って話し声が聞こえてくる。
「今年はずいぶん賑やかだなー。なんか年々派手になってる気がするぜ」
「花街も昼間から人が多かったですね。喧嘩が起きなければいいんですけど」
陽気な柢王の声に、桂花の冷静な声が答える。こっそり覗いてみれば、柢王は隣を歩く桂花の髪を突つくと笑って、
「心配しすぎだって。見てみ、これなんか似合いそうじゃん」
すぐ側の露店に並んでいる美しい首飾りのひとつを手に取ると、桂花の首に押し当てていた。紫水晶を嵌め込んだそれは、魔族の瞳と同じ色だ。
「あ、それともこっちがいい? これも感じよくないか」
「要りませんよ、柢王。買い物に来たわけじゃないでしょう」
桂花が首を振って先に行くように促す。どうやら花街警護の途中らしい。
「なんだよ、せっかく選んでんのに。一年に一度のことだぜ」
「この前も似たような理由で散在したはずですよ。いいから、早く行きましょう」
桂花は構わず、柢王の手を取って歩き始めた。
「なんだ、あいつらはっ! 昼間っからいちゃいちゃとっ。仕事しろよ、仕事をっ!!」
「ア、アシュレイ、声が・・・・・・」
高いとティアがいいかけたとたんに、ちょうど路地の前を通りかけていた桂花の足がぴたりと止まった。アシュレイはうわと身を隠した。
「どうした、桂花」
「いま、サルの声が聞こえたような・・・・・・」
桂花が辺りを見回すのに、誰がサルだっ、アシュレイは心で叫んだ。だが、心臓はバクバク、頭の上のティアも緊張しているのがわかる。
「まさか、アシュレイがいるわけないだろ」
「まあ、そうですよね。守天殿の声もしたような気がしたんですが、まさかね」
鋭すぎる桂花の聴力に、隠れたふたりはヒイッとすくんだが、幸い、
「おまえ、働きすぎだって。たまには息抜きしないと。お、あれ、うまそうだ」
「柢王、買い食いは禁則です」
ふたりの声は風に流れて遠ざかり、すぐにかき消えた。
「あのクソ魔族ッ!誰がサルだ、誰がっ」
もう絶対に聞こえないと確信してから、アシュレイは怒り狂ったが、ティアは帽子の中から笑い声を立てて、
「でも、おもしろかったよね。かくれんぼみたいで」
それから、しみじみした声で、
「連れて来てくれてありがとう」
口を開きかけたアシュレイは無言になった。こんなことくらいで、ありがとうなんて。
「さあ、さっさと見て回るぞっ」
わざとぶっきらぼうに言って、路地を出た。大股に、柢王たちとは逆の方向に歩き出して、ふと足を止めた。
さっき、柢王が桂花に首飾りを勧めていた露店。黒い布の上に並べられた月長石の耳飾りにふと目が止まる。月の光を閉じ込めたような、優しい乳白色のその石に、ついふらふらと手を伸ばし、買い求めてしまったのはどうかしていたとしか思えない。
「ねぇねぇ、何を買ったの? よく見えなかったけど」
興味津々、尋ねたティアに、
「なんでもねぇよっ」
赤くなった顔をそむける。ティアが帽子の中でよかった。
賑わう通りをひととおり、帽子の中と外とで会話しながらの散策。
(俺にできるのはまだこの程度・・・・・・)
なのに、ティアが本当に喜んでくれているのが嬉しいのとくやしいのとで、アシュレイは複雑な顔をして人ごみを歩き続けた。
八紫仙が待ち受ける天主塔にこっそり戻ってきたのは数刻後。
「若様、若様、どうかお開け下さいませェェェェ」
結界を張っておいた執務室の分厚い扉を叩いて懇願する声に、アシュレイと、元の姿に戻ったティアは顔を見合わせた。
「んじゃ、俺は帰る」
執務に自分は邪魔だろう。ティアはうなずいて、
「アシュレイ、今日は楽しかったよ。本当にありがとう」
その笑顔のまぶしさが恥ずかしくて、ポケットに手を突っ込むと、耳飾りの包みを無造作にティアの机に放り出し、
「俺が帰るまで絶対に開けるなよッ」
「あっ、アシュレイっ」
ティアの驚いた声を背後に、バルコニーから飛び立った。
(見てろよ、絶対、俺が強くなるから)
責任=不自由ではないのはわかっているが、その身の自由を少しでも広げたい。ティアのために、強く強くゆるぎなくありたいのだとずっと前から願って来ているのだ。
体に押し寄せる風圧が、ヒヨコないまの自分となすべき誓いの強さを思い知らせるようで。
挑むように、ぐいと高みを目指すアシュレイには、執務室の机の前、包みを開いて感激したティアが、うるうる瞳で空を見上げ、
「あああ、今度は春祭りだよねぇっ」
一人勝手に夢見ているのを、知るすべは、全くなかった──。
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