投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
回廊で使い女たちの、ひそやかに見えてかしましい囁きが聞こえる。
「ねえ、若様の今日のご様子、ご覧になった?」
「ええ、なんだかお悩みがおありなのかしらね、ため息ばかりついておいでよね」
「お仕事が大変なんでしょう。お机の上には書類が山積みですもの」
執務室の机の上に山と詰まれた書類を前に、美しい面をこわばらせて執務につく若い守護主天の姿は、使い女たちには常に関心の的だ。下手なスパイを雇うより、天主塔での生活のあることないことを知るには彼女たちに聞くのが早いというほど、何事も見逃さない。
見逃さない、のではあるが、正しく解釈しているかどうかはまた別だ。
「でも、最近はとみにため息が増えておいでよ。きっと他にもお悩みがあるのよ。例えば、南の元帥様がおいでにならないとか」
「そうよね、近頃は柢王様方もおいでにならないし。おさみしいのかしら」
「もしかして、秘めたる恋なんてことが」
「いやだ、相手は誰かしらっ」
その辺りになるともはや妄想である。
聞こえていないと思っているらしいその声が、執務室の厚い扉を超えて耳に入ったティアランディアは、大きくため息をついて机に突っ伏した。
生まれたときから天界の最高位人物を約束された守護主天。絹のような髪、白い額に美しい御印。ティアランディアはため息をさそうような美形だった。
温厚で、優雅で、だが、時に非情の決断もせねばならない身の鋭さもその瞳に覗かせている守天はしかし、山積みの書類を前に、晴れ渡った窓の外に目を向けて嘆息、嘆息、また嘆息。
「あああ、もう、桂花手伝いにきてくれないかなあ・・・」
いくら見てもどんどんと積もっていく書類の束は、物心ついたときからずっと見慣れているし、自分が天界一の責任を負う身だという自覚はある。一心不乱に片付けて、そしてまた次の日も片付けて。そんなことは日常だった。
自分の決断ひとつが、世界を変える。
その重みは端からわかっている。と、いうより他に生き方などない。だから、するべきことはするのは当然。なのだが・・・。
「どうしてこんなことまで私のところに来るのかなあ」
決断者が自分だけなので、大概の裁可が自分に委ねられる。それはいいが、誰か機敏で適切な判断の出来るものが大まかに作業を分類、『これは妥当と思われます』と保証して署名だけするという作業工程がなかばにあれば、どんなにか機能的だろう、とティアは思う。
歴代守天は文句を言わなかったのか、ティアのところに来る書類は大抵が分類もしておらず、大事も小事も一緒くたになっていて、いながらにしてこの世がどんな問題で埋もれているか理解できるほどだ。
東領元帥、柢王の副官である魔族の桂花は、初めて執務を手伝ってくれたとき、その非合理的なシステムにほとんどあきれ返っていた。以降、桂花が手伝ってくれるときには、概ねの分類を桂花がしてくれ、合理的且つすみやかに作業が進むよう心がけてくれている。
が、その桂花はいまは軍にいるので、手伝いは期待できない。
それでティアは必死に書類をめくるのではあるが。
「こんなこと、私にどうしろというんだ」
はぁぁ、とため息をついて空を仰ぐ。
こんな些事、という懸案もある。そして、これはどうしようもないという懸案も。だが、ティアランディアが一番滅入るのは、こんなことをどうしろというのだといいたいような懸案の数々だ。
例えば、
『人間界で、ここ数日、雷鳴が続いている』とか、
『一昨日から人間界で集中豪雨』とか。
人間界の天候は、天界の管轄内のこと。天界には四季はないが、人間界の天候に関してはそれぞれ気候を司る東西南北の王たちが決め事に従って管理していた。だから、天候のことはそこに行くべき問題ではあるのだが、その問題の発端となった出来事があまりにバカらしすぎる。
東西南北の王族は気候を司る。だから、
『悪い、ティア、親父が女のことで母上と大喧嘩して機嫌悪いから、たぶんどっかで雷落ちるぜ』
とか、
『ティア兄様、聞いてください。お父様に叱られたので、ついはずみで、お父様なんて大嫌いと言ってしまったら、お父様がショックで寝込まれてしまったんですぅ』
とか。
家庭の問題はご家庭内に治めてくださいっ、といいたいような理由で、雷を司る東の王と水を司る西の王が、落雷と涙雨だ。こんな理由で起きる異常気象を人間たちが『天気』と呼んでいるのは当たらずしも遠からず、というべきだろう。
「どこか遠くに行きたいなあ・・・」
適わぬ願いでも、口に出すのは自由だ。
ティアランディアは、諦めて再び満載の書類に手を伸ばした。
心ひそかに、守天に生まれたのは仕方がないが、今度、生まれてくるときには守護主天以外のものにも生まれてみたいものだと思いながら。
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