投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
魔風窟で魔族に追いつかれ、背後で振りかぶられた魔族の両腕と握られたその剣を見た
時、柢王は走りながら最初の一撃を剣で受け止めた。
しかしその初撃を右手の剣で受け止めた数秒の時間差で、その魔族のもう片方の腕から
くり出される、別方向からの攻撃を受けた。
・・・闘いというものは、相手の弱点や死角を突いて攻撃するのが常道である。
その魔族が剣を振り下ろしたその先は、アシュレイを抱えているために動きのない、隙
だらけの左側だった。
そして柢王は、腕に抱えているアシュレイに剣先が振り下ろされるのを目にした瞬間、
一瞬の躊躇もなく身を翻してアシュレイを体の前面に抱えなおすと、避けることすらせず
にその背でかばったのだ。
・・・降ろせと。捨ててゆけと言ったのに・・・・・
「だめだ。・・・だめだ。背中に傷なんて。 ―――俺の、俺のせいなのに・・・!」
―――全部、伝わってきた。
柢王が自分を体全体で庇ったから。自分の体に押しつけて、攻撃の一切が当たらないよ
うに庇ったから。
一つの攻撃も当たらないように柢王が全身で庇ったから。押しつけられていた体から、
全部、伝わってきた。
刃が背を切り裂いてゆくその振動も、
柢王が息を詰めたのも、
全身の筋肉が一瞬収縮するのも。
一瞬血が冷えてから逆流するその感覚も。
血のにおいと金属音。声をかみ殺す その―――
「・・・・・〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
一瞬に満たない永い時間に 押し寄せ、駆け抜けていった その感覚に、アシュレイは
叫んでいた。
メチャクチャに叫んで―――叫ぶことしかできなくて。目の前が暗くなって それすら
出来なくなって。
・・・後は 柢王の鼓動の音と息づかいだけを聞いていた。 それが消えないようにと
ただ祈りつづけていた―――。
(何も出来なかった)
柢王の背中の傷―――。
ちがうのに。自分のせいなのに―――!
「頼む ティア! 俺の傷なんかどうでもいいから、柢王の背中の傷を跡形もなく消し去
ってやってくれ 頼む!」
傷の痛みも忘れてアシュレイは上半身を起こすと、驚いて押しとどめようとするティア
の顔をまっすぐに見て叫んでいた。
「アシュレイ!それはだめ!君が危な・・・・―――」
ティアは言葉を失った。
アシュレイは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。 掴んだままのティアの手にも涙が
ぽたぽた落ちた。
「ティア・・ティア・・・・・おねがいだ・・・」
泣きながら、アシュレイは、声を振り絞って懇願した。
踏みしめる下草の匂いが変わった。魔風窟の周囲に生えている植物とは違う穏やかな緑
の匂い。ここまで来れば、まず襲われる心配はない。
わずかに体の力を抜いた柢王は、隣を歩く彼に先ほどから何度も繰り返し言っている
言葉を向けた。
「おい。アシュレイ、肩に掴まれよ」
「・・・いい、おまえティアを背負ってて何言ってんだよ」
首を振るアシュレイの隣で歩く柢王は、上半身裸のその背中に力を使い果たして倒れる
ように眠り込んでしまったティアを背負っていた。
「背負えるくらい完治してるってことだよ。お前こそ傷を塞いだだけなんだろ。いいから
肩に掴まれ」
今度断るようなら無理矢理にでも担ぎ上げてやろうと思っていたが、素直に肩に掴まっ
てきた。
指が白く震えていた。呼吸も浅い。柢王がことさらゆっくり歩いていなければすぐに後
れを取るほど足の運びも遅くなっている。
「・・・・・何でだ?」
これも、何度か繰り返している言葉だ。
どうして、浅い背中の傷を跡形もなく治療させたのか。
「・・・・・」
また、沈黙が返ってきた。 口を開くのすら疲れるのかもしれないが、どうしてこうも
頑なに答えることを拒むのか。
―――ふいに 前方に 人の気配がした。 二人は足を止めた。
「・・南の・・気配だ。・・・俺が先に行く」
うかがうように気配を探っていたアシュレイが、柢王の肩を離して前に進み出た。
「いや、ティアを見られるとまずい。言い訳できない。 ・・・ここで分かれよう。俺はティ
アを送っていく」
夜目にも青い顔色の、しかし目だけは奇妙に力強い光を放つアシュレイが柢王達を振り
返ってその目で見た。そしてひとつ頷くと彼らに背を向けて歩き出した。 背筋を伸ばし
て、顔を上げ、いつも通りの歩調で。・・・まるで傷など負っていないかのように。
柢王は気配を消してそっと木下闇に隠れた。
ほどなくしてちかりと光るランタンや松明を持った一団が現れ、アシュレイを取り囲ん
で口々に安堵の言葉を述べた。彼の姉の声もする。どうやら帰りの遅いアシュレイを捜し
ていた南領の捜索隊の一行だったらしい。
用意された輿にアシュレイが姉と乗り込んで去ってゆくのを見届けてから、柢王は木下
闇を抜け出して歩き出しながら、背負ったティアを揺すり上げて言った。
「・・・おい、ティア。起きてんだろ? も少し歩いたトコの木のウロに着替えを隠してる。
着替えたらそのまま送ってくから、お前は天主塔をこっそりと抜け出して、東に遊びに来
ていたことにしとけ」
「・・・うん。 ・・・それにしても、着替えを用意しているの?用意周到だね」
「今日みたいに服を台無しにすることが多いからな。 他にもいろいろ置いている。薬品
一式とか、あと聖水もな。」
きちんとした返事をティアは返してきたが、体の力は抜けたままだ。
・・・無理もない。傷を跡形もなく癒すという行為がどれほど霊力を消耗させるのか、
そしてそれがどれほどこの小さい体に負担を強いたのかを想像し、柢王はぎりっと奥歯を
噛みしめた。
「・・・まったく、どいつもこいつも無茶しやがって。おいティア、俺の目が覚めたのと、
お前がぶっ倒れるのとはほとんど同時だった。 だから、何でこうなったのか、何で俺の
傷が跡形もないのかがさっぱり判らない。 アシュレイのヤツは聞いても頑として答えや
しないし。――― 一体何があった?」
「・・・それが、私にも解らないんだ。君の傷を見た瞬間、暴れ出して、傷の治療をさせてく
れなくなったんだ。自分の傷は治療しなくていいから、君の傷を治して・・って。ただそれ
だけを繰り返して」
「ばか。口八丁手八丁で丸め込むことができなかったのかよ? どー考えてもあいつの方
が重傷だろうが。それが解らないお前じゃないのに――――なんでだよ?」
「・・・わからない。・・・・・でも、アシュレイが 泣いていたから・・・。泣きながら、君の傷を
治してって言ったから・・・・・」
ひどい傷の痛みにも耐えて泣かなかったアシュレイが、泣いていた。
「・・・・・だから、私は、・・・怖くなって・・・・・」
怖かったのだ。 柢王の背中の傷を見るたびに、己を責め続けるアシュレイを。・・・己を
責めて責めて、彼がひたすらに傷つき続けていくのを見ることが・・・怖かったのだ。
「・・・・・ごめんね」
これは、自分のわがまま。あの時、どちらの傷の治療を優先させなければいけないかと
言うことなど、頭では解りきっていたのに。
・・・でも、どんなに間違っていると解っていても、アシュレイの願いを叶えてあげたかっ
たのだ―――。
柢王が小さく息を吐き出した。
「・・・・・お前が謝ることじゃない。 傷を治してくれて、ありがとうな」
先にそれを言わなきゃいけなかったのにな、と柢王はティアを揺すり上げて背負いなお
しながら言った。
「どういたしまして。 ・・・とはいえ、治した怪我人に背負って貰っちゃってたら世話ない
のだけどね」
ようやく力が戻ってきた腕で柢王の肩に掴まりながら、ティアが笑う。
「そういえばティア、お前何であんな時間帯に魔風窟の入り口なんかにいたんだよ?」
ふと思い出したように、柢王がティアに問いかける。
「最初から居たわけじゃないよ。 ・・・執務室の遠見鏡で、ずっと君たちが出てくるまで
魔風窟の入り口を見てたんだよ。 でも、今日ほどびっくりしたことはなかったよ。二人
とも倒れて動かなくなるから・・・。だから夢中で飛び出して来ちゃったんだ―――。」
柢王の肩が跳ね上がり、足が一瞬止まりかけた。
「・・・言った覚えないぞ? 何で知っているんだ?今日、魔風窟に行くって。 まさかアシ
ュレイが言ったのか?」
「アシュレイは言わないよ。・・・だって、二人とも私を心配させないために、言わないんで
しょ?二人の秘密なんでしょ? 」
柢王はティアの方を振り向こうとしたが、肩口にティアの顔が載っているので、振り向
けない。だから彼がどんな表情をしているのか柢王には解らなかった。
「・・・さっき、「今日ほど」って言ったよな? じゃあ、もしかして、10日前に行ったこ
ととかも知っているのか?」
「ああ、あの時はアシュレイと怒鳴り合いながら出てきてたね。 ・・・その前の時は、アシ
ュレイは腕に、君は手の甲に傷を負ってた。その前は・・・・」
柢王は足を止めた。
「・・・・何てこった。ずっと知ってたのかよ」
知っていて、知らないふりをし続けていたのか。ずっと―――。
背中のティアが、ため息をつくように笑った。
「知ってたよ、ずっと。―――言わなくたって、秘密にしてたって、私には解るんだよ?
だって私も、アシュレイと君のことを、いつもいつも心配しているから」
・・・自分たちが魔風窟に入っている間、彼はどんな思いで遠見鏡を見ていたのだろう。
怪我を負って出て来ても、次の日には何事もなかったように怪我を隠して笑い合う幼な
じみ達に、どんな気持ちで笑い返していたのだろうか―――。
「―――」
柢王は無言で、再び歩き出した
「・・・ずっと聞きたかった。こんな怪我をしたり、危ない目にあったりするのに、どうして
柢王は魔風窟に通うの?」
「・・・・・」
「強くなりたいから?」
「・・・・・・」
返事をしない柢王の横顔を、ティアはしばらく見つめた。
そして、ぽつりと言った。
「・・・私は、もっともっと強くなりたい。 ・・・ちゃんと、守りたい人を守れるように。
―――そして、何よりも自分のために。 ・・・だって、強くなかったら、自分の心すらも
守れないのなら、きっと、その自分の弱さで、守りたいと思う人たちすらも、傷つけてし
まうもの・・・・」
今のままでは、守られているだけでは、駄目なのだ。
彼らのようにがむしゃらに、情熱を持って力を求めないと、・・・・きっと誰も守ることが
出来ない・・・・・。
「・・・・・俺もだ」
しばらくしてから、柢王がぽつりと言葉を返した。その声は怒っているような、泣いて
いるような、かすれた声だった。
南領の城に帰り着いたアシュレイは、父王に叱責されている時に傷口が開き、そのまま
出血多量で倒れるまで、傷を負ったということを隠し通した。
・・・・・それは後に 彼の武勇を語る時の 有名なエピソードの一つとなった。
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