投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
・・・・・話は 少し前に戻る。
天主塔の執務室。
「お待たせいたしました」
アシュレイと柢王が飛び出していった直後、先行して水棲昆虫に関する資料をかき集めて
おいてくれとティアがナセルに指令を通しておいた本を腕いっぱいに抱えて執務室に入っ
てきた桂花は、執務机の背後で遠見鏡の画面いっぱいに静止画像として映し出されている
奇妙な虫の姿に目を奪われつつ執務机の上に置き、守護主天と二人して遠見鏡と交互に見比
べながらページを忙しくめくり始めた。
ところどころ掠ったようなスジの入る画面に、「最近 遠見鏡の映りが悪い」 とぼやき
つつ見比べていた昆虫図鑑のページをめくるティアが眉根を寄せた。
「・・・予想はしてたけど、陸上の昆虫に比べてやっぱり水棲昆虫の項目が少ないね」
陸上の昆虫に比べ、水棲昆虫の扱いは小さい。しかも載っているもののたいがいがどれも
似たり寄ったりの形状なのだ。
「完全変態してしまう種が多い上、水中となると観察が難しいからでしょうね。・・・あの形
状からして、てっきりゲンゴロウの幼虫かと思えば大顎の下に別の口がある全くの別物だっ
たとは」
「動き方も変だよ。妙に直線的だし。というか、そもそも水の浮力を得るためのあの平たい
形状なのに、水のないあの場所でどうやって巨体を支えているんだ?」
「吾もそれが不思議なのですが・・・・でも、あの虫を何かの本で見たような気がするんです。
―――あ!」
桂花が資料の中をかき回したと見るや、小さく声を上げると一冊の本を取り上げ慌てて
ページをめくった。
「―――あった!さすがナセル! これです、ヘビトンボの幼虫!」
桂花が取りだしたのは図鑑ではなく民間療法を取り扱ったものだった。
「吾は虫類は取り扱いませんが、植物由来の薬の後ろのページにあったので一応読んでいた
んです。」
ティアも図鑑の索引で探し出すとページを広げ、二人それぞれに本を覗き込み、遠見鏡と
見比べる。
本や図鑑に紹介されている特徴とほぼ一致しているように見える。
「・・・巨大化しすぎてるから断定は出来ないけど、たぶんこれだね。すごいよ桂花!良く憶
えていてくれたね」
「民間療法の薬の原料として紹介されていたんですよ。―――思い出しました。サルの口に
突っ込んでやりたいと思ったから憶えていたんです」
「・・・・・なぜアシュレイ?」
ぽかんと聞き返すティアに桂花は一瞬言いにくそうに口を閉じ、遠見鏡の巨虫をちらっと
見てから小さな声で言った。
「・・・・疳の虫(小児のヒステリー)に効く薬の原料になるのです」
答えに絶句したティアは、同じように遠見鏡に映る巨虫を見た直後に吹き出した。 桂花
も肩をすくめて小さく笑う。
「そ・そういう意味なら、とってもアシュレイ向きの対戦相手かもね」
ティアの言葉に応えるかのようにバルコニーの方角から小さな爆音が響いた。
「・・・辿り着いたようですよ ・・・・・何て速さだ」
天主塔から境界線までの距離は遠いが、視界は開けているので音が良く通る。
ティアが慌てて静止画像を切り替えると、ちょうど炎をまとった南の太子が巨虫に向かっ
て飛び込みかけたところを、柢王が間一髪で割って入ったところだった。
「あ・・?」
巨虫が身を翻した瞬間、頭部の付け根あたりに奇妙な波紋が立つのを桂花は見た。波紋と
いうよりは、空間そのものが歪むような―――例えるなら、水の中に度数の強い酒を垂らし
た時に出来るような・・・―――
「守天殿! 画面をもっと近づけて下さい。頭部の付け根あたりに!」
「付け根・・? ちょっと待って!」
ティアは動き回る巨虫に苦労しながら遠見鏡を操作する。
わずか一瞬だったが、地中に没する直前に遠見鏡がとらえた画面には、 大写しにされた
巨虫の頭部の付け根をぐるりと取り巻くようにして、管を数十本束ねた気管のようなものが
ならんでいたのを、目のいいティアと桂花はしっかりと確認し、・・・そして混乱した。
「何・・?!さっきのは・・・ 図鑑の虫にはこんな気管みたいなものは付いていないのに」
「魔界の生物だから、やはり既知のものと似て異なるものかもしれません・・・ それにさっ
き動いた時に見えた、波紋のようなあの歪み―――もしかしたら・・・いや、でも・・・」
「何?桂花」
「・・・・・同じ水棲昆虫でトンボの幼虫であるヤゴは、尾の付け根に気管鰓があって 水を吸
い込み吐き出すその推進力で移動しているそうです・・・・・もしかしたら、それと似たような
もの、かもしれません。
右に動くのならば左側にある気管鰓を作動させ、左に動くのならば右側を、と・・・気管鰓
から吹き出す水流の量や勢いを調節できれば、たいがいの動きは可能と思われます。
・・・あくまでも想像に過ぎませんが・・・」
「・・・ああ、なるほど・・それならあの、奇妙に直角的な方向転換も納得がいく。もしかした
ら、頭部だけでなく、体のあちこちにその気管があるかもしれないね・・・あの巨体を持ち上
げられるのはそのせいかも・・・・」
二人の言葉の歯切れが悪いのは、何一つ確証がないからだ。
桂花が本を閉じ、机の上に置いてため息をついた。
「・・・しかしそれが本当だとしたら、ますますやっかいになりますね。 動きの予測がつか
ないぶん 彼らが闘いにくくなる」
ティアも図鑑を置くと、手を振って、巨虫が潜ったあたりに据えられていた遠見鏡の画面
を、境界地を全体的に俯瞰する場面へと切り替えた。
「・・・あ、でもやっぱり変だね。あの虫が気管鰓で水を吸って吐き出す推進力で動くことを
前提にしても、あの場所に水はないよ?空気と水じゃ密度が違いすぎるし・・・。
何が何だか―――あっ?! 」
突然、遠見鏡の画面にかすれたようなスジが何本も走った。ティアが叫び、桂花も同時に
声を上げた。
彼らの眼前、境界が映し出される遠見鏡の乱れた画面にアシュレイと柢王が映し出されて
いる。空中に浮かぶ彼らの背後の地中から尾が打ち上がる様が見えた。そして巨虫の頭が跳
ね上がるのが。
二人の動きが乱れた。
―――次の瞬間 巨虫が急激な動きで二人に襲いかかった。
・・・そして北領。
北の武王と誉れも高い若き毘沙王は、本日執務を放り出して長年の伴侶である黒麒麟と
共に城を脱走していた。
「・・・こんな霊気の荒れている日に、執務をしろと言う方が間違っている」
見晴らしのいい高山の空き地に腰を下ろして山凍は ぼやく。
戦闘霊気に鈍感な文官達には感じられないのかもしれないが、武人―――しかも最高クラ
スの霊気を持つ武将である山凍にとっては、 自分と同じくらいの高レベルの戦闘霊気が発
生すると、どうにも落ち着かなくなる。 武人のサガというヤツなのかもしれないが 血が
騒いでしまうのだ。
げんに北領にいて、中央と南の境界からこれだけ離れているにもかかわらず、山凍は
戦闘霊気がもたらすチリチリと肌を焦がすような感覚を感じている。
これがふつうの武将―――いや、ふつうの元帥レベルならばまだ良かったのかもしれない
が、 王族の戦闘霊気とくれば もはや座っていろと言う方が無理だ。半径一メートル以内
で大暴れされているに等しい。
もともと地・水・風・火の元素を司る王族の霊気はただでさえ天界の霊気と馴染みやすい。
それが凶暴な戦闘霊気となると、天界の霊気と混ざり、乱し、揺るがせる―――。 それは
大きなうねりとなって遠くまで轟く―――・・・。 それの規模が大きければ大きいほど、
共振共鳴反応が過剰になり、時には気象すらも狂わせるのだ。
「・・・それが二人分とくればな・・・・・」
隣の孔明が落ち着かない様子で鼻を鳴らし、蹄を地面に打ちつける。 遙か南の空が黒々
とかき曇り、霊気が反応して時折紫電を走らせるのが遠目にもわかった。
「・・・昼前に南のヤツが派手にやっていたと思ったら 今度は東のヤツが派手にやり始めた
か―――」
荒れ狂う周囲の霊気をねじ伏せて自らの支配に置くなど、なかなか面憎いやり方をす
る・・・と山凍が苦笑した時、 ふいに隣の孔明が咆哮を上げた。
「孔明?!」
こんな風に孔明が咆哮するのは近くに魔族がいる気配を感じた時だ。
だが立て続けに咆哮を上げる孔明の底深い光を宿す瞳は、戦闘が行われている南の境界の
方向を見据えている。
孔明を落ち着かせようと腕を伸ばした山凍の視界が一瞬 銀色に染まった。
―――音は後から来た。 天界中の霊気が一斉に身震いした。
「―――・・・」
音が周囲の山嶺に跳ね返って まだ響き合っている。
轟音に一瞬思考を根こそぎ持って行かれた山凍は、指先に当たった柔らかなものが孔明の
たてがみであったのにようやく思い当たった。
南の地ではまだ放電の余波か、銀光が瞬いている。
(・・・・・巨大な一撃だったな)
もう片方の手で山凍は自分の首を撫でた。肌が粟立っているのに気づき、山凍は低く笑
う。・・・それは、巨虫の攻撃に備えてアシュレイと柢王が背中合わせになっていた時に見せ
た笑みと全く同じものだった。
「それにしても、あいつにしてはめずらしく―――」
瞬く銀光が収斂して天と地をつなぐ 幾本もの禍々しい光を放つおそろしい柱となるの
を山凍は見た。
「―――・・・ッ?!」
―――音が来た。 そしてまた 次の音が。
孔明のたてがみに添えた手に力がこもってゆくのを、山凍は気づいていない。
―――音が 後ろから 押し寄せてきた。
周囲の山嶺に音が反響している。
彼を取り巻く山嶺が 咆哮を上げているかのようだ。
前と後ろから押し寄せる 音と音の間に、別の音が混ざっていることに山凍は気づいて横
を向いた。
境界を見据えて、孔明は まだ咆哮をあげ続けている―――・・・
「・・・何故・・・・」
東の王子の攻撃による、立て続けに光る凶暴な紫電と肺腑に響く轟音が押し寄せてくる
境界の方角へ向き直り、山凍は問いかける。
「なぜだ?!」
孔明のたてがみを鷲掴んだまま、今なお攻撃が続いている南の境界線を睨むようにして
山凍は叫ぶように問いかけた。
「なぜそのように力を見せる! お前の兄たちがどう思うかなど―――・・・それが分からな
いお前ではあるまい!」
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