宝石旋律 〜嵐の雫〜(4)
「落ち着けよ 二人とも。俺は“もしかしたら”という前提で話をしているんだぜ?」
「しかし 柢王」
「でも 柢王」
まあ待てよ、と同時に言い返した二人に手をあげて柢王は押しとどめる。
「言い出した俺が言うのも何だが、決めつけるには不十分すぎる。第一、いくらウチ(東)の連中が腐りきっていたとしても、あんなでかい岩をあのクソ狭い魔風窟を通ってどうやって運び出したのかも分からねえしな。誰も知らない新しい広大な通路が見つかったとは聞いていないしな」
岩盤をくり抜いて道を通すにも、労力がかかりすぎるし、危険だ。何より、そんな大工事をしていれば、どれほど規制しようと、どこかから必ず情報が漏れて、柢王の知るところとなっていたはずだった。
「でも柢王、それ以前に魔界から岩石を切り出すにも人手は必要になる。それに運び出すにも。その時点で霊気に反応して出現していた可能性もあるはずなのに・・・」
「・・・それについては、うちントコにはしっかり前科がある。」
ティアの問いに柢王はさらに苦々しい顔つきになった。
「―――魔族を奴隷として使ったということですか」
桂花までが、苦々しい顔つきになった。
「考えられるとしたら、そういうことなる・・・が」
しかし以前のように、捕らえてきた魔族を個々に天界につないでおくのとは、わけが違ってくる。魔界は彼らのテリトリーだ。力づくで捕らえることが出来たとしても、彼らがおとなしく労役として働くかどうかすらも分からない・・・
利にさとい東国だけに、そんなリスクを背負ってまで魔界に固執する価値があるのかと問われれば、柢王は即座に「否」と答える。 ならば、柢王よりもさらに利にさとく奸智に長けた二人の兄たちがそう思わないはずがない。
「・・・だめだ。ウチ(東)の問題から考え始めたら、どれもこれも手詰まりになっちまう。」
柢王は苦り切った顔でため息をつき、額を押さえて天井を仰いだ。
「魔界説は、やっぱ間違っていたか」
「でも柢王、魔族が岩から出現したのは事実なんだよ?」
あわてて守天が言い添えるのに、書類を見直していた桂花が顔を上げた。
「・・・・先に南の業者を締め上げた方が早くありませんか?」
柢王と守天が顔を上げる。
「そうか、岩石を直接取り扱ったのは南の業者だもんな。取引か何らかの痕跡は残っているはずだ」
「これだけの騒ぎになると、もう天界中に知れ渡っていますね。その業者の倉庫と書類を急いで差し押さえなければ、書類をかいざんする時間を与えてしまう可能性もあります」
「急いだほうがいいってことだね。―――南領の元帥のどなたかに強制立ち入り捜査の権限を発令してもらえるよう遣い羽を出さないと」
あわてて書状をしたため始めた守天の邪魔にならないよう桂花は別室に下がった。茶の支度を始めようと茶壺を取り上げた手が止まる。
「・・・・・柢王 邪魔をしないで下さい」
「まだ怒っているのか?」
背中から回した両腕に桂花を閉じこめ、すっかり完治した左手で桂花の髪をかき上げながら柢王が笑った。執務室で桂花が着用している白い長衣は、足首から首元まで桂花の美しい肌をすっかり隠してしまうもので、ストイックな色気があってそれはそれで見ていて楽しいのだが、こうして抱きしめた時に桂花のなめらかな肌を感じられない柢王には少々物足りなかった。
「・・・あなたに怒っても、意味がありません」
まっすぐ前を見据えたまま、低く桂花は言い放った。
なにしろ、言っても聞かないからだ。
柢王は笑った。そして、頑なにまっすぐ立つ桂花の唯一露出している肌、つまり桂花の顔のラインを指でなぞり、それからそっと覆い被さるようにして体を前に倒し、自分の頬を桂花の頬にそわせた。
「お前は怒ってても綺麗だから確かに怖くないな。・・・おまえときたら。怒ってても、肌は冷たいままなのな」
「―――」
茶壺の中身を顔面目がけてぶちまけてやろうかと思ったが、後ろから体を密着されている自分にも被害が及ぶのでやめた。何よりもこの茶壺の中身は南領と西領の境の高山で今年初めてつみ取られた、極上の新茶だ。もったいなさすぎる。
「・・・吾の肌が冷たいと感じるのは」
ため息を一つ付いて茶壺を慎重に卓の上に戻すと、桂花はまっすぐに立ったまま低い声で言った。
「あなたに熱があるせいです」
人界警護で気を張り続けていた疲れが今になって一気に出たのか、昨日(今日か)真夜中に帰ってきた柢王は天守塔の一室で眠っていた桂花の寝台に朦朧とした状態で倒れ込んだのだ。いきなりの帰還にはすでに慣れきっていた桂花も、力の抜けた体の重みとその熱さに飛び起きた。
寝台を明け渡し、夜通しの看護で、熱はある程度下がったものの、安静第一には違いなく、朝になって守天に訳を話して看護で一日休みたいという旨を伝えると、その日の午前中に南の太子との面会があると言うことで、快く承諾をもらい、(それなら書類の一枚たりとも動くことはないな)と安心していた矢先に南の太子が魔族と遭遇したと言う一報が入り、その瞬間、飛び出していったのだ。この男は。
自分は必死になって止めた。それを笑って引き留める腕をすり抜けていったのだ。振り向きもせずに。
ついさっきまで高熱でぐったりしていたというのに。それでも友人(サル!)の危機には飛んでいって手を貸そうとする。のみならず後始末までしてのけようとする。
・・・時々胸ぐらを掴んで引き寄せ聞きたい衝動に駆られる。
一体あなたの『一番』は誰なんですか―――と。
プライドもあるので面と向かって聞いたことはないし、おそらく答えなどないのだろう。
この人の『一番』の領域はあいまいで、きっと場合により、順位が入れ替わったりするのではないのかと桂花は考えている。
・・・なぜ自分はこんな男が好きなのだろう。
自分でも馬鹿だと思う。
けれど
「・・・あのな、桂花」
「あなたときたら」
視線をまっすぐに据えたまま、低い声で桂花は柢王の言葉をさえぎった。
「自己管理はしないし、無茶ばっかりしてすぐ怪我をするし、人の話は全然聞く耳持たないし、わがまま言って人を困らせるし、余計なことに頭を突っ込みたがるし」
「桂花」
「結構簡単に約束を破ってくれるし、言ったことには責任持っていないし、というか良く忘れてくれているし、」
「桂花!」
「人が稼いだ金で女遊びはしてくれるし、黙って出かけて一晩帰ってこないことはざらだし、酒グセは結構悪いし、それで人が怒ってもすぐ茶化してしまうし、あきれ果てていったい何度魔界へ帰ってやろうかと思ったことか。」
「おい桂花!」
「でもあなたがあの兄二人と全面衝突することになって、たとえ東国全てが敵に回ったとしても吾は貴方のそばにいますよ」
「おい桂花! 言いたい放題・・――― あ? 」
桂花に絡んでいた腕の力がゆるまった。それを利用して腕から抜け出すことなく桂花は体を横にずらすと体をねじってゆっくり柢王の顔を見た。
抗議の声を上げかけたまま、柢王はあっけにとられて言葉を失っている。
紫色の瞳で柢王を見上げ、桂花は薄く笑った。
「それが聞きたかったんでしょう?」
柢王がこんな風に甘えてくるのは、心の内に何かを隠している時が多いのだ。少なくとも桂花はそのことを知っている。
まだあっけにとられている柢王に体ごと向き直り、両手で柢王の頬に触れた。指先に触れる頬は熱かった。
髪を撫で、桂花はそのまま柢王の頭を肩口に引き寄せた。されるがままに桂花におとなしく頭を撫でられていた柢王が、やがてため息のようにつぶやいた。
「そんな大事なことを、文句を言うついでみたいにしてさらっと言ってくれるなよ・・・」
「文句のついでくらいに言わないと、ちゃんと聞いてくれそうになかったから」
とくに、打ちのめされている柢王を見ている今ならなおさらだ。
それにこの言葉は、聞かれて応えるようなものではない。
桂花自身の言葉でなくては、意味がないのだ。
柢王を寄りかからせ、桂花は髪を撫でる。
「・・・あの二人と本当はやり合いたくはないんでしょう?」
柢王の肩が揺れた。
(やっぱり・・・)
柢王は、あの二人を惜しんでいる。
でなければこれほどに打ちのめされてはいないだろう。
「・・・東(ウチ)が本当は関与していないことを願ってるのは確かだ。ティアや親父への叛逆だからな」
「・・・それだけ?」
桂花の肩に顔を埋めたまま柢王は力なく笑った。
「・・・・・何でかな。ガキの頃から仲が悪くて、一緒に遊んだとか、助けてもらったとかそういうの全然ないし、・・・今だって、大嫌いだ。」
桂花の体に回っていた腕に力がこもる。
「・・・・―――でも、殺してやるとか、死んでしまったらいいとか、・・・そういうことは、考えたことがなかった・・・・」
「―――――」
あの二人(陰謀などは主には一人だが)とのいざこざは今までに数限りなくあったが、柢王は裏から手を回して相手の戦力を削いでいく方法で、露見したとしてもそれはあくまでも水面下での、それも東国内での出来事として片づけられるよう仕向けていた。
だが今回は違う。この事が表面化すれば、もはや東国内だけで片づけられる問題ではなくなってくる。
柢王は身内と正面から衝突せざるをえなくなる―――――
柢王はその事実に打ちのめされ、迷っているのだ。
「・・・こわい?」
髪を撫でる手を止め、桂花はささやく。
血の繋がった相手と闘う事が。
血族を失うことが。
「・・・・・いいさ。俺はお前がいてくれれば、それで充分だ」
(うそつき)
その言葉を語る瞬間でさえ迷っているくせに。
桂花は柢王を突き飛ばしたい衝動に駆られた。しかし打ちのめされ、桂花にもたれかかっている彼を押しのけることは出来なかった。いつも自信と強気に満ちあふれている(そう見せている)彼が弱さを桂花にさらした。
「・・・・・」
全てを望んでも手に入らないのなら、今はそれに満足するべきなのだろう。
(吾なら、迷うことはないのにね・・・)
頭を抱いた手を体に回し、桂花は不実な恋人を力一杯抱きしめてやった。