宝石旋律 〜嵐の雫〜(5)
舞い上がる土埃に兵士はむせた。
「おい、大丈夫か?」
空中で身をかがめ、激しく咳き込む天主塔の兵士に、近くにいた南領の兵士が声をかけた。
それに手を振り、ひとしきり咳を繰りかえした後、兵士は額の汗をぬぐいながら体勢を立て直した。
「むせただけだ。・・・しっかし、この熱気と土埃はたまらん。現場からあれだけ離れててもこれとはな・・・」
「ああ、全くすげえよな。―――見ろよ、アシュレイ様の技が直撃したあのあたりなんか、まだ熱くて近寄れない」
兵士が指す方向の地は、未だ土煙と蒸気を高々とあげ続けている。
「・・・アシュレイ様は5分で山一つ壊す事が出来るって噂を聞いたことがあって、そん時は眉唾もんだと思ってたけど、本当だったんだ。―――すさまじい力だな・・・」
「・・・・・」
本当も何も南領では周知の事実である。
普通なら鼻高々もので自国の王子の強さをここぞとばかり吹聴するべき所だが、その破壊行為が南領の地場産業に深刻な打撃を与えているなどという余計な事実もセットになっているため、南領の兵士は賢明にも沈黙を選んだ。
蒸気と土煙の上がる場所をまだ見続けている兵士の肩を叩き、作業の続行を促す。
「とりあえず、周囲の探索が先だろ」
「そうだな」
・・・高々と上がる蒸気と土煙の中に小さな青い鳥が滑り込んでいったのを、視線をもとに戻した兵士は見ることはなかった。
「・・・まさかサルと激突寸前のあの場面であなたが帰ってくるとは思いませんでした」
柢王の左手をためすがめつ見ながら、桂花がため息をついた。完璧に癒された手には傷どころか赤み一つ残っていない。元の傷を知っているだけに、桂花は改めて守天の持つ癒しの力に感謝した。
「ろくでもない役を押しつけてごめんな。怖かったろ」
当初、ティアがアシュレイの額に触れて眠らせるという穏便きわまりない方法をとる予定だったのだ。しかし当のアシュレイが逃げ回ってティアは触れることも出来なかったのだ、桂花はアシュレイの気をそらせるためと足を止めさせるため、わざと挑発したのだ。
「・・・あそこまで怒り狂うとは思っていませんでしたので」
あの程度の罵言は日常茶飯事レベルだ。あれで南の太子がぶち切れたということは、ここに来るまでに何かあったか、日頃蓄積していた何かを桂花が絶妙のタイミングで突いたということになる。
「・・・でも、吾は謝りませんよ。間違ったことは言っていません。けれど、あなたを巻き込むつもりもありませんでした」
「―――おいおい。桂花おまえ、本気でアシュレイと殴り合いの喧嘩をするつもりだったのかよ?」
まさか。と桂花は首を振った。
「殴り合いはごめんですが。・・・南の太子が大技を繰り出した直後は、スキだらけなんです。そこを狙えばあるいは」
「・・・その前にお前が確実にケシ炭になってんぞ」
柢王が言うのに、桂花はふっと笑うと低い声で言った。
「天主塔の物のことごとくは、守天殿が燃えたり壊れたりしないよう防護の呪をかけていらっしゃるんです。」
一度など、使い女達がティアが執務に就く前に執務室の模様替えをしたのはいいのだが、しばらくしてからその使い女達が困りきった顔で「カーテンやテーブルクロスを洗おうと水につけたのだが、生地に水がしみこまないので洗うことが出来ない」と戻ってきた時があった。
洗い桶に張った水の上にぷかぷか浮いていたカーテンやテーブルクロスの山は、ティアが術を解いた途端、たちまち水が染み込んで洗い桶の中に沈んでいった。
術がかかっている間は、その質感や性質はそのままに、ありとあらゆる攻撃や衝撃、外的刺激を無効化してしまう呪をティアはかけていたのだ。外からの風に柔らかく揺らいでいても、ほこりが付いて汚れることもないし、日焼けもしないので「洗わなくてもいいのに」とティアは笑ったが、使い女達に断固たる態度で却下されていた。
「特に執務室の調度品には強力な術がかけられています。・・・それこそ炎を防ぐ盾になりそうな衝立や、目くらましに使えそうなあの多量の書類一枚一枚に及ぶまでも。」
「おい桂花・・・」
「問題は」
呆れ半分焦り半分で柢王が桂花を見るのに、桂花は真面目くさった面持ちで手をあごにやって考え込んでいる。
「あの凄まじいエネルギーが室内で炸裂した場合、そのエネルギーをどの方向に流すかということなんです。・・・まあ、窓に流すしかないのですが」
屋外なら、火や、それに伴う熱せられた空気は上に吹き上がるので、螺旋状の竜巻を周囲に興してやれば、炎の広がりを防ぐことがおそらくは出来るだろうが、あの狭い室内となると話が変わってくる。
「もっと日数があったのならば、天井に細工することも出来たかもしれないけれど・・・」
いかにも残念、という風に桂花は大きくため息をついた。
その隣で柢王があっけにとられている。
「おいおいおい・・・・。それじゃあ何か。喧嘩の仲裁に入って痛い目を見た俺って、何だか馬鹿みたいじゃねーか」
柢王が頭を抱えてうめくのに、そんなことはありません、と桂花は真剣な面持ちで柢王を覗き込んだ。
「今のはあくまで情報を総合して試算した上での、ただの予測です。いくら守天殿の防御が万全と分かっていても、実際、あの凄まじいエネルギーが室内に炸裂することを想像するだけでぞっとする。ただでは済まないでしょう。だから、サルの技を未然に防いだあなたの行動が本当は一番正しいんです」
柢王が桂花を見おろした。
「・・・誉めてるんだよな?」
「もちろんです。強くて柔軟なあなただからこそ、サルを止めることが出来た。」
桂花は柢王をまっすぐ見上げ、そして笑った。
「・・・誉められるってのはいいもんだな」
柢王も笑った。そして向き合っているのをいいことに、さっさと桂花の腰に手を回して引き寄せようとする。桂花はにっこり笑って自分から進み出ると見せかけ、さっと横合いから手を伸ばして柢王の額にその冷たい掌を押しつけた。
「・・・柢王、今がどういう状況か分かっています?」
布越しでもわかる額の熱さに桂花の紫瞳が剣呑な色を帯びる。
「・・・力づくは難しそうだな」
後が怖い。
「病人相手に負けてやる気はありませんね」
「普通は逆だろ」
「自業自得でしょう?」
「・・・・・ええと 柢王、桂花、そろそろいい?」
書類を書き上げたティアがおそるおそるといったふうに別室の前で声をかけてきた。
それを期に桂花は柢王をそっと押しのけた
「後のことは南の方々に任せて、とりあえずあなたは寝台に戻りなさい。・・・東の審議はあなたの体調が戻ってからです」
断固たる桂花の口調に柢王は苦笑しつつ頷いた。たしかにこの体調で動き回っても、ろくな成果は上がらないだろう。なごり惜しげに桂花の腰から手を離すと、桂花はさっさと柢王の横をすり抜けて執務室に戻ってゆく。ただし、すれ違いざまに「後で様子を見に行きますから」と言い残していった。柢王はくすぐったそうに笑って執務室に戻り、部屋を横切って桂花の部屋に行こうとしながら言った。
「・・・まったく、アシュレイも1/19の確率とはいえ、魔族入りの岩を引き当ててんだから、ある意味すげークジ運いいよな」
からからと笑う柢王の言葉に、桂花とティアが顔を上げた。
「・・・柢王、今、なんて言った?」
おそるおそると言った風に聞き返すティアの声音が堅い。
「? だから、クジ運いいなって」
執務室の扉の前に立った柢王が首をかしげながら言い直す。
「―――じゃなくて その前! 何の確率って?!」
「1/19の確率のことか?」
ティアが大きく目を見開いた。
「・・・! ―――桂花!」
「捜しています!」
振り返って叫ぶティアに、すでに慌ただしげに資料の束をかき回して捜している桂花が叫
び返す。
「・・・ありました! 完成後の俯瞰図です!」
執務机の上に広げられた一枚の書類を、ティアと桂花、そして足早に戻ってきた柢王が覗
き込んで顔をしかめた。
「・・・どういうことだ?この図が正しいとすると、岩は18個しかないぞ」
「魔族入りの岩があったと思われる場所はどこですか?」
「南領側の川向こうだ」
俯瞰図に書き込まれている18個の岩は、川を隔てた両側に配置されていた。川よりこちら側の天主塔寄りに9個配置、そして川向こうの南領寄りに9個配置されている。
「川をせき止めるために俺が両側の岩を一個ずつ砕いたから残りは16個だ。念のため一つ一つ数えながら霊気を叩き込んだから憶えている。間違いなく16個だ。けど、あいつは岩ごと魔族を滅ぼしたって証言―――おい、ティア!アシュレイ起こせ! いや、いい俺がやる!」
「あああ! ストーップ! 柢王! 待った! 駄目! 暴力厳禁!」
当事者に聞くのが一番だ、と柢王が長椅子に眠っているアシュレイを叩き起こそうと、指をぼきぼき鳴らしながら大股に歩み寄るのを見てティアが悲鳴を上げた。
「・・・一撃で倒すとは、な―――。」
低い声のつぶやきに、ぱちりと軽く堅い音が重なった。
暗い色の水に囲まれた寝殿造りの館の一室で、声の主人はゆったりと脇息にもたれかかり、壁に光の道を通して映し出された天界の光景を見つめていた。片手に持った扇を開いたかと思うとすぐ閉じるという手慰みのような事を繰り返している。先ほどの音は扇を閉じた音であるらしかった。
暗い湖面を揺らす風はひんやりとした水気を含み、暗がりに沈んで果ての見えない冥界に吹きわたる。
その風は、室内にいる声の主人の長い金の髪をゆらし、その背後にひっそりと控える女の見事な赤毛をもゆらした。
「予定外もいいところだ。・・・あの赤毛の力を見くびりすぎていたと言うことか」
その低い声は、むしろ予定外になったことを楽しんでいるようだった。
壁には、中央と南の境、南の太子が魔族を破壊した場所を背景に飛び回る兵士達が映し出
されている。
ふいに画面が切り替わり、未だ土煙と水蒸気をあげる場所を、熱い蒸気や土煙の層の合間を縫って飛ぶ青い小鳥の姿が映し出された。
「・・・あの竜鳥、先ほど天守塔の結界内に一度入っていたな」
ぱちりと扇をならして、声の主人は低い声で笑った。
「ちょうどいい。今一度使者として天守塔に入ってもらおうか。」
「・・・・・」
彼の背後に控える女は、主人の意に応じるようにただ深々と頭を下げた。