投稿(妄想)小説の部屋

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No.611 (2005/12/25 01:33) 投稿者:花稀藍生

火姫宴楽(4)

 ・・・トゥーリパンの名が天界で聞かれるようになったのは、ほんの最近のことである。
 西領の小貴族の姫君だった彼女は、文殊塾を卒業して、すぐ南領の小貴族に嫁いだ。政略結婚であったが、それなりに体裁の良い相手で、その間に彼女は男児を出産し、夫の庇護のもと、南領の地で何の不満もなく過ごしていた。
 その平穏が崩れたのが五年前。貴族遊びの狩りを楽しんでいた彼女の夫と息子は、獲物を深追いして狩り場の奥深くまで入り込み、そこで魔族に襲われた。
 ・・・彼女は、夫と息子の両方を一日にして失ったのだ。 そしてその地位も。
 南の血を引かない彼女に残された道は、西領の実家に帰るか、夫の親類と再婚するか、あるいは養子をとって子爵家を存続させるかだった。
 夫人はどちらも選ばなかった。
 この国にとどまり商いをすることを炎王に願い出たのだ。
 もちろん世間はそれを一笑に付した。領地からほとんど出ず、夫にぬくぬくと守られた生活を営んでいた彼女に何ほどのものができるのかと、誰もがそう思った。
 商業手続き云々は保留されたまま、とりあえずのところ南領にとどまることを許された彼女は、子爵家を出、領地の一軒家を借りてそこで商いを始めた。
 彼女があつかったものは、緑豊かな東国の絹と綿に圧され、すっかり生産が絶えてしま
った南領の植物から採れる繊維で作った布を再現し、それを現代風にアレンジした製品だった。領地で細々と昔ながらの方法で繊維をとって糸をつくりそれを染めて織り機で布を織り続ける老婆達を尋ねて回り、その布を買い取って仕立てたものである。
 一反分の布を織るのに費やされる労力と時間はかなりなもので、もちろん量産は出来ない。必然的に一着分の値段は目をむくほど高価になった。
 もちろん商品が売れるはずもなかった。
 それ見たことかと商人たちはあざ笑い、誰もが夫人が泣いて西領に帰るものと思った。
 しかし、それから夫人のとった行為は周囲の想像をあっさり裏切った。
 なんと夫人は知り合いのつてをたどって東国の花街に足繁く通うようになった。それこそ一流の店の妓女から道ばたに立つ街娼まで見て回ったのだ。
 その中から夫人が白羽の矢を立てたのは、南領出身の舞姫、コーヴィラーラだった。
 花街の大通りからわずかに外れたところにある翠辿楼は格式はさほど高くはない。コーヴィラーラは、若々しい肢体に表情豊かに動くまなざしと南領特有の浅黒い肌を持つ舞姫だった。美しく、技量も申し分ないにもかかわらず、彼女の舞には何か欠けたところがあって、彼女はいつも翠辿楼において二番手三番手人気に甘んじていた。
夫人は人を通じて見ることの出来た舞台でなめらかな絹地の衣装で今流行の東国の踊りを披露する彼女を見て決めたのだった。
それからが大変だった。格式が低いとは言え、花街に門を構えるれっきとした店の舞姫である。一定の手順を踏まねば、話をするどころか、会うことすら許されないのである。
 ・・・まず顔合わせのみで一言も話すことの出来ない「初回」。一言二言話し、食事や敵
娼(あいかた)が舞や歌を披露する「裏」。そして三度目の顔合わせである「馴染み」でようやく二人きりになることが許されるのだ。
 格式を誇った昔ほどではないにしろ、そこには厳然と客に対して儀礼を求める花街の気概があった。
 夫人は翠辿楼で彼女を指名し、莫大な金と人脈を通じて「初回」と「裏」をじりじりとした思いでこなし、その三日後の慶日に、大枚はたいて文字通り彼女と「寝所を共にした」のだった。
「正規の手続きを踏んだのだから、誰に非難されるいわれもありません」というのが夫人の言だった。
 無駄に広く豪華な寝室で行われたのは、男女間で行われるような行為ではもちろんなく、コーヴィラーラに科せられたのは、夫人が部屋に持ち込んだありったけの衣装をとっかえひっかえ着ることだった。
「・・・殿方を相手にするほうがよっぽど楽だったわ」
 夜明けまでほとんど休みなく着替え続けたコーヴィラーラは、よろめきながら部屋を出てくるなりそう言った。その後ろで、持ち込んだ衣類に埋もれてトゥーリパン夫人がクマの浮かび上がる疲れ果てた顔に、満足そうな笑みを浮かべて眠っていたという。

その後、晴れて彼女を敵娼(あいかた)にした夫人は時をおかずに通い詰め、熱心に彼女を説得し続けた。夫人の説得の内容は、自分が作成した衣装をまとい、南領の古式舞を舞台で披露してはどうかというものだった。
 最初コーヴィラーラは、困惑し、難色を示した。蝶のように軽々と舞う東国の舞がもてはやされるこの花街で、なぜ重々しい古式舞を舞わねばならないのか、と。
 南領の裕福な旧家に生まれ育った彼女は、貴族ではないので文殊塾にこそ行かなかったが、それなりの教育を身につけていた。その『教育』の中には所作やたしなみの一環として古式舞も含まれていた。
 不自由なく育てられ、おとなしい娘と思われていた彼女が年頃になり縁談が持ち込まれるようになった時、彼女はいきなり身の回りのものを持って家を飛び出した。
 決して餓える心配のない天界では、季候のいい森で過ごせば最低限の生活はしてゆける。
しかし彼女が向かったのは、東国の花街だった。
 飢えが怖いのではない。だけどこのままでは何だか自分が空っぽになってしまいそうで怖かったのだ―――と後に彼女は夫人に話した。
 飢えを満たしたければ森へ行けばいい。しかし心の飢えとなると話は全く違ってくる。
 自分はどれほどのものなのか、どれだけのことが出来るのか―――それを試してみたいと思う者は少なくはないだろう。プライドの高い、頭のいい女ならなおさらだ。
 花街は、女達の運試しの場所でもあった。
 己の才覚一つで、名をあげることが出来る場所―――
それは奈落と隣り合わせでもあったが、それを覚悟で女達は花街に向かう。
 花街は、男達の欲望を満たす場所であると同時に、女達の強烈な自我の牙城でもあった。
 だからこそ、と夫人はコーヴィラーラを見据えて強く言った。
 名をあげたいのなら、他人と同じ事をしていてはだめなのだ、と。
 どこか土のにおいと荒々しさを感じさせる南領の布は、夫人の審美眼を裏づけるかのように コーヴィラーラの浅黒い肌と、きつめの面差しによく似合った。
「あなたの舞にどこか違和感があるのは、東国の舞に貴女の体が馴染んでいないから。それはきっと貴女が学んだ古式舞が貴女の基盤になっているせいだと思うの。だったらそれを活かさない手はないでしょう? ・・・貴女は南領の女。南領の歴史の中で培われ創られた古式舞と南領の風土の結晶であるこの布は、きっと貴女を活かすわ―――」

 ・・・結局のところ、コーヴィラーラは夫人の熱意に負けた。
 彼女は夫人の作成した衣装を付けて舞台に出ることを承諾し、夫人は翠辿楼の主人を同時進行で説き伏せて、彼女に南領の舞を披露することを承諾させた。
 ・・・数日後、小さな火の灯る照明を数カ所に置いただけの、暗闇のような舞台の中央にゆっくりと裸足で現れた舞姫に観客はどよめいた。
 目尻を中心にきつめの隈取りを施した化粧はともかくとして、高い位置で結い上げられた髪には何の飾りもない。装身具と言えば大ぶりの耳環と細い金環を幾重にも重ねた右足首のアンクレットのみ。
 そして衣装と言えば、肩をむき出しにした、胸から足首までを大きな一枚布を巻き付けて帯を締めただけのものと最初勘違いした観客もいたくらい簡素なものだった。玄人が見れば、舞姫の体に合わせて裁断縫製され、衣装の襞の一つ一つが丹念につくられたものだと一瞬で看破したかもしれないが、観客がそれに思い当たったのは、舞姫が高々と両腕を上げ、ゆっくりと身を翻して舞い始めてからだった。
 ・・・空間を振るわす大太鼓とその間を流れるような笛の旋律だけが伴奏の、ゆっくりとした しかし力強い舞だった。
 古式舞とは、古来 神に捧げるための舞だった。もちろん舞台で披露するにあたって、舞の所作の緩急や伴奏にアレンジをくわえているものの、古式舞そのものの重厚さはその
ままに残してある。
 炎の揺らめきを受けて暗がりに浮かび上がる舞姫の両腕が上がればそれは天を支える夜の女神の両腕となり、舞台を踏む裸足のその足は冬の大地を踏みならして春を呼び覚ます緑の女神の足となった。
 ―――この日。舞台を踏んだコーヴィラーラに捧げられた賞賛の言葉と万雷の拍手は、今もって翠辿楼の語りぐさとなっている。
 彼女の不思議な衣装と舞はたちまちのうちに評判になった。
さまざまな楽器による けたたましいまでの伴奏にのって、きらびやかな衣装で蝶のように軽々と舞う舞を見慣れた人々にとって、それは新鮮な衝撃だった。
 人々は彼女の舞の中に神秘的な高揚感と根元的な懐かしさを感じ取った。
 そうして、短期間のうちにコーヴィラーラは翠辿楼の一番人気の舞姫として名をはせることとなった。
「見せ方が悪かったのね」
 喜んで報告してきたコーヴィラーラに微笑みながら、トゥーリパン夫人がぽつりと言った。それがコーヴィラーラの舞に対してのものなのか、自分の商品に対してのものなのか
は分からない。おそらくどっちもなのだろう。
 トゥーリパン夫人も忙しくなった。花街の他の舞姫達や、コーヴィラーラの衣装を目にした花街の上客である貴族達の土産話を聞いた、目新しいものと他人より目立つことを信条とする夫人達が、こぞって注文を申し込んできたのだ。・・・半月後には社交界で南領の古典衣装を纏うことが爆発的に流行した。
「・・・売り込みかたもね」
 全く売れなかった時期、夫人は商品を前に考えた。服一着の値が高いというのならば、それを購うことの出来る貴族達をターゲットにすればいい。しかしただ売り込むだけでは意味がない。物珍しさやかっこよさなどの付加価値がなければ人々はついてこない。
(―――ないのなら、こちらで作ればいいじゃない)
 ・・・そうして夫人はコーヴィラーラを広告塔がわりに、人為的に流行を創り出したのだ。

 花街と社交界でブレイクした夫人の創る衣装は、逆輸入的に南領でも流行した。
 そしてその結果と利益を炎王に提示し、夫人はようやく許可を得たのであった。
 ・・・商人トゥーリパン夫人の誕生であった。


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