宝石旋律 〜嵐の雫〜(3)
アシュレイを長椅子に寝かせ、傷ついた手の治療を終えたティアが慌てて柢王の手の治療を始めるのを見届けてから、地理院に書類を探しに桂花は執務室を出て行った。
執務室に二人だけになると、柢王は低くうめいて身を折った。
「・・・痛ってぇ〜〜〜〜っ!」
南の炎に灼かれた傷は、聖水くらいでは応急処置がせいぜいだ。痛み止めの効力もわずかなものである。真っ赤にただれた火傷の痛みを桂花の前では涼しい顔で我慢していた柢王は、ようやくつめていた息を大きく吐き出した。
「・・・この意地っ張り!」
手光の光を一段と強くして治療を急ぎながら、ティアは小声で叱った。
それから小さく頭を下げた。
「桂花を危険な目に遭わせてしまってすまない。私がアシュレイを眠らせられれば良かったんだけれど、どうしても額に触らせてくれなくて」
「・・・いや、俺があいつら二人をたきつけたようなもんだからな。だから俺が体を張らないことにはしょうがないだろ。・・・けど、ケンカでもしてろっての意味は、俺的には『口喧嘩』って事だったんだぜ? それがどうやったら殺し合い寸前に発展するんだよ?!」
「そこは、やっぱり、アシュレイと桂花だから・・・ね?」
言いながら、ティアが苦笑した。
「『ね?』じゃねえだろ。・・・まーったく。どうしようもねえな、あいつらは」
言い返す柢王も苦笑するしかしない。
顔をつきあわせるたびに激突を繰り返すあの二人のことは、この二人にとって、頭の痛い問題である。
ティアも苦笑して、それから、ふとため息をついてしんみりと言った。
「・・・こんな時だけどね。柢王。今、私は、とても嬉しくて悲しいんだ」
「?」
「君とアシュレイが境界の所でシュラムを取り合って、君が桂花をかばって負傷した時の事をおぼえてる? 執務室でまた喧嘩になりかけて、今回みたいにわたしはアシュレイごと白繭の結界を張った。
あの時、アシュレイは私に暴力をふるった。・・・けれど、あれでも十分彼は手加減していたんだなって、今、ようやく分かった。」
「ティア?」
「・・・考えなくても分かる事なんだけど、何としてでも白繭の結界から出たいのなら、私を殴って気絶させればすむことだもの。本当のところ、わたしは服を破かれてポカポカ殴られて悲鳴を上げているどころじゃなかったと思う。・・・今日の彼は本当に怒り狂っていた。暴れて暴れて、自分の拳を傷つけるぐらいに・・・。 ・・・でもね柢王、それほど怒っていても、アシュレイは一度も私にその怒りの力を振るおうとしなかった。」
「・・・それが嬉しいことか? じゃあ、悲しいってのは?」
あいつはあーいう怒っている時は、ほとんど本能で動いてっから単に気づかなかっただけじゃねえの?・・・という言葉を柢王はかろうじて飲み込んだ。
「だから嬉しくて悲しいって言っているじゃないか。 アシュレイは私にあんな激しい感情も、怒りの力も向けない。そんなことになったら何もかも終わりだって知っているから。・・・アシュレイは、私を壊れ物のように扱う。全力でぶつかってくることは決してないんだ。・・・それが悲しくて嬉しい。嬉しくて悲しいんだ・・・・」
手を握ったり開いたりして治り加減を確かめていた柢王がそのまま手をうつむいたティアの頭に乗せ、ぐしゃぐしゃとかき回す。
「・・・おい、ティア。俺はお前の恋愛お悩み相談係じゃないぞ。」
「いいじゃないか。・・・聞いてほしいだけなんだから」
ぐしゃぐしゃとかき混ぜる手を払いのけないまま、ティアが言う。
「しかも聞きようによっては、アシュレイに殺意を向けられる桂花や、アシュレイとド突き合う俺に妬いているようにも聞こえるんだが・・・」
ティアが吹き出した。
「それは気づかなかった。・・・あ、でもそうかも。それもいいかも。じゃあ、そう言うことにしておこうかな」
ティアは顔を上げ、柢王を見てにこっと笑った。
何を納得してんだよ、否定しろよ! と同じように笑って言いかけた柢王が言葉を止めた。
書類を抱えた桂花が戻ってきて、室内の雰囲気にちょっと入りにくそうに戸口で立ち止まっている。
「さすが早いね。おかえり、桂花。」
「桂花、そんなトコ立ってないで早く入ってこいよ。」
ティアと柢王が笑って桂花を差し招く。二つ並んだ屈託のない笑顔に、桂花は安心と不安が入り交じった何とも複雑な気分で執務室に足を踏み入れて扉を閉める。
指の付け根がまだ突っ張る感じがするという柢王の治療に戻った守天の横顔を見て、ぎくりと桂花は足を止めた。
「守天殿・・・頬に、血が・・・」
守天の耳に近い位置の左頬に紅い筋が流れるように付いている。
「ティア、おまえ怪我を・・?」
女性よりも白い左頬に付いた血のあとを指した柢王に、ティアは首をかしげ、そして瞳を一瞬曇らせた。
「・・・私のじゃない。アシュレイのだよ」
結界を叩き続けて傷ついた拳からとんだ血のひとしずくだった。
すでに乾いた血は、柢王が袖口でこすっても、容易に頬からぬぐえなかった。
水で湿らせた手巾を桂花が持ってきて、柢王の手を手光で癒すために両手を動かせない守天の頬をそっとぬぐう。
(いい光景だよな・・・)
守天の頬をぬぐう桂花の横顔を見ながら、柢王はぼんやり思った。
柢王とティアと桂花。この組み合わせで激突する心配はまずない。柢王とティアとアシュレイ。この組み合わせでも、幼なじみ同士だし、一部で激突はするが、所詮じゃれあいの喧嘩レベルだから心配ない。しかし、アシュレイと桂花を一緒にしてしまうと、どうしてああも修羅場になってしまうのだろう。なんで二人ともああもかたくななのだろうと柢王は心中でため息をついた。
「走り書きしたメモをくわえて冰玉が窓に体当たりをかけようとしているのを桂花が見つけた時にはどうしようかと思ったよ。窓には結界が張ってあるから」
執務机の豪奢な椅子に腰をかけ、書類の一枚を読みとりながらティアが言った。
「悪かったよ、緊急事態だったからさ。」
執務机の端に直接腰を下ろして書類の束をめくりながら柢王が返す。その柢王に、行儀が
悪いから机に座るのはやめて下さいと、椅子を運んできて柢王を机から引きずりおろして座
らせながら、桂花が言った。
「・・・柢王、貴方の直感が侮れないことは認めます。・・・しかしそのことを考慮した上で言いたくはありませんが、―――吾にはどうしてもあれがサル個人を狙ったものとは思えないのですが。」
桂花が地理院から探し出してきた、魔族が出現した現場周辺の膨大な量の資料を執務机の上に広げ、三人それぞれ手分けして書類を覗き込み、何かおかしいところはなかったのかと検討していた。
「・・・そう言われても、直感としか言いようがないんだからしょうがないだろ。何だかいやな感じがする。確証も何もないけどな。 ・・・どちらにしろ、あんだけの騒ぎをおこしたんだ。現場周辺に妖気はギンギンに残っちゃいるから魔族が出たって事は分かるんだが、まずいことに証拠となるモンが全く残っちゃいねえんだ。証拠となるモンが見つからなかったら、あいつは何の理由もなくあのあたりをぶっ壊したって事になるからな。警邏の奴らに連行されるよりは、あいつの足で出頭させた方が少しはマシだと思ったのさ」
魔族が出没するのは、そう珍しいことではない。たしかに、結界石が壊れ、大半が人界に落ちていき、ここ最近、天界では大がかりな魔族騒動はない。しかし、全くないわけでもないのだ。虜石のように、得体の知れない力を秘めた、今まで知られることのなかった魔族も
発見されている。
「ただ、場所が場所なだけに、隠れていたモノがモノだけに、何か引っかかるのさ」
治水工事に伴い、あの周辺一体は一時期通行が禁止されており、しかも川と森しかない場
所であるため、通行禁止令が解けた後でも、空を飛べないパンピーも空を飛べる兵士も、他
のルートを使っており、人通りの少ない場所であった。そこを使おうとするのは、そこを飛び抜けるのが一番人目に付きにくく天守塔への行けるとわかっている者だけだ。
そして、天守塔と南領の境界で出現した魔族は、巨大な岩石の中から現れたと言うことだったが、もともとあの岩は、川の治水工事が行われたおりに、ついでに周辺も整備しようということになり、境界の結界を強化するよう特殊な布陣で配置された岩石の一つだったのである。
「・・・他の岩はどうでした?」
巨岩を仕入れるさいに作成された北領の資料を覗き込みながら、椅子に座った柢王の傍らに立つ桂花が柢王に問う。
「一応全部に霊気を叩き込んでみたが反応はなかった。念のため冰玉に上空から見張らせているから何かあったら飛んでくるだろうさ」
柢王が言い、桂花の持つ北の書類を覗き込んで言い添えた。
「北の石切場から出荷される岩石は、全部熱処理済みのハズだぜ。」
「一概にそう言いきれないと思います。虜石の件がいい例です。」
桂花が言うのに、ティアも賛同する。
「人界にも冬眠状態なら熱湯の中に入れても、絶対零度近くの低温下でも生き延びる生物もいるしね。魔界の生物にもそう言う条件下で生き延びる生物がいないとは言い切れない。」
アシュレイが遭遇した魔族のカケラの一つでも残っていれば、桂花を通じてある程度の情報が得られるのだが、いかんせん、アシュレイは目撃者なしのたった一人で闘い、倒すのではなく、跡形もなく蒸発させてしまったのだ。
南領と中央の兵士達が残骸の中から捜索をしているが、とてもではないが見つけ出せるとは誰も思っていない。
「・・・・・」(×3)
三人は深々とため息をついた。
柢王がさらにもう一つため息をついて、桂花の持つ書類を指ではじいた。
「・・・確かに北から入荷したこの岩が一番あやしい。となると、普通に考えれば北が一番あ
やしいことになるんだが」
三人は顔を見合わせた。
「・・・しかし何しろ北だぜ。あのガッチガチに真面目で堅くて強えぇ山凍の国だ。しかも山凍のそばにはあいつがいて、山凍の領土に目を光らせている」
―――『魔石の審判』こと 神獣・黒麒麟の孔明が。
「事故だとしてもありえねえ。」
気むずかしい顔で、柢王は口をつぐんだ。
執務室に、沈黙が落ちた。
「柢王」
柢王の隣の桂花が低い声で名を呼び、肩に触れる。
「一人で抱え込まないで、あなたの考えを聞かせて下さい」
「・・・・・」
「柢王・・・?」
ティアも彼の名を呼ぶ。
柢王は応えない。黒に近い深青の瞳は手に持つ書類に注がれていたが、そのじつ、その目には何も映っていないことを二人は知っていた。
やがて柢王は、ゆっくりと顔を上げると、肩に置かれた桂花の手にそっと触れて、そのまま握りしめる。
あくまでこれは推測なんだけどな、と前置きしてから、柢王は言った。
「・・・もしかしたら、あれは魔界から持ち込まれた岩石じゃないのか、と思ってな。あんな巨大な岩石を切り出す作業には、天界人が大勢関わっていたはずなんだ。そして魔族は天界人の霊気に反応する。・・・魔族が出現するとしたら、むしろ北の石切場である確率の方が高いはず・・・・。それからもう一つに、ああいった白っぽい岩は、魔界でもよく見かけられるものだ。似たような形に切り出して、本物と並べても、そう見分けはつかないと思うぜ」
「・・・周辺の森林を整備した業者が利益をかすめ取るために北領から購入した岩石のいくつかを、それとよく似た魔界の岩石とすり替えた、ということ?」
「そして、その一つが魔族入りだったって訳ですか?」
ティアと桂花が硬い表情でかえす。
「・・・やっぱ、馬鹿馬鹿しい考えだったな」
出来れば笑い飛ばしてくれ、と柢王が苦々しげに言った。
「笑えません」
桂花が硬い表情で言い、柢王の肩を掴む手に力を込めた。
「魔界からとなると、魔風窟がらみで、東の問題にも関わってくるじゃありませんか」
「・・・森を整備した、南の業者と商人達もだ」
ティアが執務机の上でうめいた。