投稿(妄想)小説の部屋

ここは、みなさんからの投稿小説を紹介するページです。
投稿はこちらのページから。 感想は、投稿小説専用の掲示板へお願いします。

No.596 (2005/10/09 18:18) 投稿者:花稀藍生

桂輪孤朗青海濶(前)

 甲板の上は騒然としていた。
 海賊は逃げたが海賊達との戦闘によって倒れた水夫達が甲板の上でうめいていた。
 海賊達の死体は甲板から海へと投げ込まれ、水夫達の遺体は後に一定の手順を踏んで水葬されるべく、甲板の一隅に集められている。
 帆影の下には息のある者だけが残されていた。
 ・・・カイシャンの声が戻ったことを喜び、その余韻に浸る間もなく桂花は薬師としての役割を果たさなければならなくなった。
「・・・・・だめだ。肺と内臓をやられている・・」
 血泡を口の端から流す、若い水夫の血にまみれた上衣の前を開いた桂花が力なくつぶやいた。
「・・・全く容赦なしってなもンだったもんな。武器を捨てて命乞いしてる奴らまで殺しやがった。ひでえもんだ。・・・こいつなんかまだ子供みたいなモンだってのによ」
 膝をついた桂花の上から馬空が覗き込んでぼやいた。
 肺に血がたまっているのか、若い水夫はもうほとんど呼吸をしていなかった。かすかに開いた瞳が上から覗き込む桂花の姿を認めた時、血に汚れた唇がわずかに開いて言葉を紡ぎ出した。・・・そして、若者は呼吸を止めた。力なく甲板によこたわった体から、血だけが流れ続けていた。
「・・・・・」
 馬空が背後でため息をつくのを聞きながら、桂花は若者の上着を元に戻した。
「・・・その人、死んでしまったの・・・・?」
 ふいに傍らからした子供の声に桂花はぎくりと手を止めた。振り向けば、馬空の傍らに、表情を硬くした少年が桂花を見ていた。
「カイシャン様! どうして・・・」
 船底の船室に戻っていなさいと指示したはずの少年は、立ち上がった桂花の叱責に近い声に馬空の体に隠れるようにして、それでも桂花から視線を外さずに言った。
「だって、・・・馬空が腕にケガしてたから、桂花に手当てしてもらおうと・・・思って」
「馬空?」
 そんなきっつい目で睨むなよ!とカイシャン共々数歩後ろに下がりながら馬空がわめく。その彼の左上腕部に布がきつく巻き付けてあった。しかしその布はぐっしょりと赤く染まり、腕を伝って甲板に染みを作っていた。
「止血はしたんだがな。このとおりだ」
 無事な方の手でぼりぼり頭をかきながら馬空があっけらかんと笑ったが、カイシャンは心配そうに馬空を見上げ、そして桂花の方を向いてその大きな瞳で無言の懇願をした。
「大丈夫ですぜ。血のわりに、たいして痛かぁありませんから」
「・・・馬鹿を言うな。あまり痛みが無いということは、傷がそれだけ深いということだ」
 髪を縛っていた飾りひもを解いて馬空の腕に輪を作って通し、馬空とカイシャンが止める間もなく自分の左肩に突き立ったままの矢を中途から折ると、輪にかけて回転させ馬空の腕を締め上げて止血を施す。
「馬空、、カイシャン様を船底の船室へお連れしろ」
 矢柄を固定しながら、桂花が言った。
「・・・なんでだよ! あんな事があった直後だぜ! またひとりぼっちにさせるより、人間の多いところにいさせた方がいいだろ!」
 カイシャンが反論する前に馬空が桂花に怒鳴った。桂花が顔を上げて馬空を睨み付け、襟元を掴んで引き寄せると、カイシャンに聞こえないよう小声で怒鳴った。
「人が死ぬ! これから、まだ何人もだ・・・!」
 怒りをはらんだ紫瞳を至近距離で見た馬空がひるむ。
「カイシャン様のお声が出なくなった原因をもう忘れたのか!」
「お・・・」
「わかったら、早くカイシャン様を船底にお連れしろ!」
 ひるんだままの馬空を突き放し、彼らに背を向けると、甲板に並ぶ負傷者のもとへ歩み去る。
 桂花の後ろ姿と交互にカイシャンが困った顔で見上げるのでようやく馬空は我に返った。 
(・・・おっかねーわ きれーだわ 怖えぇわ きれーだわ・・・(以下リフレイン))
 さえざえとした美貌と切れるようなまなざしで、常々周囲の者達をすくみあがらせてきた桂花である。通常の状態でそれなのに、感情を波立たせた桂花の美貌を至近距離で拝ませられた馬空は、天国
と地獄を短時間で行き来したような気分で『触らぬ神にたたりなし。』と肝に刻み、カイシャンを船室に連れて行くべく手を差し出したその途端、、
「馬空!」
 呼ばれて馬空が飛び上がる。治療に戻ったはずの桂花が戻ってきていた。
「な・なんだ?」
 すでに逃げ腰の馬空である。
「傷の浅い者をなるたけ早く代わりに寄越すようにさせるから、お前もそれまでそれで我慢しろ」
 は? と言いかけて、腕のことを言っているのだと気づく。
「・・・あ、ああ、あいよ。わかった」
「時々ゆるめて血を通せよ。さもないと腕が腐るぞ」
 それだけ言って、桂花はあっさりと背を向けた。背を向ける直前に左肩に突き立ったままの矢を見とがめた馬空があわてて呼び止める。
「・・・おい、あんたの治療は? 矢が刺さったままじゃねえか」
「今この矢を抜けば、治療の作業に支障が出る。」
 振り向きもせずに桂花が素っ気なく返す。
「後回しだ」
 そのまま歩き去っていってしまった桂花の背中をぽかんと馬空は見送った。
 海風に巻き上げられた長い金の髪を、桂花が五月蝿そうに後ろに払っている。
 馬空は止血を施された腕を見た。さっきまで桂花の髪を結わえていた飾りひもは馬空の血ですっかり汚れてしまっている。
「・・・・・」
 ・・・やれやれ、と馬空は頭をかいた。
 おっかなくて怖くて、しかし美人で、・・・しかも かっこいいときた。
(そーいや、それで惚れたんだっけか)
 草原に一人でいた桂花を部下たちと共にからみにいったのがきっかけといえばきっかけだ。それを顔色一つ、表情一つ変えずに 一対多数の不利な、しかも徒手空拳の状態から武器を奪い、馬空の部
下を短時間で地に沈めた。しかもその後、あっさりと馬空達の非礼を水に流し、傷の治療までしたのだ。
 あの時の桂花もそれはそれで、恐ろしく美しく、かっこいいものだったが。
「・・・・・」
 心配そうに見上げていたカイシャンと目が合う。
 あの無表情な薬師が、この小さな子供に関してだけは、感情を波立たせる。
(・・・おかげで今日は、世にも珍しい泣き顔なんぞを拝めちまったわけなんだけどな)
 馬空はにやにやと笑うと、桂花の側に行きたそうなカイシャンを無事なほうの腕で抱え上げた。少しだけ残念そうな顔をしたカイシャンだったが、桂花の邪魔になるのは少年の本意ではないらしく、
素直に馬空の首に腕を回した。
「・・・死んでしまったあの人、・・・さいごに だれかの名前を呼んでいたね」
 カイシャンがぽつりと言う。
「女の名前でしたね。恋人か大事な誰かじゃないですか」
 馬空が慎重に船の狭い階段をたどりながらかえす。
「・・・・・」
 黙り込んでしまったカイシャンを馬空は不思議そうに見たが、何も聞かないことにした。


このお話の続きを読む | この投稿者の作品をもっと読む | 投稿小説目次TOPに戻る