愁雲/1
「桂花のおかげだな・・・・」
ドッサリと積み重なった書類の山々を、久しぶりに完全制覇したティアは、スッキリした机の上をひと撫でするとおもむろに席を立った。
「さすがに疲れた・・・」
塔全体が深い夜のしじまに包まれている。
少し、外の空気を入れようとバルコニーの結界を解いたティアは、驚きのあまり声も出せずに数センチ飛び上がってしまった。
「――――アシュレイッ?!」
そこには、今人間界にいるはずの恋人の姿があった。
戸惑いながらも手を伸ばし触れる。どのくらいここに立っていたのか、その体はすっかり冷たくなってしまっていた。
「いつからいたの、こんなに冷たくなって!」
「今・・・来たばっかりだ。飛んできたから風で冷えただけだ」
「とにかく、中に入って・・・・何? 何を持ってるの」
アシュレイは片手だけ後ろに回してうつむいている。
ティアと目を合わせようともしない。
隠しているものを覗き込もうとすると、彼は自分の体でそれを拒んだ。
数回、そんなやりとりを繰り返したところで、ティアが溜息をつく。
「アシュレイ」
声のトーンが明らかに低くなったティアを上目づかいに見て、アシュレイはいたずらが見つかった子供のようなことを言った。
「・・・・怒らないか?」
その様子があまりにも可愛くて、抱きしめようと手をまわしたティアの指に何かが刺さる。
「イタッ」
「ティア? 大丈夫かっ」
慌てたアシュレイが後ろ手に隠し持っていた物を足元に置き、ティアの優美な手を自分に引き寄せた。
「トゲが刺さったんだ、今抜いてやるから!」
眉間にしわをよせ、大袈裟にするアシュレイに微笑んでティアは軽く首を振った。
そっとアシュレイの手を離し手光を当てると、刺はツィーザーで引き抜かれるように簡単にとれた。
「・・・・・ごめん」
シュンとしたアシュレイを今度こそ自分の腕の中に閉じ込めたティアは、うっとりとストロベリーブロンドに頬を埋める。
「サボテンだね・・・・それも人間界の」
「どうして判るっ?」
「キミの管轄している島国にはまだ無いはずだけど。それに・・・人間界のものを持ち込んではいけない事くらい、判っているよね?」
飽くまでも優しい口調で確認され、アシュレイは二の句がつげない。
「一体どうしたの、これ」
足元に置かれた細長いサボテンはまるで会釈をしているかのように軽く曲がっていた。
「・・・・この前、柢王に譲ってもらったんだ」
「柢王・・・」
柢王は、時々こっそりと人界の物を持ち込む事があるようだった。
以前、彼が桂花とちょっとした口論になった時、口を滑らせ人界の小太刀を持っていると聞いた事がある。
まぁ、柢王のことだし大目に見てはいたのだが、これは一度注意が必要かもしれない。
「アシュレイ、人間界の物は時として天界人には想像のつかないような事故をもたらす事がある。もしかしたらさっきの刺だって君に刺さっていたら酷く腫れていたかもしれないよ」
いつもの彼なら、この辺りでうるせえっ! 説教するな! と、怒鳴り散らす頃なのに今日は大人しくティアの肩に頭をのせたままだ。
「〜〜〜〜」
「え?何?」
「俺だって一応・・・ちょっとはヤバイかなって思って、島国にそいつを持ってったんだ」
――――これはウソ。
自分が人界に行った後、このサボテンの世話をする者は他にない。枯らしてしまうのが嫌で、一緒に下界へおりたのだった。
「・・・・で、そこで会った人間にこいつを見られて・・・トキっていう女なんだけど、そいつ、もう長くないんだ。トキが、こんな珍しい植物は見たことないって喜ぶから・・・俺、あいつが死ぬまでこのサボテン、貸してやろうと思って・・・・なのに、忙しくて全然あいつの所に行けなかった・・・」
そこまで聞いて、ティアは嫌な予感がした。
もしかすると、そのトキという人間は死んでしまったのだろうか。
アシュレイは間に合わなかったことを悔やんでいるのだろうか。
亜火の時のように自分を責めているのではないか。
「やっと・・・時間作れて、渡しにいこうと思ったらこれ・・・こんなひん曲がってて。あいつ、このサボテンが俺に似てるって言ったんだ。俺はこんな刺だらけじゃないって言ったら・・・・まっすぐなところと、心が・・・・似てるって・・・」
『あんたの外見じゃない、心が似ていると言ってるのさ。傷つけられることを恐れて、完全武装しているじゃないか』
ティアのこととか、角のコンプレックスを比喩的な言い方で相談していたせいかも知れないが、そう言ったのだ。
それまで黙って聞いていたティアは、不安が嫉妬へと急速な変貌を遂げるのを感じていた。