曼珠沙華〜三章〜
数刻、柢王は高熱を出し臥せってしまった。だが熱が下がると先程悪かった顔色はグンと良くなっていた。
その様子を見て取り李々は切り出した。
「ねぇ、悪いけど留守番しててくれる」
「留守番って」
先程の花の残骸。赤い花びらが数枚残っただけの茎を軽く振りながら言った。
「この薬草取ってきたいの。柢王はもう少し静かにしていた方がいいわ」
「俺を信用していいのか? 心配だろ?」
布を被り眠っている子供を見つめ柢王は口を開いた。
「男よ。この子」
「・・・」
そうじゃなくて、と柢王は頭を掻く。
「うふふ、分かってるわよ。でも柢王は無害なか弱い女、子供に手出ししないのも判ってる」
容姿に反してちっとも弱そうでない李々に素直に頷けないながらも柢王は無言を決め込む。
「私もちょっと体力不足なの。いつもなら結界張るところなんだけど」
「分かった。手当てのお礼だ。けど、そんな具合悪いのか?」
柢王は眉をひそめ子供を見る。
「具合が悪いっていうより、・・・知恵熱ね」
「知恵熱?」
「性格には恋煩いかしら。この先に泉があったの。泉があったから此処に居を張っていたというのが正しいわね。そこで、この子、恋をしたみたい。その思いが恋っていうのもまだ分かってないみたいだけど」
何故か李々は哀しそうに笑う。
その微笑が辛そうで、なぐさめたい一心に柢王は頭を働かす。
「気をつけて行けよ」
結局の所、子供の柢王にはそれを言うことで精一杯だった。
「・・・・」
臥せっていた子供の声が聞こえた気がして柢王は近付き覗き込む。
覗きこみ・・・。目を見張った。
李々の子供というから彼女の容姿を予想していた。
だが目を伏せて横たわっている子供は李々とは違ったいた。
紫微色のなめらかな肌に芸術的な刺青が剥き出しの肩や胸の合わせの隙間から見える。
伏せられた目の下は長い睫によって影ができている。
絹糸のような白く輝く髪に一房だけ交じった赤い尾髪。
柢王は食い入るようにその姿を見つめていた。いや、目が離せない。
見つめ続けていると小さな身体が身動ぎ、髪が頬にかかった。
気が付くと柢王は指をのばし髪を払ってやっていた。
長い睫が揺れ、スローモーションのごとく、ゆっくりと目蓋が持ち上がった。
「−−−−っつ」
柢王は度肝を抜かれる。
なんて色艶だ。
「テ・・・・オゥ」
子供は小さく呟くと固まっている柢王に汚れなき瞳で笑いかけ小さな手を差し出す。
反射的に柢王はその手を取りそっと握る。
すると安心したように又目を閉じた。
名を呼ばれた気がした。聞き違いだろうか。柢王は思う。
もう一度。今度はきちんと名前を呼んで欲しくて目を開くのを願いつつ見つめ続ける。
だが安心して眠りに入った彼の瞳が開かれることはなく、再び柢王がその瞳を見るのは数年も先のこととなる。
しばらくして李々は二輪の赤い花を手に戻ってきた。
習慣になっているのだろう。戻ると同時に臥せった子供の側に寄り寝顔を覗き込む。そして花を一輪器に生けると柢王に向き直った。
そっと柢王の腕を取ると巻きつけた布を解く。
あらわになった腕を見て柢王は息を呑んだ。傷がすっかり塞がっているのだ。
「痛みは?」
李々の静かな声に柢王は首を横に振る。
「そう。よかった」
李々は服の埃を払いながらにっこり笑い、立ち上がった。
「魔風窟の出口まで送ってあげる」
柢王は顔を曇らせた。
李々ともっと話したい。魔界のことを聞きたい。彼女の剣技を見たい。そして、あの紫の瞳の子供と言葉を交わしてみたい。
まだ居たいと李々を仰ぐ柢王に、静かだけれど強い瞳で彼女は制する。
『あなたの居るぺき場所ではない』と。
何も反論できないまま、柢王は李々に促されそこを後にした。
穴蔵から出口までの長い道のりを二人は無言で歩いた。
柢王は忘れないようにと順路を頭に焼き付けながら歩く。
「ここからは一人で行きなさい」
出口の近く来て、やっと李々が口を開いた。
なんて言ったらいいのだろう・・・。言葉が出ない。
俯く柢王に李々は微笑を浮かべ先程の花を差し出す。
「あげる。綺麗でしょう?」
赤い花を見つめ張っていた柢王の頬が僅かに弛む。
「李々みたいだ。華やかで目に焼きつく」
「ふふふ、すごい誉め言葉。将来女泣かせになるわ。きっと」
嬉しそうに笑い李々は続ける。
「でもこの花、来世の花。無の世界の花って言われているの。だから女性に例えない方がいいわ」
私は好きだけどと囁き、花に軽く息を吹きかけながら柢王に渡す。
花粉が舞う。
柢王は目を見張るとドサッと地面にくずれ落ちた。
「ごめんなさいね」
柢王の体を岩肌に持たせ李々は呟く。そして洞穴に身を潜め気配を消した。