投稿(妄想)小説の部屋

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No.544 (2005/03/01 22:46) 投稿者:花稀藍生

宝石旋律 〜嵐の雫〜(2)

「アシュレイ!」
 人払いをされた執務室に入った途端、恋人は駆け寄って半ば抱きつくようにして傷の有無を確かめようとした。
「大丈夫? 怪我はない? どこも痛くないかい?」
「わ! よせ! 服が汚れるぞ」
 煤だらけの自分に触られるのが嫌で、アシュレイはその手を巧みに避ける。
「そんなもの気にしないよ。怪我は?」
「ねえよ」
「本当に?」
「本当にねえよ」
「本当の本当に?」
「本当の本当だって!」
 逃げ回るアシュレイを結局捕まえる事が出来なかったが、ティアはそこでようやく安心したように笑った。
「君が、無事で、よかった・・・」
「・・・・・」
 恋人はあいかわらずの笑顔だった。どうしてこんな大騒ぎをおこした自分にそんなふうに笑顔を向けることが出来るんだろう。
 それでも、その笑顔は、自分にだけ向けられるものだということが、アシュレイの不機嫌の炎をゆっくりと鎮めてゆく。
 その時だった。固い物がぶつかり合う音に、アシュレイは一瞬にして身を硬くして音源をたどった。
 視線の先に、桂花がいた。
 執務机の横で、分厚い書類を束ねたものを手にし、面と大きさを揃えるため、机に打ちつけている。さっきの音はそれであるらしかった。
 桂花がこちらを見た。
 もともときついまなざしの魔族だったが、今日のそれは、今までに見たことのないくらい激しい怒りを含んだものだった。
 ダン! と執務室にこもる音をたてて、アシュレイを見据えたまま桂花は新たな書類の束を執務机に積み上げた。そして、ふいと視線をそらすと、何事もなかったように別の書類の束を取り上げる。
「・・・何だよ! 何か言いたいことがあるのかよ!」
 あからさまな挑発に、アシュレイが牙をむいて怒鳴った。
 別に、と他の書類の束を音高く机の面に打ちつけて揃えながら、桂花はちらりとアシュレイを見据えた。
「・・・吾は、まだ 一瞬で蒸発させられたくありませんので」
「・・・てめえ、何がいいたい」
 南の太子は桂花の正面に回りこむと、自分よりも高い位置にある、紫瞳をにらみつけた。
 桂花はその視線にびくともせず、逆に乗り出すようにして身を傾けると、低いが良く通る声で言った。
「あの川は、数ヶ月前に治水工事を終えたばかりだった。・・・力の加減というものも知らないのか このバカザル 」
 一瞬、桂花の視界が白いものに埋め尽くされた。予測が付いていた桂花は後ろに飛び退き、飛び散る書類の向こうから突き出されてきた手を避けた。
 桂花の手から書類をはたき上げたアシュレイの全身から怒りの闘気が爆発したように吹きあがる。
「こ・・の魔族野郎! 今日こそ てめぇを消滅させてやる!」
「力の加減が出来ないということは、その力を使いこなせていないということに等しい。消滅させることなど出来るのか、お前に? ―――この吾を?」
「―――・・・細胞の一片たりとも残さず消してやる・・!」
 執務室じゅうに書類が舞い散る中、二人は対峙した。
「アシュレイ! だめ! ・・・桂花っ 行って!」
 この事態に慌てたのは執務室の主人だった。今しも激突しそうな二人の間にあわてて割って入り、南の太子の体を抱きしめるようにして押さえつけながら、守天が叫ぶ。
 二人は、守天を間にはさんで 睨みあった。
 炎を吹き上げんばかりに怒り狂った真紅の瞳を、冴え冴えとした冬の月光をはじく刃のような紫の瞳が見おろす
「何のための力だ。何のために使う力だ」
「うるせぇ! だまれ!」
「アシュレイ!」
 猛然と暴れる南の太子を押さえ込めなくなった守天は、ついに自分ごと白繭の結界を張
った。
「ちくしょう!またこれか!」
 アシュレイの渾身の力で拳が白繭に叩きつけられるたび、表面はびくともしないものの全体が びりびりと震えている。
 きついまなざしでそれを見据え、さらに口を開きかけた桂花の肩に、あたたかい手が置かれた。振り向いた桂花の口元をもう一つの手が軽くふさぐ。
「それぐらいにしとけ 桂花。アシュレイ、お前もだ」
「・・・柢王」
 桂花に笑いかけ、そのまま桂花を自分の背後に押しやると、白繭の結界の方を向いた。
「・・・おいおい、帰って来るなり修羅場かよ?」
 天の祐け、とばかりに守護主天が南の太子を牽制しながら叫ぶ。
「て・柢王っ! 桂花を連れて行って!」
「そいつを俺に殺させろ!!! ちくしょう! 魔族なんか全部殺してやる!」
 白繭の結界に叩き付けたアシュレイの拳からが白い火花が散る。くだけるほど握りしめた拳に爪が食い込んでついに血が流れ始めたが、それに気づいて制止の声を上げたティアの声もアシュレイには届かない。
 凄まじい怒りの形相で暴れるアシュレイを、柢王はしばらく見ていたが、やがてやれやれとため息をついた。
「ティア、結界を解いてくれ」
「・・・柢王?」
「いいから」
 白繭の結界をといた瞬間、南の太子は守護守天を振り払って飛び出した。斬妖槍を呼び出した右手が熱くなる。このまま顕在化した斬妖槍を振り下ろせば、桂花はあっけなく燃え尽きる。・・・はずだった。
 柢王さえいなければ。
 同時に柢王も床を蹴っていた。一瞬にして距離を詰め、アシュレイの右手を強く払いのける。
 アシュレイが斬妖槍を呼び出すとき、数瞬のタイムラグが生じる。その隙を狙っての攻撃だった。動きの早いアシュレイを止めるには、その隙をつくしか柢王には思いつかなかった。だから武器を手にすることなく、徒手空拳のままアシュレイの懐に飛び込んで斬妖槍の出てくる右手をまず払ったのだ。
「!」
 払いのけられた衝撃で、アシュレイの体が揺れる。その隙を逃さず、柢王は何の躊躇もなく南の太子の顔面目がけて拳を振り下ろした。
「・・・!」
 思わず目をつぶる守護守天の耳に届いたのは、意外に小さな音だった。
「残念」
 顔に届く寸前で柢王の拳はアシュレイの手に止められていた。
 ぎりぎりと力の拮抗を繰り返しながら、アシュレイが柢王を睨み付ける。
「簡単に殴れると思ったか?」
 柢王が笑った。
「殴れるさ」
 不意に柢王の拳から力が抜けた。 かろうじて保っていたバランスが一気に崩れる。
「頭に血が上っている、今のお前ならな」
「!」
 次の瞬間、みぞおちに打撃が来た。予測はついていたのでとっさに腹筋を締めて衝撃を殺したアシュレイだったが、間髪入れずに首元に電撃を落とされ、全身を走った衝撃にアシュレイはうめいて膝を折った。
「・・・っそぉ・・ 顔面と腹は最初から囮かよ・・ こんなことなら」
「こんなことなら、顔を殴られても斬妖槍を出しておくべきだった、か? ティアがいるところでそんな物騒なものを振り回すつもりだったのか? アシュレイ」
 力を失い、ずるずると崩れ落ちる体を片腕で抱き止めながら柢王は冷ややかに言った。
「・・・」
 視界が、暗くなる。体の力が抜けていく。それなのに、柢王の声だけはやけにはっきりと耳を打つ。
「アシュレイ。お前は、誰のために 元帥になったんだ?」
 うるさい、と言いたかったが、もはや声は出なかった。
「・・・お前が心配だよ。アシュレイ。その怒りのパワーが、年々増していくその力が、お前すらも壊してしまいそうな気がして。・・・もし、その力をお前が制御しきれなかったとしたら・・・いつか、おまえの存在そのものを支えきれずに、世界は崩壊するのかもしれない、そんな気がしてならない・・・」
 視界が真っ暗になった。
(・・・へ・・ あいつバカ言ってやがる。俺にそんな力があるわけが・・・)
 しかし、そう思いながら、それを笑い飛ばすことの出来ない自分がいた。
(・・・・・)
 そうして、闇が訪れた・・・


駆け寄ってきたティアにアシュレイを託した柢王に、入れ替わるようにして桂花が走り寄
った。
「手を見せてください」
 柢王が何かを言う前に桂花はすでに柢王の左手首を掴んで持ち上げていた。その手に視線を落とした桂花が眉をつり上げてうめく。
「・・・たいしたもんだよ。あのタイミングで、炎の結界を張ろうとするとはな。感電させんが一瞬でも遅かったら、俺の拳は炭になっていたかもな」
 真っ赤にただれた左掌を見おろして柢王が言うのに『感心している場合ですか!』と声を荒げた桂花が問答無用で椅子に座らせると、薬箱の中から細工の美しいガラス瓶を取ってきて柢王の前に膝をついた。
 無色透明の液体が入ったそのガラス瓶の栓のつまみを掴んだ時、桂花は一瞬躊躇したが、意を決したように一気に引き抜き、その中身を少しずつ傷口に垂らし始めた。なじみ深い甘い香りの液体が垂らされた部分から、痛みが少しずつひいてゆく。
「全くあなたは無茶ばっかりして・・・!」
 聖水の甘い香りに頭の芯が揺さぶられるのを必死でこらえながら、桂花がうめくように言った。それは泣き声にも似ていた。
 椅子に座る柢王からは、床に膝をついて傷を覗き込んで治療してくれている桂花の形の良い小さな頭しか見えない。
「・・・何言ってんだ。無茶はお前のほうだろうが。俺が来るのがもう少し遅かったら桂花、お前はアシュレイに殺されていたかも知れないんだぞ」
 一体どんな表情をして治療してくれているのか覗き込んでみたい衝動を抑え、柢王は怪我のない右手で桂花の頭をそっと包むように撫でた。桂花はそれを五月蝿そうに頭を振って払い、顔を上げた。
「・・・・あなたこそ何を言っているんです。喧嘩でも何でもしてていいから、とにかくサルを執務室から出すなと冰玉に伝言を届けさせたのはあなたでしょうが」
 きついまなざしが柢王を見上げる。知らない者が見たら、確実に逃げ出すほどきついまなざしだったが、桂花をよく知る柢王は肩をすくめて体を前に倒すと、桂花の肩に額をおとした。桂花は動かない。手に持つ瓶の中身はすでに空だった。
「心配かけて悪かった。もう痛くねーよ」
 桂花と喧嘩をする柢王だからこそ知っている。よく怒りながら泣く桂花は(その内容のほとんどは柢王の無茶に対する怒りであるのだが・・・)泣く寸前にそういう顔をする。心配する感情の裏返しで怒る。怒りながら泣く。
「・・・それで? どうしてあなたはサルを執務室に留めておけと言ったんですか?」
 聞こえなかったふりをして、桂花は柢王からそっと離れた。柢王を見上げる瞳がいつもの桂花に戻っている。それに柢王は「お前だってうすうす気づいて入るんだろ?」と笑いかけ、それにいまいましげに桂花はうなづいた。
「アシュレイは執務室にいれば安心だ。ティアが全力で護るからな」


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