火姫宴楽(2)
「どーして! よりによって姉上の相手役がお前なんだよっ!!」
花街のはずれの丘の上で屋台で買ってきた串に刺した揚げ菓子をかじりかけた柢王は、いきなり空から降ってきた年下の友人二人に目を丸くした。傾斜した丘の上に降り立った途端バランスを崩して転げ落ちそうになった金髪の少年を赤毛の少年があわてて支えようとしてバランスを崩し、二人もろともに丘を転げ落ちかけるのを、柢王は揚げ菓子をくわえたままそれぞれの襟首を掴んでそれを防ぎ、こちらを向かせた途端、赤毛の少年が発した言葉がそれだった。
「・・・って、わざわざそれを俺に言うために東国くんだりまで押しかけて来たってか? お前らは。しかもアシュレイはまだしも、ティア、お前まで。どうやって護衛をまいたんだよ?」
「いや、私はアシュレイが心配で付いてきたって言うか(無理矢理一緒に連れてこられたというべきか)。・・・ちょっと好奇心もあったしね。それちゃんと聞きたいこともあったし。あれから二日経つけど天主塔じゃまだまだ君たちのことで持ちきりだよ。」
卓越した頭脳とたぐいまれな美貌の持ち主の天主塔の幼い主人は(あまり活動には向かない長衣と長い金髪も手伝って美少女にしか見えないが)およそ年下とも思えない物言いで柢王に笑いかけた。その隣では目をむくほど鮮やかな赤毛とそれに勝る紅玉の瞳を爛々と光らせた南の太子が敵意もあらわに怒鳴る。
「姉上も姉上だっ! 何でお前にエスコートなんかさせるんだよ!」
食いつくように怒鳴るアシュレイにデコピンの一撃を食らわせ、ひるんだところに柢王があきれたように、半ば諭すように言った。
「ばか。逆だ。逆」
「・・・ああ?」
「おまえ、話を聞いてなかったのか? グラインダーズ殿は俺に『エスコートしていただきたい』じゃなく、『エスコートさせていただきたい』って言ったんだぞ。つまりグラインダーズ殿が俺をエスコ−トするって事になってんだぜ」
「姉上が・・ ・・あれ? えーと、それじゃあ・・」
「そう。つまり俺が『女役』ってわけだ」
・・・沈黙が落ちた。
ティアが納得したように頷くその隣でアシュレイはしばらく放心したようにさっきの言葉を反芻していたようだったが、やがてまじまじと年上の友人の顔と見て、いきなり爆発したように吹き出した。
「お前が女役〜〜っ?! じゃあお前が女のカッコするってかぁ?」
見たくねーっ! とゲラゲラ笑い転げる。
「じゃあ、やっぱり言い間違えじゃないんだね? 他人から聞いた時にあれ? と思っていたんだけれど。」
「言い間違えるような人じゃないだろ。昔っから女心は複雑でナゾなもんだと相場が決まっているって親父が言ってたし、あっさり男役女役よりその逆にしたほうが面白いだろうってあの人なりに考えたんじゃねえの?」
そういうものなの? とティアは不思議そうに首をかしげた。幼い天主塔の主人を取り巻く美しく優しい使い女達と、彼を王子様♪ と信奉する幼い年少組の女児達しかまだ知らない(そう、まだこの時点では・・・)彼には、そういう女心の複雑さと言われてもあまりピンと来ないらしい。
その隣でゲラゲラ笑い転げていたアシュレイは、はたと笑いを止めて怒鳴った。
「そんでも姉上がお前を選んだことには変わりねーじゃねーかっ!」
「・・・男心も複雑だ・・・・・」
「美人の姉を持った弟の苦悩ってトコかな? 私には親も兄弟もいないからよく分からないけど。でも柢王。私には二秒でそんな条件を承諾しちゃう君のほうがナゾだよ。」
「だいたいだな! ・・・う〜・・ ちくしょう、腹に力がはいらねえ・・」
怒鳴りかけたアシュレイが腹を押さえて力なく呻いて腰を落とした。
「私も・・・」
その隣にティアがへなへなとしゃがみ込む。
「・・・なんだ腹減ってんのか?おまえら」
天主塔から二人で隠遁の術で抜け出して空を飛び続けてきた彼らは体力を消耗していたのだ。
夜の喧噪にはまだ早い花街から、少し離れた場所にある食べ物や小物を売る屋台の建ち並ぶ通りまで柢王は彼らを連れて行くと、好奇心丸出しで物珍しそうに屋台を見回している二人に揚げ菓子と飲み物を買って差し出した。
「食いもんなんかで俺を恐竜しようってのか!」
「・・・それをいうなら懐柔(怪獣)だろうが。(しかも思いっきり間違っているし・・・)」
未だ柢王にビミョーにハズした敵愾心を燃やして怒鳴っていたアシュレイだったが、屋台で買った揚げ菓子を食べ終わる頃にはすっかり機嫌が直っていた。
「柢王、あれも美味そうだ。食べたい!」
金網の上でじゅうじゅう音を立てて焼かれている串焼き肉を指してアシュレイが柢王を見上げる。その瞬間頭に巻いた布がずり落ちそうになり、隣にいたティアがあわててそれを押さえつける。冠帽とその赤毛は大いに目立つからと変装の意味を込めて柢王がそうしたのだが、巻き方が甘かったらしい。あちこち布を引っ張ってそれをなおしているティアは前髪を全部おろして額の御印を隠している。
「あー、あれか? それならここより向こうの店のほうが美味い。タレに南領産のチャツネが使ってあるからお前の口にも合うだろうし」
アシュレイがニコーッと笑って柢王の袖口を引っ張った。
・・・数十分後。
「あ! テヘオオ あへはナグなんハ?」
「ああ、あれは西で採れる魚のすり身に色々混ぜて固めたやつを揚げたモンだ。中に醍醐が入ってるやつとか木耳が入ってるやつとかが美味い。・・・分かった分かった。買ってやるからまず今頬張っているモンを食っちまえ」
幸せという文字を顔いっぱいに貼り付けて屋台の食べ物を育ち盛りの凄まじい食欲で制覇しているアシュレイの隣で、早々に満腹になったティアは、食べ物よりも店頭に並ぶ小物に目を奪われている。
鈴蘭や沈丁花や水仙などのスタンダードな香玉から、ティアが知らないような香りの香玉などが並ぶ台を嬉しそうに覗き込むティアの横にひょいと柢王が並んだ。
「花街の御職の太夫が調合した香玉とかもここに卸してあるんだ。そこにある香袋の模様のデザインとかは芸妓達が手がけてるらしいぞ。おいティア、何か欲しいモンがあったら遠慮なく言えよ」
柢王に背中をどやされて、ティアはさっきから気になっていた淡い浅黄色のグラデーションの上に錆色で鉄線唐草模様が施された香袋と香玉を二つ指さした。店の店主に「お嬢ちゃん小さいのにお目が高い!」と褒められて小さな香玉をおまけにもらい、ティアは複雑そうに笑いながらもきちんと礼を言った。
気前よく食べ物や小物をおごってくれる柢王に、香玉と香袋を大事そうに袖口にしまいながらもティアがおずおずと尋ねる。
「こんなに買ってもらってしまっていいの?」
「臨時収入があったから気にすんな」
柢王は笑って手を振った。
「・・・姉上は俺にはなーんも言ってくれないんだ。乳母達が姉上付きの使い女達にこっそり尋ねてくれたんだけど、黙り込んで私たちにも何にも言ってくれないって。デザイナー達にはもう少し待ってと言い続けてたらしいし。・・・でもおまえを選んだことで城じゅう結構大騒ぎだぜ。東国の職人とかもショーヘー(招聘)されてるみたいだし」
「・・・東の? どんな?」
「・・・わかんねー。わかったのは東の職人って事だけ」
すっかり満足した二人と元の丘への道を辿りながら、アシュレイの言葉に柢王が眉をひそめる。
「綿織物の職人じゃないことだけは確かじゃないかな。昨日と今日天主塔に来てたし。えーと。あと染色のほうも違うと思う」
「・・・職人たって山にように種類があるしなあ・・」
「・・・えっとね。関係あるかどうか分からないけれどグラインダーズ殿が昨日天主塔の蔵書室に来てらしたよ。何も借りて行かれなかったけれどね」
「・・・・・・」
・・・笑って手を振りながら夕暮れの空を飛んで帰ってゆく彼らに手を振り返し、彼らの姿が見えなくなったところで手を下げた柢王は、やれやれとため息をついた。
(情報が少なすぎる・・・)
「・・・結局、俺はどんな仮装をさせられるんだ?」
(おまけにこうなった経緯の前後関係もよくわかんねーし。・・・だいいちトゥーリパン夫人って誰だよ?南領の行事なんぞ、いくら東の王族つったって一介の文殊塾生なんかが知ってる訳ねーし。・・・親父に聞くのは何かヤだしなー。)
「・・・ん? まてよ・トゥーリパン夫人? ・・・親父がなんか言ってた気がするぞ。・・・たしか」
柢王はすっかり暮れた空から視線を戻し、小高い丘の上から地上を見おろした。
さっきまでいた屋台の明かりがぽつぽつと灯る通りから少し離れた場所―――。
まるでそこから光と歓喜が生まれ出たかのように、暗闇の中で光り輝く場所―――。
「・・・たしか 花街の話題の時に―――言っていたような。」
光を見つめる柢王の髪を一陣の夜風が乱していった。