こころひとつ 7
寒くてたまらない真冬の夜だった。
俺、池谷忍は小沼桔梗の家に泊まりに来ていた。
今日はとうとうこの東京でも初雪が降ったんだ。
もう高校一年生も後少しを残したこの年になっても、小沼は子供みたいな奴だ。
夜、雪が降り始めたのは夜の11時を少し過ぎた時刻だった。
最初は眠いだの寒いだの言っていたあいつは、夜空に真っ白な雪がちらつき出したのを見て、めちゃくちゃうれしそうに笑ったんだ。
目をきらきらさせた小沼に誘われるままにベランダに出た俺たちは、雪を見ながらいろんなことをしゃべった。
俺はずっとアメリカのスクールに通っていたから、桔梗の通っている高校の話しを聞くのはなかなか興味深かった。
しばらくすると、いくら厚着とはいえだんだんと寒さが身にしみてきた。
ちょうどその時、家に帰ってきた卓也さんがベランダに人がいるのに気づいて小沼のためにコートを持ってきた。
「おい、風邪引くぞ。…っと忍も来てたのか?」
実は俺は今、テスト期間中なんだ。
俺はテスト期間中にはほぼ小沼の家には行かないことにしている。
だから卓也さんが驚いた顔をするのも無理はなかった。
そういば俺が今日はいてきた靴も、サイズが合わなくなったからといって、最近小沼にもらったものだ。
今日は俺の両親は家にいない。
実は以前NYで勤めていた縁もあって、今週の土日はアメリカに行っているんだ。
だから俺は小沼の家に来ている。
別に家で一人で留守番するのが嫌なわけじゃないんだ。
でも、最近の俺はちょっとおかしい。
以前、俺は人と一緒にいるのを苦痛に感じたり、人と群れる事に恐怖心を持っていた。
そんな俺が、今は一人でいると時々とてつもなく寂しさを感じてしまうことがあるんだ。
その理由がなんなのか、俺にはすこし分かりかけていた。
卓也さんがすまなそうな顔をして、もう一枚コートを取りに行こうとするのを俺が止めようとしたときだった。
卓也さんの影になって見えていなかった所から、二葉の声がしたんだ。
なんとなくそれだけで俺の心臓ははねあがってしまう。
「だから言ったじゃん? 忍来てるんじゃねーの? ってさ。ほらっ。風邪ひいちまうぜ?」
そう言って二葉はつかんでいた温かそうなコートを俺にさしだした。
だいぶサイズが大きいみたいだった。
もしかすると二葉のなんだろうか?
優しく笑うこいつはどうして俺なんかにこんなに優しくしてくれるんだろう?
俺はこいつのこう言う優しさにまだ慣れていなくて、ときどきとまどってしまう。
嬉しくないわけじゃないんだけど、長くちゃんとした人付き合いをしてなかった俺は、人のやさしさを素直に受け取る事ができないんだ。
そう言う人間は、ものすごく情けない人間なのかもしれない。
おもわず二葉の顔をまじまじ見つめてしまった俺の横で、小沼が幸せでたまらないと言った声をあげた。
「卓也―。ありがとー。おかえりっ。今日は優しいねっ。卓也はもう晩御飯食べた? 今日は忍と夕ご飯つくったんだよっ」
普段あまりかまってくれない卓也が心配してコートをわざわざ持ってきてくれただけでこいつの機嫌はめちゃくちゃよくなったみたいだった。
こいつの気持ちは俺にだって簡単に読み取れる。
卓也さんは苦笑して小沼の頭に毛布をかぶせた。
きっと卓也さんだって今の小沼がどんなに幸せか分かっているはずだ。
なんとなく胸が痛くなった。
俺も小沼みたいに素直に人に感謝したりできればいいのに。
俺も二葉にお礼を言おうと口をひらいた。
「わざわざありがと。小沼と雪見てたんだ。俺、こんな風に雪見るのってあんまなくってさ。なんか感動しちゃった。」
「へぇ…そうか?おまえNYにいたんだろ?あっちはけっこう雪降るんじゃねーの?」
確かに二葉の言うとおりだった。
でも俺にはこんなふうに穏やかに雪を眺めた記憶はない。
「うん。むこうはここに比べたらだいぶ降ってたね…。」
そう言って俺が黙ってしまうと、二葉はなんともいえない顔をした。
と、二葉が急に頭から俺にコートをかぶせた。
そのまま俺をすっぽり抱きしめてくる。
「なにすんだよっ」
卓也さんや小沼の目の前でっ!!
俺が必死で抵抗しようともがいていると、二葉が楽しそうに笑っている気配がした。
横で小沼の笑い声も聞こえる。
「わーい。二葉、そのまま押し倒しちゃっていーよ。俺は卓也に夜食作ってくるねっ。」
何てこと言うんだ!!
そう言って小沼と卓也さんが部屋に帰っていく足音を聞きながら、俺は必死で二葉の腕からのがれようとした。
なんでびくともしないんだ、二葉の馬鹿力!!
それに二葉と2人きりなんて…。
俺はだんだん抵抗するのに疲れて、全身の力をぬいた。
室内のヒーターで暖まったコートは、冷え切っていた俺の頬を暖めてくれた。
二葉は、俺が力を抜くと抱きしめる力もだいぶゆるめてくれた。
くしゃくしゃになったコートを一度俺から離すと、もう一度きれいに俺の体に巻きつけてくれたんだ。
二葉は俺に毛布を巻きつけた後も、背中から俺を抱きしめて離さない。
二葉も寒いのかな? なんて思いながら、離してくれとも言えなくて、俺はこまってしまった。
だってなんだか恥ずかしい。
二葉と二人っきりになるのは久しぶりだった。
この間一緒に大阪のテーマパークに出かけて以来だったんだ。
「うーん…。二葉寒いの?」
「ああ。さみーさみー。」
そういってますます強く抱きしめてくるこいつは、全然寒さなんかかんじていないようだった。
ぎゅっと抱きしめてくるこいつの腕が優しくて、俺はなんだか甘えたい気分になっていたんだと思う。
体を少し回転させて、二葉の胸に頭をこすり付けてみた。
そうすると二葉も俺の頭に頬を摺り寄せてきた。
身長差のある二葉にすっぽり抱きしめてもらうのは、なんだかすごく安心しちゃうんだ。
よく桔梗が卓也さんに抱きしめてもらうとすごく幸せになっちゃうんだって言ってるけど、きっとこんな気持ちなのかな? なんて思ってしまった。
おかしいよね、二葉は友達なのに…。
「ねえ、どうして今日俺が来てるってわかったの?」
俺はさっきから気になっていたことを聞いてみた。
「ああ、さっきキョウからメールがあったんだ。お前きてるって。だから俺わざわざバイクとばしてきたんだぜ?」
「……なんで? 俺がいると…来るの?」
俺は不信そうな顔をしていたんだろうか?
二葉が少し寂しそうな顔をした。
二葉がわざわざ俺なんかに会いにきてくれるはずがない。
俺は二葉といるといつも何をしゃべっていいのかわからなくなっちゃうし、さっきだって、コートを持ってきてくれた二葉の優しさを素直に感謝できなかったんだ。
二葉はため息をひとつつくと、俺の髪に右手を差し込んだ。
そのまま俺の髪をかきまわしたりひっぱったりしていじっている。
なんだか寒いのとは別の意味で背筋があわだってきた。
そっと二葉の顔を見上げてみると、俺のことをじっとみつめる二葉の真摯な瞳にぶつかった。
二葉の金色の髪やまつげのさきに、真っ白な雪がつもっていた。
綺麗な二葉。
夜空から舞い落ちてくる雪がふたばの金色の髪によく映える。
俺は二葉を見つめながら、俺を抱きしめてくれるこいつの、優しい気持ちや真摯な瞳、そのまつげの先にひっかかる雪のひとかけらさえ大切にしてあげたい気持ちになっていた。
「そんな目で見んなよ。」
二葉が困った顔をした。
「だって…二葉すごく綺麗だ。」
俺が素直に思った事を口にすると、二葉はますます困った顔をする…男が男に綺麗だなんて言われても困るかもしれない。
でも本当に綺麗だったんだ。
俺は寒さでどうかしていたんだろうか? 普段なら思ってもそんなことは絶対に口にしないのに…
二葉が少し苦しそうな顔をする。
「おまえの…、お前の方がずっと綺麗だぜ? おまえさ、自分じゃ気づいてねーみたいだけどさ。……おまえ可愛いもん。そんな目でみられるとたまんねーよ。」
そんなことを言われたら、いつもの俺だったら二葉を押しのけてさっさと離れていたかもしれない。
でも今夜の俺はそんな気には全然ならなかった。
ただはずかしかったんだ。
二葉がとても優しい目をしている。
こんな二葉はしらない。
こんな俺は知らない。
全身の皮膚があわ立つような気がした。
二葉にいじられている髪のさきっぽから足のつま先まで、二葉の指の感触が伝わって行くようだった。
俺は我慢できなくてうつむいて二葉に懇願した。
「お願い…もう中にはいろうよ……っ。」
「だーめ。もっとこうしてたい、俺。」
「だって、じゃ、か…髪っ、触らないで。」
恥ずかしい。
女の子じゃあるまいし、何言ってんだ俺は!!
「ふーん。それもだめ。俺おまえの髪さわんの好きだもん。」
そういって二葉は俺の髪に唇をうずめた。
二葉の、いっ…息がっ!!
思わず首をすくめると、ますます二葉は俺にくっついてきた。
首筋に息がかかっている。
俺は今どんな顔をしているんだろう。
そう思うとますますいたたまれなくて涙が溢れそうになる。
そんな俺を見て二葉が苦笑した。
「ごめんごめん…。泣くほど嫌だったか?……」
ちがうんだ…そんなんじゃないんだ…。
何も言えなくてうつむく俺に、二葉は何もいわなかった。
結局その日はそのあとすぐに寝てしまった。
眠っている俺のそばで、二葉の声を聞いた気がした。
気のせいだったのかもしれない…。
俺、本気になる事に決めたから…と。
その日以来二葉は学校でもよく話しかけてくれるようになったんだ。
俺は、以前まで一人でいた時間を、二葉や二葉のグループのやつらとすごすようになった。
それまであまり友達を作るのを避けていた俺だけど、二葉の友達はみんなきのいいやつで、逆に俺なんかにはもったいないくらいに思えた。
こうやってみると、今までいかに俺が人と関わるのを避けていたのかがよく分かった。
まだまだ不安だらけだけど、人をもう少し信じてみるのもいいかもしれない。
最近俺はそんなふうに考えるようになっていた。
学校の行き帰りや休み時間は二葉たちと過ごして、ランチタイムだけ…俺はハワード・ストームと過ごすようになっていた。
二葉はランチタイムだけはおれに誘いをかけてくることはなかった。
もしかすると変な誤解をしているのかもしれない…。
だってあんなところを見られたんだ。
でも俺はそんなはずかしい話題を自分から口にする事なんかできなくて、そのことは考えない様にしていたんだ。