宝石旋律 〜夢の守人〜
気まぐれな男神が、ふらりと天主塔に立ち現れたのは、空が深い夜の色を広げ、人々の夢にやさしくささやくように星が瞬く深夜だった。桂花を先に帰し、自分もそろそろ休もうと、ティアランディアが執務机から離れた時だった。
いきなり執務室の中に現れたアウスレーゼに、あわてて使い女を呼ぼうとしたティアに、無用とばかりに笑って手を振る。
「そなたの顔を見に立ち寄っただけだ。長居をするつもりはない。」
おだやかに微笑む男神はそう言って優雅に長椅子に腰を下ろした。
突然の訪問に困惑しながら、ティアランディアはその正面の長椅子に腰をおろし、アウスレーゼを見つめた。
薄い玻璃に細かな細工を施した煙管の羅宇(ラオ)をもてあそぶ長い指すらもこの上なく美しい男神は、香草を雁首に詰めると 火をともし、深く吸い込んだ。
香りの良い紫煙が 執務室内に ゆっくりと 漂った。
「・・・・・」
シン、と沈黙が室内におちた。
アウスレーゼは、何も語ろうとしない。
ティアランディアも、何も聞こうとしない。
うごくものといえば、室内を漂う紫煙と、時折ゆらめく灯された明かりだけだ。
・・・室内の沈黙を そっとうかがうように、外の音が入ってきた。
夜の森で、夜鳴鶯(ナイチンゲール)が歌っている。
かさこそ音を立てているのは、小さな獣だろうか。
遠くにある噴水の水音が、ここまで響いてくる。
人の声も聞こえる。きっと衛兵の声だ。
きっと交代の時間なのだろう。
( ・・・お疲れさま )
話し声や、足音、武器のこすれ合う音などで、しばらくざわめいていた衛兵達が配置場に落ち着くと、また森の音が入ってきた。
さやさやと葉ずれの音が幽かに聞こえてくる。 ・・・風が吹いているのだ。
(・・・なんだ・・・)
ティアはそっと力を抜いて、背もたれに体を深く沈めた。
(・・・夜って、結構騒がしいものなんだ・・・)
「・・・天主塔の季節は 美しいな。」
わずかに笑いを含んだ しみとおるように深い声が、ティアランディアに届いた。アウスレーゼが穏やかな笑みを浮かべてティアを見ていた。からだの力を抜いたまま、ティアはうなずいた。
「人界の季節は、まだ 名のみの春だ。夜ともなればまだ薄氷が水面を覆う。」
それでも、季節は着実に巡ってきている。
土の上に
木の枝に
風の中に
水の流れに
そして 人の上にも
「・・・・・」
黙って話を聞いているティアに、煙管の吸い口をくわえたまま男神は笑って見せた。
たばこ盆の火入れに、吸い口に残る灰を落として煙管をしまうと 男神は立ち上がった。
「手をお出し」
人界の土産だ、と手の上にのせられたものを見おろし、ティアランディアは、おや、と内心首を傾げた。
水のように無色透明な、六方形の結晶。
「 水晶 ですね・・・」
室内の明かりに、静かに光る結晶を見おろし、ティアはつぶやいた。
「そう。ただの水晶だ。だが、我よりも、長い時を生きておる。」
「アウスレーゼ様よりも・・・?」
「知っていたか?水晶というモノは、成長する鉱物だと。・・・そう、何万年、何億年もかけて、少しずつ少しずつ成長するのだ。」
・・・何万年
・・・何億年
・・・そんなに 永く?
「信じられない・・・」
目を見張るティアに 男神はおだやかに微笑みながら言った。
「我らの住まう世界など、ほんとうは、この水晶が見ている夢なのかもしれぬよ」
「・・・アウスレーゼ様・・?」
創世神話の具現者である 彼の言葉とも思えなかった。
けれど、おだやかに笑みを浮かべる男神を見つめていると、あるいはそうかもしれない、と思えてくる。
何億年の命を持つ水晶の見る つかの間の夢の世界・・・
それは、とても美しい夢のように思えた。
ならば、自分は、そのつかの間の美しい夢の一部を護る 夢の守人なのだ。
ティアは、自分の考えに、小さく笑った。
「ありがとうございます。大事にします。」
頭を下げるティアに歩み寄り、アウスレーゼはしげしげとその顔をのぞき込む。
「・・・アウスレーゼ様?」
あまりにも顔を近づけられすぎて、長椅子の上で後ずさりかけるティアの肩を掴んで男神はさらに顔を寄せた。思わず瞳を閉じたティアに、接吻の寸前で 一言。
「やっと 笑ったな」
・・・え? と思ったときには、やさしい口づけをされていて。
次に目を開けたときには、男神の姿は消えていた。
「・・・・・」
視線の先には、踊る火影が微妙な模様を創り出す執務室の天井が広がるばかりで。
一人長椅子に座り込んだまま、ティアは背もたれに頭を預けた姿勢でしばらく宙を見つめ、声を立てずに笑った。
「・・・あいかわらず、気まぐれなお方だなあ・・」
そっと額に手をやる。御印がなんだかあたたかい。
去り際にそっとささやかれた男神の言葉が頭の中に 残っている。
『先程のように微笑みかけてやるがよい。 春を待つものたちの その上へ』
気まぐれな男神はそう言って笑いながら去ったのだ。
「・・・はい、アウスレーゼ様」
それが 私の仕事ですから。
微笑みで、世界を照らすことが、私の 存在理由だから。
「・・・そっか、笑ってなかったんだ。 ・・修行が足りないなあ・・・」
のどの奥で笑い、額に手をやったまま長椅子に深々と体を沈めた時、執務室のバルコニーの扉が、かたんと小さな音を立てて開いた。
夜風が どっと室内に入ってきた。そして、抑え気味の怒声も。
「何やってんだ ティア! 長椅子なんかで寝てんじゃねえよ! 疲れてんなら、ちゃんと寝台で休めって!」
ティアはきょとんと、夜風に紅玉のような髪をなびかせながら歩み寄ってくる南の太子を見つめた。
「・・・アシュレイ?」
「『アシュレイ?』じゃねえよ! とっとと休め!」
座卓を挟んだ正面の長椅子の方に立ち、南の太子は仁王立ちになって、声を抑えて怒っている。
「アシュレイ、なんで? ・・・いや、なんでもいいよ 来てくれて嬉しい」
「・・・どうでもいいから、さっさと寝室へ行け」
怒った顔で びし、と寝室の扉を指さすアシュレイに、ティアランディアは笑いかけながら立ち上がった。
「・・・しばらく傍にいてくれる?」
誘いかけるように微笑みながらの無邪気な問いに、アシュレイはちょっとまぶしそうに瞬きし、怒っているともとれるような顔で頷いた。
「ちゃんと寝るまで見張っててやる。 悪い夢とか見ないよーにな。」
「・・・・・」
手の中の水晶が ふと、笑ったような気がして。
ティアはくすぐったそうに目を細めて微笑んだ。
「・・・頼りにしてる。 私の 夢の守人さん 」
「?」
首を傾げるアシュレイに手を差し出して、二人並んで寝室の扉をくぐりながら、ティアはアシュレイに極上の笑みを向け、一つ提案を出した。
「アシュレイ あのね 人界が春になったら・・・」