(番外)天主塔騒動始末(1)
「あなたがファンクラブに入ってくれて、本当に嬉しいわ。あなたの趣味がお菓子作りだと聞いていたから、これは、ぜひとも入ってもらわないと、と思っていたの」
「・・・・・」
熱湯の入ったポットを持って、上機嫌で歩くベテランの使い女の隣を、茶器と焼き菓子ののった盆を掲げ持ち、新米の使い女は「さようでございますか・・・」と抑揚のない声で応えた。
今日の茶請けの菓子は新米の彼女の手製だ。小麦と卵と砂糖と乳脂と木の実だけで作ったシンプルな焼き菓子だが、味見をした使い女達からは絶賛をもらっている。
もちろん、おかしな薬など、一滴ですら入れていない。(香料も念のため省いた)
昨日、天主塔の主の身の危険を感じたこの新米の使い女は、(会長のスカウト攻撃にあったことにもよるが)ほとんど殉教者の心境でファンクラブに入ったのであった。
(・・・天界の平和を守るためです! 見ててください、お父様お母様。都会(←だから違うって)はこのように恐ろしいところですが、私は力強く生き抜いて見せます!)
・・・かくして、一夜にして悟りを開いてしまったよーな妙に据わった目をした新米の使い女は、扉を守る衛兵達にびびられながら、執務室の扉を叩いたのであった・・・。
「・・・いや〜。あの時は、とにかくいきなりだったし、こっちはパニック起こしてるし。アシュレイの肉体だから、体は勝手に動いてくれるけど、落ち着いて対処しなきゃ、と思った途端、長棒を受け止め損ねて転びそうになったところに、顔面めがけて長棒が突き出されてきて・・・『アシュレイの顔に傷がつく!』って、そう思った瞬間頭が真っ白になっちゃって。左手がすごく熱くなって・・・そこから先は覚えていないんだ」
そして気がつけば、『華焔咆』などという大技を繰り出していたわけで。
「・・・・・」(×2)
長椅子で向かい合わせに座った柢王と南の太子は、事の顛末を聞いて二人顔を見合わせた。
「・・・愛のなせるワザだな。・・・よ・よかったな。アシュレイ・・・」
長椅子の背に突っ伏して笑いを必死になってこらえながら、勘弁してくれと言いたげな柢王の背がふるえている。
「ちっともよくねえ! なんだそりゃ! ティアー!」
激怒した南の太子に首を絞めかかられた守天が悲鳴をあげている。
「あー アシュレイ、やめやめ。・・・まったくお前らは昨日の今日だってのに、これ以上騒ぎを起こすなっての」
柢王が南の太子の後ろ襟をつかんで引き離す。
「すまない、柢王」
「な〜にをぬかすかっ! 離せ柢王! これが怒らずにいられるかーっ!!!」
後ろ襟をつかまれて柢王に片腕でネコのように空中にぶら下げられた南の太子が、ジタバタ暴れて怒鳴る。
そこに書類を抱えた桂花が入ってきた。
昨日の被害状況を調べ上げて、戻ってきたのであった。
「・・・・・」
優雅な笑顔で桂花を迎える守護主天。
凶暴な表情で怒鳴っている南の太子。
(・・・やはりこうでなくては)
桂花はひそかに安堵のため息をついた。
凶暴な表情の守護主天はまだしも、慈愛に満ちた優雅な微笑を浮かべる南の太子など、二度と見たくない。サルはサルであるほうがよっぽどいい。
「遅くなって申し訳ありません。昨日の被害状況を手短にご報告いたします。修練場で爆風でなぎ倒されて脳震盪をおこした者が12名。爆音で鼓膜を破った者5名。パニックを起こして逃げるときに転んで後続の者達に踏まれて怪我した者28名。・・・あと、火傷による負傷者が二名ですが、これは、厨房の料理人が爆音に驚いた拍子に熱したフライパンに手を触れてしまったようです。あと、回廊で同じく爆音に驚いた使い女にポットの湯をかけられた兵士と。・・・内訳は、まあこういったところです。いずれも、処置が早かったため軽傷で、2.3日で本復するでしょう。・・・あと、八紫仙が、難聴を理由に休みを取っておりますが。・・・何かあったのですか?」
思ったよりも被害状況に深刻なものはなく、よかったと守天が胸をなでおろすその隣と正面で南の太子と柢王が笑いをこらえている。
「・・・それから、『華焔咆』の直撃で蒸発してしまった修練場の用具置き場ですが、これは前から壁の老朽化がひどく剥離が問題視されていたもので、修理の嘆願書が届いていました。・・・昨日執務机に並べていたものの中の一枚だったのですが・・・」
桂花はちらりと扉をへだてた隣の執務室の床に さながら地層のごとく積み重なって広がる書類と、執務机の上の切り崩された書類の山を見た。南の太子はそっぽを向いている。
「・・・のちほど、発掘しておきます・・・」
ため息をつきながら桂花は言った。
「あと、もう一つ・・・」
「まだあるのかっ! どこが手短だっ!」
困難を極める発掘作業の原因を作った南の太子が文句を言うのに桂花はくるりと向き直った。
「なんだっ! やんのかっ?!」
思わず身構える南の太子の鼻先に、桂花は抜き打ちの早さで白い書状を突き出した。
「・・・?」
「南の太子殿あての書状です。先ほど受け取りました」
肩すかしをくらい、いぶかしがりながら、南の太子が書状に手を伸ばしかける。
「・・・差出人は、南領の統治者たる、炎王様ご本人です」
書状に伸ばされかけた手がぴたりと止まった。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
書状を受け取りかけた姿勢のままで、しばらくの間 だらだら脂汗を流しながら硬直していた南の太子は、守護主天、柢王、桂花が見守る中、やおら姿勢を正すと、挨拶もそこそこに、脱兎のごとくバルコニーを飛び越え、南の方角へすっ飛んでいったのであった。
「・・・アシュレイ・・今から急いで帰っても、結果は変わらないと思うのに・・・。私から、炎王様へのとりなしの書状を書いていたのに。それも持っていかないなんて・・・」
お別れの挨拶もさせてくれないなんてあんまりだ、と嘆く守天をなだめ、行き場のなくなった書状を手にあっけにとられていた桂花の手から書状を ひょいと取り上げてひらひらと降りながら柢王は笑った。
「たぶんあいつのことだから、南領に戻るに戻れなくてうろうろしてるとおもうぜ。蒼穹の門に行きついでに渡しといてやるよ。・・・そういうわけだし、俺も、そろそろ行くかな」
はっと振り向く桂花をさっさと抱き寄せて、耳元で笑いながらささやく。
「桂花。マントを部屋に忘れちまったから、取ってきてくれ」
「・・・どうしてまともに人にものを頼めないんですかっ あなたは!」
それでも急いで執務室を出て行く桂花の背を見送り、守天は少し肩をすくめて困ったように笑いながら柢王を見た。
「・・・桂花も柢王相手じゃ分が悪いね。振り回しっぱなしじゃないのかい?」
身支度をととのえていた柢王が振り向き、にっと笑った。
「バカ言え。桂花が笑ったり怒ったり泣いたりするたびに振り回されて、もうどうしていいかわかんねーくらいどうしょうもなく桂花に惚れてんのは俺のほうだぜ?」
「え? でもそんな風には見えないけど・・・」
「惚れてっから見せねーの! あのな、ただでさえ桂花は俺より年上で人生経験も豊富で、しかもものすごい美人で、おまけに頭までいいんだぜ。いくら天界に連れてきたからって、そうそう敵うわけない。けど。負けっぱなしは悔しいだろ。・・・だから、見せない。」
泣かせて
怒らせて
振り回して
戸惑わせて
微笑ませて
・・・俺以外の、誰も目に入らないように。
「・・・だから、甘やかしてなんかやらない」
そう言って肩をすくめる幼馴染の顔は笑っていて。
「・・・・・」
文殊塾で、ただ無邪気に笑っていられたのは、もうまるで遠い昔の日のようだ。
嬉しさも、苦しさも、それらすべてを内包して、さらに高みを目指すような笑み。
柢王は、いつからこんな力強い笑い方をするようになったんだろう。
・・・レンアイは、いつだって惚れているほうの負け。
(・・・でも、惚れている相手を、惚れさせた場合は、どっちの勝ちなんだろうね?)
「柢王」
「ん?」
「かっこいいね」
おかしな言葉を聞いた。とでも言いたげに柢王は、嬉しそうに笑う守天をまじまじと見た。
「バカ言え。かっこ悪ィよ。」
「そんなことないよ。すっごくすっごくかっこいいよ」
真剣な顔をして言い募る守天に、わかったわかった、と照れたように笑う。
「桂花には絶対言うなよ。こんなこと、お前だから言えるんだぜ。秘密な。」
「秘密だね」
・・・いつも そうして、さりげなくこの幼馴染は自分の居場所を確保してくれるのだ。
『秘密』を共有するということで、つながりを思い出させてくれるのだ。
(・・・かなわないなぁ・・)
微笑みながら、守天はそう思った。
胸の奥が、あたたかくて くすぐったい。
文殊塾時代からそうだった。
アシュレイのように、前や隣に並んで歩いているわけではない。
けれど
何か不安にかられて立ち止まり、ふと後ろを振り返れば さほど離れていない場所に立っていて、笑って背中を押してくれる。
大丈夫。このまま行けばまちがってないから、と。
柢王はそういう奴だ。
何も聞かずに笑って背中を押してくれるその存在に、どれだけ安心したことだろう。
そして、その存在にどれほど救われたことだろう・・・。
・・・大事な 大事な 存在だと思う。
守護守天の地位を投げ出してもいいと思うくらいには。
急ぎ足でこっちに向かってくる軽い足音が聞こえた。
「じゃあ、オジャマ虫は早々に席を外させていただくよ。・・・元気で」
「おまえもな」
お互い笑顔で挨拶を交わす。守天はそっと胸の中で祈った。
おまえに いつも いい風が吹いているように。