祝夜(4)
渾身の力で蔓を引きずり、感情の発露のない薄く開かれた瞳を覗き込んだ柢王は息を呑んだ。
「・・・桂花?」
見慣れた紫色ではなかった。
銀緑色や桜灰色の光を凝らせる、黒紫色の瞳。
魔界に海があり、その海の底で眠る貝が育む真珠があるとしたら、こんな色をしているのではないだろうか。
天界にも人界にも存在しない、異形の、・・・瞳。
開かれたままの異形の瞳には何の感情も感じられなかった。
冷え切った静謐な沈黙の水をたたえ、何か、決して知ってはならない神秘の智識を奥底に沈み込ませた、深くて暗い淵のようだった。
「・・・・・っ」
その瞳の色に意識を引き込まれかけ、柢王は頭を振った。
(・・・ああ)
あまりにも柢王たちとはかけはなれた、その、姿。その、能力・・・
・・・魔族は天界人の敵。
そう教え込まれた。そうして多くの魔族を殺した。
・・・天界人と魔族は決して相容れない。
そうだろうとも。互いのことなど ほとんど知らないのだから。
知らないまま、殺しあった。
・・・なのに。
桂花だけは殺せなかった。
殺したくなかった。
生きてほしいと思った。
自分の隣で、生きていてほしいと思った。
さわさわ さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ さわさわ
「・・・ああ、ちくしょう。」
歯噛みしたい気分だった。
こんな状況で、つい桂花に見とれてしまう自分にだ。
どうしょうもなく、惚れている。
理由も何もない
魔族だろうが
男だろうが
年上だろうが
そんなことはどうでもいい
ただ、どうしょうもなく惚れている。
・・・それだけなのだ。
「桂花」
・・・・・殺したくなかった
だから、その名を呼ぶ。
・・・話さなければわからないこともある。
そして、言わなければ、伝わらない言葉も。
「生きてくれ」
・・・・・生きてほしいと思った。
まだ、何も知らないのだ。
何が好きなのか
・・・どんな表情で、笑うのかすらも
「俺は、命のある限りお前のそばにいる。おまえとともに生きる。」
・・・・・自分の隣で、生きていてほしいと思った。
隣で、笑っていてほしいと思った。
さらに絡みつく蔓を引きずって間近で覗き込んだ桂花の瞳は、暗く、見る者全てを深淵にいざなう透徹した深さをもって柢王を映していた。
「・・・だから、お前も俺とともに生きてくれ」
けれど、わかっている。
(・・・それでも俺は、天界人として、軍人として、・・・結局は、魔族を殺すのだろう。)
そして魔族を殺すその手で、桂花を護り、抱いて離さないのだろう。
・・・矛盾している。
けれど。
(・・・俺は、この矛盾を抱え続けながら桂花と生きるのだろうよ・・・)
異形の瞳に引き寄せられるように、柢王は唇を重ねた。
・・・桂花の唇は冷たかった。
ぬくもりを与えようとするかのように、深く重ね合わせる。
・・・瞬間、蕾がいっせいにふるえた。
甘い芳香を漂わせながら、孵化したばかりのかげろうを思わせる小さな白銀色の花は、おののくようにその花弁を広げてゆく。
桂花を中心にして、天井に、壁に、床に、輪を広げてゆくように白い花は咲いてゆく。
深緑の空間に、またたく星のように白銀の花が咲いていく。
・・・・・。
歌わない
祈らない
望まない
願わない
・・・けれどそれは、まるで歌のようだった。
声なき声をふるわせて空間を満たす、植物が歌う祝福の歌のようだった。
甘い芳香と、白銀の花ひらく深緑の蔓に埋め尽くされた空間の中央で、二人は言葉もな
く唇を重ねる。
「・・・・・」
ふ、と唇が離れた。桂花が身じろぎをしたのだ。
柢王を見おろす異形の瞳が、わずかに強い光を放ったように見えた。
「・・・桂・・? うわっ!」
瞬間、柢王の体は蔓に引き倒され、寝台の外側に投げ出された。
そして、桂花の体も再び結界の上まで持ち上げられた。
さわさわ さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ さわさわ
室内を埋め尽くす蔓がいっせいに強くさざめきあう。
白銀の花に満たされた深緑の結界の上で、体の両側に下がっていた桂花の腕がぴくりと動いた。
・・・両腕がゆっくりと上がってゆく。
蔓はその腕にも花を咲かせながらさらに巻きついた。
体の上に差し上げられた手に、ゆるくひろげた指に、蔓は愛撫のように絡みついてゆく。
祈るように 願うように 花は次々と咲いてゆく。
白銀色の花の点る指先をゆっくりと握りこみ、右手をその上に重ねる。
そうして、胸元にゆっくりとひきよせた。
それは、祈りのかたちのようにも、護りのかたちのようにも見えた。
意識のない、異形の瞳のまま、桂花は微笑んだ。
幸福な夢にまどろむもののような、笑みだった。
異形の瞳が眠るように閉じられた時、白銀色の花はその色を変えた。
白銀色から淡い金色へ、・・・そして、まばゆい黄金色へ。
・・・そうして一斉に散った。
惜しみない潔い散り様だった。そしてそれが合図だったかのように、握りこまれた手を中心に、蔓は急速に枯れていった。
鮮やかな緑の葉や蔓は白茶けた色に変じ、水分すらも全て失ったかのように枯れ落ちてもろもろと砂のように崩れおちた。
吊られていた桂花の体は支えを失い、金色の花とともに柢王の腕の中に落ちてきた。
「桂花!」
・・・受け止めた体が温かいことに柢王は気づいた。
呼吸が落ち着いている。
金色の花がふりそそぐ中、柢王は腕の中でおだやかな表情で眠る桂花を見おろした。
「・・・よかった」
万感の想いをこめて抱きしめる。
桂花がかえってきた。
もう、それだけで充分だった。
二度と離すまい、と思った。
何もかも、これからだ。
「なあ、早く目を覚ませよ 桂花」
額に唇をおとし、柢王は笑った。
そして桂花を抱いたまま、扉へと歩き出した。