祝夜(5)
扉が閉まってしまってから、ずいぶん時間がたったような気がする。
「・・・・・」
柢王の剣を抱いたまま、小柄な侍女は、柢王を見送ったままの姿で扉の前に立ち尽くしていた。
(・・・どうしょう)
蔓のさざめくような音が聞こえなくなったような気がする。
何かあったのかもしれないと、侍女はおろおろと逡巡した。
ただ『待つ』ということが、こんなにつらいと思わなかった。
意を決し、扉を開けてみようかと、侍女はおそるおそる一歩踏み出した。
瞬間、扉が勢いよく開いた。
「?!」
体の両側をすさまじい突風がすり抜けていく。
「きゃあ!」
思わず身をすくめた侍女の上に、金色の花びらがはらはらと落ちてきた。
「悪い。待たせた」
金色の花を頭や肩に積もらせてきょとんと立ち尽くす侍女に向かって、開け放たれた扉の向こうから魔族の男を抱えて出てきた黒髪の王子は、泥だらけ、擦り傷だらけの顔で明るく笑った。
「部屋の片付けを頼む」
開け放たれた扉の向こうの部屋の惨状を、柢王の肩越しに見て侍女は困ったように笑い、そして襟元の合わせ目から手巾(ハンカチ)を取り出すと、精一杯背伸びをして柢王の顔の泥をを丁寧にぬぐってくれた。
泥は桂花の頬にも跳ねていた。柢王の顔を拭いて泥だらけになってしまった手巾を困ったように見、それから袖口を端折って汚れをぬぐってくれた。
柢王は裏庭に出ると桂花を抱いたまま四阿(あずまや)に腰を下ろした。
ふと目をやると、四阿の片隅に白茶けた色になって枯れ落ちた蔓草が目に入った。
・・・あの蔓草だ。
根こそぎ枯れ落ちてはいるが、泥を引きずった跡が残っている。
(・・・この四阿の柱に絡んでいたのか。)
泥の跡をたどると、手すりと回廊を隔た離宮の窓からあの小さな侍女がたすきがけで箒片手に奮闘しているのが見えた。しばらくして、彼女を捜しに来たのだろうその様子を見つけたほかの侍女が、部屋の調度を整えるために応援を呼びに行くのが見えた。
桂花の左手が何かを握りこんでいる事に柢王は気づいた。
細い指を一本ずつ解いていくと、中から小さな植物の種が出て来た。
あの花の種だろう。柢王は思った。
エネルギーのほとんどを桂花に与えながら、己の子孫をも桂花に託した。
桂花が目覚めたら、この種を見せよう。
柢王は侍女から貰った手巾でその種を包んだ。
「・・・そういえば、彼女の名前を聞くのを忘れていたな」
・・・結局、その侍女の名前を聞いたのは、かなりの月日が経ってからだった。
彼女は、城を飛び出した柢王と桂花が二人暮しをはじめた家へ、柢王の母親が心配してよこした品物の数々と書状を携えた数人の侍女の一人としてその中にいたのだ。
母親あての書状を渡すという名目で、彼女だけについてきてもらい、その時にようやく名前を聞き、あの時の礼を言えたのだ。
「・・・咲いたのですね」
木の幹に絡んで、初夏の日差しに鮮やかな白銀色から金色へ変化する花をつけた蔓草を彼女は見ていた。
ここで暮らすようになってから桂花が植えたあの種が成長していたのだ。
「・・・わたし、あの花が好きだったんです。だから、あの時も蕾がついていないかどうか毎日こっそり観察に行ってたんです」
お仕事を抜け出してね、と首をすくめて見せる。
「・・・ようございました」
並んで立つ柢王と桂花を眩しそうに見て、彼女はやわらかい笑みを見せた。
「・・・今考えるとな、彼女はお前が好きだったんじゃないのかって俺は思うんだ」
「・・・吾を?」
書状を丁寧にたたみながら、桂花が首をかしげた。
「そうだろ、あの花はどこにでも咲いてる。それこそ城の他の庭園にも。いくらあの花が好きだといっても、わざわざ離宮の庭園まで見に来るか?」
・・・あの花の咲く四阿から、桂花が眠る部屋が見えるのだ。
「・・・・・」
桂花はしばらく気難しげな顔で考え込んでいたが、柢王を覗き込んで生真面目に言った。
「・・・吾は、彼女はあなたを好きだったと思うのですが」
「なんでだ?」
「あの時、彼女はあなたに剣を離すなと言ったのでしょう? ・・・命の心配をするのは好いているからこそじゃないですか?」
二人は顔を見合わせた。
「・・・・・」
「・・・・・」
思索を放棄したのは柢王が先だった。考え込む桂花を引き寄せて髪に唇をおとし、やんわりと抱きしめる。
「ま、今更あれこれ詮索するのは無しだな。彼女は幸せになるんだし」
「・・・そうですね。」
彼女とは、あの初夏の日に、ひとこと、ふたこと言葉を交わした。ただそれだけだ。
けれどあの花が咲けば、彼女の事を思い出すだろう。
毎年、毎年、花が咲くたびに、あのやわらかな笑みと共に彼女の事を鮮やかに思い出すだろう・・・
「・・・話をむしかえすようなんだがな。彼女は俺達二人が好きだった・・・こういうのはどうだ?」
柢王が桂花の瞳を覗き込んで笑いながら言った。
「・・・悪くないですね」
桂花も微笑んで柢王の首の後ろに腕を回した。
そうして二人は最愛のものを腕に抱きながら、胸の内で微かに甘い感傷とともに彼女のために祈る。
・・・幸せに・・・