祝夜(3)
さわさわ さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ さわさわ
「・・・桂、花・・・?」
何千条何百条という蔓の織り成す深緑の褥(しとね)の上に、身をもたせかけるようにして桂花は横たわっている。
柢王の呼びかけにも桂花は反応を示さない。
室内が暗いせいと、乱れかかる髪で桂花の表情は見えないので、果たして目覚めているかどうかすらわからなかった。
蔓はさらに桂花の髪に、首に、肩にゆるゆると巻き付いてゆく。
蔓は夜着の下にも及んでいた。白く薄い服地を通して、桂花の体をつたう蔓の動きがはっきりと見えた。
何かひどく淫らなその情景に、いっしゅん視線をそらしかけた柢王は、だらりと投げ出された桂花の腕に信じられないものを見た。
桂花の身体に絡んだ一部の蔓先が、桂花の腕や首に溶け込んでいるのだ。夜着に隠されて見えないが、おそらくは身体にも蔓は溶け込んでいる。
いや、溶け込んだ蔓の先・・・わずかに皮膚を盛り上げ、四方に分かれたその形は根のように見えた。
溶け込んでいるのではない。・・・根を下ろしているのだ。
さわさわ さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ さわさわ
蔓は桂花の肢体に巻きつきながら、そのいたるところに小さな蕾を点らせはじめた。
蕾の数は、瞬く間に増え、部屋をおおう蔓にも点きはじめている。
「・・・・・」
蔓のあまりの成長の早さに柢王の背筋に寒気が走る。
この蔓は、いったい何を養分にして、ここまで爆発的に成長しているというのか
・・・桂花の体に根をおろし、この蔓は何をしているというのだ?
(・・・まさか、弱っている桂花の生命のエネルギーを糧にして・・・?)
そうでも考えなければ、この蔓の成長の仕方は、あまりにも異常すぎた。
「・・・桂花っ!」
柢王の声が怒気をはらむ。
柢王の攻撃的な『気』に部屋全体の蔓が反応してざわりとうごめいた。
右手に収斂した風を生み出すと、間髪いれずにそれをはなつ。
柢王がはなった かまいたちのような真空の刃は、結界の支柱のような役目をしている
天井から垂れ下がった数本の蔓を断ち切った。
それによって結界の重心が傾き、桂花の体は蔓を絡ませたまま結界の上から ずるずると落ちた。
裸足の爪先が寝台について、意識のない桂花の体は立った姿で蔓に吊られた格好となり、ますます壊れた操り人形めいて見えた。
「桂花!」
寝台に飛び乗った途端、うなりを生じて緑の蔓が鞭のようにとんできた。咄嗟に身を屈めてやり過ごしたが、次々とうなりを上げてとんでくる蔓を、狭い寝台の上でいつまでもよけきれず、柢王の体に何度か打撃を与えた。
柢王の顔を打ち、蔓に付着していた泥が目に入って一瞬動きの止まった柢王目がけて蔓は乱打を浴びせ、体に巻きついてきた。
「・・・・・っ!!」
この近距離では桂花をも巻き込んでしまうかもしれないので、もう力は使えなかった。薙ぎ払い、引きちぎっても、何百条何千条という蔓はあとからあとから捲きつき、瞬く間に柢王の四肢の自由を絡めとった。
「こ・・・のっ・・・!」
柢王は絡んだ蔓を渾身の力で引きちぎりながら腕を伸ばすと、桂花の首元に溶け込んでいた蔓をつかんで思い切り引っ張った。蔓は意外にもたやすく抜け落ち、茎の先に伸びでた白い根から甘い香りのする透明の液を滴らせた。
柢王になじみの深い、その、甘い香り。
(・・・聖、水・・・?)
魔族には劇薬。だが、他の生物にとっては、この上ない妙薬・・・
その時。ひくり、と桂花の体が反応した。あおのいた喉首が2度、3度あえぐように引きつり、白い髪が乱れかかる紫微色の美しい貌がゆっくりと持ち上がって柢王のほうを向
いた。
「・・・桂花?」
桂花は、柢王を見てはいなかった。乱れかかる白い髪の下にあるその瞳は、薄くひらかれて柢王のほうを向いてはいても、何の感情も映してはいなかった。
何の感情もうつさないその貌は、まるで植物のような冷え切った静かな無表情・・・。
だが、それを補ってあまりある、この圧倒的な威圧感・・・
「・・・・・」
さわさわ さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ さわさわ
・・・年経た巨大な樹に見おろされているような気分だった。
(・・・植物に意志はあるのか?)
(・・・ありますよ。)
(・・・植物の進化の早さは凄まじい。環境の変化に耐え、自らは枯れ落ちようとも、何世代かの後にはそれに適応した子孫を生み落とす。たった一世代で突然変異をおこし適応する事すらもある。自らの体を環境に応じてつくりかえること・・・それを、意志と呼ばずに何と呼ぶのですか? 何億年もの時をかけて進化してゆく、肉体を持つ動物や人間、そして、貴方たちよりは、植物の方が、吾達に近いとすら言えるかも知れません。)
・・・・・。
歌わない
祈らない
望まない
願わない
芽吹いたその地に根を下ろし、殆ど動くこともなく、果てしない時を生きる・・・。
これは 蔓の、植物の・・・意志だ。
桂花を護り、さわらせまいとする、植物の意志だ。
・・・外界のすべてのものから感情と感覚を遮断し、桂花は完全に植物と同調(シンクロ)している。
たとえ意志があっても、植物はその身を動かす事が出来ない。そのように創られた。
だが、魔族の妖力を媒介にする事で『動く』事が可能というのなら、桂花が植物を呼び、そして蔓は自らを盾として桂花を庇護し、桂花を救うために根を下ろし、聖水を体内からろ過し漉しとった。
そして植物は桂花の体を侵す聖水を糧にしてここまで増殖したというわけだ。
・・・だが、その後は?
植物と完全にシンクロし、互いに支配し、支配されているこの状態から、いったいどうするというのだ?
ずっとこのままだと言うのか?
この離宮の一室の狭い空間で、蔓に護られ、そしてやがては蔓とともに朽ちていくというのか?
「桂花っ!」
届かないのはわかっていても、柢王はその名を呼ぶしかなかった。
蔓性の植物は、その緑の褥に侵入するもの全てを拒んだ。
・・・それは まるで桂花の意志そのもののように思われた。
この地に、桂花が心を許せる者など一人もいないからだ。
・・・魔族は、天界人の敵。
・・・天界人と魔族は決して相容れない。
(・・・人間や天界人のあなたたちには、きっとわからないことなのでしょうね)
・・・わからないというなら、確かにそうなのかもしれない。
けれど。
「・・・俺もか? 桂花。」
おのれの身を地にしばりつける鎖のように幾重にも繋ぐ蔓を、渾身の力を込めて引きずり、柢王は桂花の前に進み出た。
「・・・そうやって、すべてを拒みとおすつもりか?」
「わかること」と、「分かり合うこと」は別だ。
話してみなければわからないこともある。
同じ天界人同士でも、血の近い者たちでも、分かり合えないこともある。
けれど、分かり合おうとしなければ、いつまでたっても分かり合えないのだ。
拒んでいては、何も分かり合えはしない。
「植物なんかと同調すんな! 目ぇ覚ませ! 桂花っ! 俺を見ろ!」