My Sweet cafe 続・Apple & Soup
「・・・でね、焼き上がりを待っている間、すぐに次焼く分をオーブンに入れられるように作っている様子を、ガラス越しに見ることが出来るんです。だからぜんぜん待つのが苦痛じゃないんですよ」
そう言いながら、絹一はキッチンで紅茶を淹れている鷲尾の隣でケーキにナイフを入れていた。
「だから店員もてきぱきと動いていて、それも見ていてがすごく気持ちがいいんです。生地の上があっという間に林檎で綺麗に埋め尽くされていくのも見事だし」
「へえ」
「ポイントがたまるとケーキを一枚、サービスしてくれるんです。それが購買意欲をさらに沸かせるし」
「ホントにお気に入りなんだな」
「だってすごく美味しいし。・・・もしかして、お好みではありませんでしたか?」
珍しくうきうきと鼻歌交じりだった絹一が、途端に不安そうに隣の鷲尾を見上げる。
手元がお留守となってしまった絹一に、苦笑交じりに「美味いさ」と返すと、鷲尾は絹一の手からさりげなくナイフを取り上げた。
以前、絹一が仕事を休まざるをえなくなったのも指先の怪我が原因だった。
今はケーキ用のナイフだからまだいいが・・・一応、念のため。
「それに甘すぎないしな。週に一度くらいはこういうモンも欲しくなる」
ナイフに付いていた林檎のかけらを指にとって舐めとりながら、鷲尾は悪戯っぽく笑った。
自分の心配事が杞憂だったことにホッと安心しつつも、絹一の顔は少し赤くなってしまう。
赤くなってしまったのは、別に鷲尾のしぐさにではない。
ここ一ヶ月の間、一週間に一度の割合で鷲尾の部屋を訪ねるたびに、絹一はこのケーキを持参していたのだった。
出先で偶然見つけたらしく、ポテトと林檎の香ばしい匂いについ、つられたのだという。
サイズはそんなに大きくないし、甘さもちょうどいいのだが、やはり一度に食べるには少し無理がある。
だからというわけでもないが、残りの半分は次の日に食べることになっていた。
・・・・・自然と。
以前も似たようなことがあったが、絹一が最近お気に入りだと言うこのケーキに限らず、ポイントをためてもらう非売品グッツだとかが彼は好きなようで、こんなところは本当に子供だな・・・と鷲尾は思う。
思いつつも、それでもめったに執着心を見せない彼が、こんなふうに話す姿を見ていると、やはり愛いと思ってしまうのだから・・・しょうがない。
「えっ・・・と。じゃ、鷲尾さんはこっち」
はい、とまだ赤いままの顔を下を向くことでうまく隠し、絹一は大きくカットされたほうのケーキを皿に盛り付けた。同じく、少し小さめのほうのケーキも、もう一枚の皿にも盛り、食べましょ? と鷲尾に促しながら、指先についたシロップを舐めようかどうしようか一瞬、悩んだ時。
止まったままだった絹一の指を、手首ごと大きな手が掴んだ。
そのまま鷲尾の口元まで引き寄せられたかと思うと、先ほど彼が自分の指をそうしたように舐められてしまう。
シロップはうっすらと付いていただけなのに、心なしかじっくりと味わうようにされている気がする。
「美味いな」
「・・・食べるなら、ケーキのほうにしてください」
「はいはい」
別にそんなつもりはなかったのだが、先ほどよりもさらに赤くなってしまった絹一を見ていると、少しいじめてみたくなってしまう最近の自分に、鷲尾は心の中で苦笑した。
苦笑しながらも、冗談交じりだがやや本気でやはり少し追い詰めてみてしまう。
だから・・・離してやった指を手の中に握ってホッとしている絹一の顔を、鷲尾は至近距離で覗き込んだ。
「・・・ケーキを違ってこっちは甘いが、一週間が待ちきれないときもある」
視線の逃げ場を断たれて、絹一は悪戯っぽいが少し本気の入り混じった鷲尾のまなざしを振り切ることができない。
少しおびえたような目を向けてくる絹一に、そんな目で見るのはずるいぞ? と思いながらも、嘘がつけない彼がやはり可哀想だから。
目を閉じさせるために。
こたえなくてもいい・・・と無言で許してやるために。
鷲尾はシンクのふちを掴んでいた絹一の手に手を重ねると、ゆっくりと背を屈めていった。
こちらも絹一が最近お気に入りだという、ヴィンテージ・ウバのホットの注がれたカップをダイニング・テーブルに置くと、ふたりはちょうど角をはさむ様にして座った。
前までは向かい合って座っていたのだったが、いつのまにかそうするのが定番になっていた。
ふたり用のダイニング・セットには多い正方形のテーブルなので、ディナーをとるときには無理だったが、アフタヌーンにはちょうどいい。
スタイルとしてはいまどき流行りの、スウィーツ・カフェといったところか。
・・・それにしても。
斜め隣で小さく
「お前、本当に美味そうな顔して食べるよな」
フォークに小さくとっては嬉しそうに口元に運ぶ絹一を見ながら、鷲尾は微笑んだ。
「だって本当に美味しいんですもん」
「そうか」
「ケーキもですけど」
「ん?」
「・・・鷲尾さんが淹れてくれる紅茶も」
と、一瞬言葉を切ったあと。
食事も・・・美味しくて好きです、と絹一は小さな声で続けた。
「そうか」
「はい」
「じゃぁ、俺も料理のしがいがあるってもんだ」
「ホントに?」
「ああ」
「・・・よかった」
「なんだ?」
声が小さくて聞こえなかったのだろう。先ほどのように鷲尾が覗き込んできそうになったのに気がつき、絹一はあわててなんでもありません、と言った。
「俺も作ってみるかな」
「え?」
「アップル・ポテトケーキ」
「ダメです」
「なんで?」
「・・・・・・・」
それは鷲尾さんが作ってくれたらホントに美味しいだろうし、ご馳走になってみたいとも思うし、甘く煮た林檎のスライスを生地の上に乗せるのとか・・・楽しそうだし。
それに、料理がまったくダメな俺でも、少しぐらい手伝えるかもしれないし。
・・・・・でも。
スプーンを口にくわえて俯いたまま、黙ってしまった絹一を、鷲尾はテーブルに頬杖をついて見つめた。
そうしながらも、これ以上は追い詰めるつもりはなかったので、鷲尾はカップをゆっくりと口元に運んだ。
なぜ絹一がダメと言ったのか。
そんなことは・・・聞かなくてもわかるつもりだから。
テーブルにつくとき、向かい合わせがいつの間にか斜め隣に座るようになった。
いつもは鷲尾から誘っていたのが、最近は絹一のほうからこの部屋に来るようになった。
それでもやっぱりただ「逢いたい」などとは、恥ずかしがりな絹一はまだ口にすることが出来ないのだろう。
だから・・・“ケーキ”という、彼にとっては精一杯の口実を作って。
近くに座るのは、相手に対する親密な気持ちの表れと、少しでも傍にいたい・・・という、無意識のうちの告白なのだそうだ。
返答に困って固まったままの絹一のケーキを、自分のフォークに一口分とると、鷲尾は彼の口元に運んだ。
テーブルにつく前、真っ赤になりつつ少しおびえていた彼にしたように。
とりあえず口を塞いでしまえば、返事をしない言い訳にはなるではないか。
鷲尾の予想通り真っ赤になった顔を絹一は上げると、目の前に差し出されたケーキを大人しく口に入れて、恥ずかしそうにカップを両手で包んで口元に運んだ。
そんな彼を楽しそうに見つめながら、鷲尾はさらりと言った。
「美味いな」
ケーキは本当に美味いと思う。
だが俺にとっての一番のデザートはお前なんだがな・・・と鷲尾がこっそり心のなかで呟いたのは、絹一には聞こえていないはずだった。