祝夜(2)
回廊から離宮までの距離を一気に駆けきり、桂花の眠る部屋の扉を開こうとした柢王は愕然と叫んだ。
「開かないっ? 何でだ!」
結界を解除したはずの扉はびくともせず、焦れた柢王は扉を蝶番ごと引き剥がす勢いで引いた。後ろから駆けつけた侍女がわずかに開いた隙間から緑色のものがのぞくのを見て悲鳴のような声をあげた。
「お下がりください! 危険です!」
声と同時に渾身の力で引き開けた扉の隙間から、なだれうつように緑色の塊があふれ出て、柢王の上に落ちかかってきた。とっさに飛びのいてその攻撃を避けつつ、柢王は扉の隙間を埋め尽くす緑色の塊に向かって風を叩き込んだ。
緑色の塊はすさまじい風圧になぎ倒され、バラバラにほどけてもとの姿をあらわした。
絡み合う蔓の形へと。
(・・・植物!?)
さらにもう一撃加えようとした柢王の手が止まった。
柢王の動きに合わせるかのように、蔓の塊ももうそれ以上攻撃しようとはしてこず、扉の内部でざわめいている。
「・・・私が庭で見つけたときには、もう、蔓が・・・」
侍女を背後にかばい蔓の動きを見据えながら、柢王は心の中でつぶやいた。
(・・・お前か? 桂花)
この植物には見覚えがあった。
天界に来て桂花が最初に妖力で飼いならした植物。
天界のどこにでも自生する蔓性の植物で、桂花が見つけなければ男の柢王など一生気づかなかっただろう植物だ。
・・・かつて、植物の種に自らの『気』を送り込み、意のままに育て上げている桂花の姿を見たことがある。
天界で最たる慈悲と再生の力をもつ守護主天であるティアですら、植物を急成長させる事は出来ても、意のままに操るなどということはできないというのに。桂花の手のひらの上で発芽した植物の芽は瞬く間に伸び、桂花の『気』に応え、まるで意志を持つものように自在にうねり、枝葉を伸ばし桂花の腕に巻きつきながら成長した。
それは、もはや、意志をもつ植物であった。
間違いない。
・・・こんな事が出来るのは、桂花だけだ。
(・・・意識が戻ったのか?)
だが、あの半死半生の状態で、あれほど多くの植物を妖力で呼び出すということなど、殆ど自殺行為にひとしい。
「・・・・・」
わずかに開いた扉の隙間から、蔓がうごめき廻っている。
扉が完全に浸食されていない今ならまだ部屋に入ることが出来る。
柢王は剣帯ごと剣をはずすと、侍女に差し出した。
「預かっててくれ」
侍女は目を見開き、両手を胸の前でかたく握りあわせ首を振って後ずさった。
「それでは柢王様の御身が危のうございます。・・・ましてや剣は武人の命と呼ばれるもの。お放しにならないほうが・・・」
「そう、武人だからさ。殺気を向けられれば、攻撃されれば俺は剣を抜いちまう。」
黒髪の王子は、明るく笑うと一歩踏み出した。侍女は一歩足を後ろに引きかけ、そのままの姿勢で柢王の瞳を覗き込むように見上げた。
「抜けば俺は自分の力を行使するさ。・・・だが、俺は桂花を傷つけたくない。何があってもだ。だから、剣は置いていく。・・・頼む」
「・・・・・」
黙って差し出された両手に柢王は笑って剣を乗せた。
「付近一帯に結界をはる。一時間で戻らなければ、悪いが天主塔に俺の名前で連絡をとってくれ」
「・・・・・」
侍女は何も言えずに、閉じていく扉の向こうに姿を消した柢王の背を見送った。
何といってよいのかわからなかったのだ。
・・・ご武運を? まさか! 誰と戦うというのだ。
彼は、中にいる者を救い出しに行っただけだというのに。
・・・救い出す? それも少し違う気がする。
けれど。そんなことはどうでもいい。
どうか どうか
二人ともご無事で。
「・・・・・」
無事を祈る事しか出来ず、柢王の剣を胸に抱いたまま、侍女は扉の前に立ち尽くした。
柢王が扉の内部に体を滑り込ませると、部屋中に張りめぐった蔓が、侵入者に対して大きく揺れ動いた。
さわさわ さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ さわさわ
だが、攻撃してこないところを見ると、この蔓は人の『気』に反応するようだ。柢王が攻撃的な『気』を発しない限り、蔓も静観の構えを見せている。
蔓は部屋の内部全てを覆い尽くし、わずかに扉や窓から漏れ出る光の他は、深い緑色をたたえた闇の底に沈んでいる。
・・・まるで結界のようだ。
・・・あるいは、深緑の、檻か。
刺激しないようにゆっくりと足を踏み出すと、床を埋め尽くした蔓が動いて床の色をのぞかせた。
道を開くようにも見えた。
だが、柢王にはわかっている。少しでもおかしなそぶりを見せようものなら、この部屋を覆い尽くすものたちが一斉に襲い掛かってくるだろう事を。
(・・・植物にも意志はあるのか?)
・・・かつて、桂花の手の上であまりにも生物的な動きを見せる植物に驚いて、そう尋ねた事があった。
(・・・ありますよ。)
返ってきた返事はあまりにもそっけなく、それがかえって真実味をおびて聞こえた。
(なんで、そういうことがわかるんだ? 魔族は皆そういうもんなのか?)
・・・綺麗な紫色の瞳が、一瞬剣呑な光をおびたような気がした。手のひらの上で遊ばせ
ていた植物をもとの種のすがたに戻し、しまいこんだ時にはいつもどうりの桂花であったけれど。
(吾たち魔族には、植物の姿の魔族もいる。鉱物の姿の魔族もいる。・・・万物の、ありとあらゆるものを命の宿りとし、生きる。吾もそういったあいまいな存在の一つです。・・・あいまいだからこそ、全てとまじりあうことが出来る。・・・意志を通じ合う事も。
・・・『魂』という確固たる存在を持ち、その殻としての肉体を持つ、人間や天界人のあなた達には、きっとわからないことなのでしょうね)
・・・綺麗な 綺麗な 魔族の男。
簡潔に話す言葉、優雅な仕草、そしてかいま見せる膨大な知識は およそ、柢王の知っていた魔族像とは程遠いもので。
人界で出会い、殺すことも出来ずに天界にまで連れて来てしまった。
そして、ずっと傍においている。
柢王が歩を進め、蔓がうごめくたびに天井からぱらぱらと土塊が落ちてきた。蔓が泥の上を這いずってきたときに一緒に持ち込まれてしまったものらしい。
・・・桂花は何も言わない。
天界人のさげずむ視線のなかに身をおいて、きついまなざしのまま、立っている。
おそらくは柢王にも心を許してはいないだろう。
(・・・連れてこなければよかったのか?)
だが、殺す事は、どうあっても出来なかった。
魔族は天界人の敵。その言葉を刷り込まれるようにして育ち、実際、魔界に魔族討伐に出かけ、多くの魔族を殺した。
けれど、桂花を殺す事は出来なかった。
魔族討伐が主だった仕事である軍人を選んだ以上、魔族を殺さないという事は許されない事だ。そしてそれは、柢王が今まで持っていた価値観や生き方をすべて否定するようなものだった。
なのに、桂花だけは殺せなかった。
東国の王子としての権限、天界最高の権威をもつ守護主天である友人を頼ってまでも、桂花を生かそうとしたのは・・・
蔓たちのざわめきが高まり、柢王は足を止めた。
数歩先に桂花の眠っていた寝台があり、その上にも蔓ははびこっていたが、そこには桂花はいなかった。
・・・寝台を中心としたその上。天井から、床から伸び上がり、絡み合った蔓が空中に作り出した一際密度が高く強固な深緑の結界。
その深緑の結界の中央に果たして桂花はいた。
くらい、深緑の光景の中で、そこだけがほの白い光を放っているかのようだった。
「桂・・・」
呼びかけようとした柢王が口をつぐむ。
蔓がうごめくたびに揺れ動く長い白い髪。そして、だらりと投げ出された両腕と、力なくあおのいた細い喉首。
それはおよそ意識のある者の姿ようには到底見えなかった。
寝台の上に蜘蛛の巣のように張り巡らせた蔓の上に、四肢に蔓をからませた桂花は壊れた人形のように吊られていた。