JAZZ Night
初小説です!! お目汚しになるかとは思いますが、一度書いてみたかったので、思い切って投稿してみました。
薄暗い店内は、何時にも益して落ち着いた空気に包まれていた。
待ち合わせの相手がまだ来ていないのを確認すると、会話を邪魔しない程度の音量で流れている音楽に誘われるように、絹一はゆっくりとカウンターへ向った。
「こんばんは、絹一さん。いい夜ですね。」
すっかり定位置となった席へ腰を下ろすのとほぼ同時に、背後から柔らかい声が届く。
振り向くとそこには極上の微笑み。まっすぐに見つめてくる美貌に、目元を僅かに染めながら絹一は言葉を返した。
「こんばんは一樹さん。・・・ええ、今日は月がとても綺麗ですよ。」
「そうですか。こんな仕事をしていると、なかなか夜空を見上げる機会も無くて・・・。その代わりこうして、目の前にある小宇宙の、神秘なる双子星を見つめることが出来るんですけどね。」
そう言うと一樹は絹一の顎を掬い上げ、瞳をじっと覗き込む。
「あ・・・あの、オーダーを・・・」
吐息がかかる程の距離に絹一は今度こそ真っ赤になった。
うろたえた色を隠せない声に一層笑みを深くし、一樹の指がさらりと喉を撫で離れてゆく。
「・・・そうでした。お客様に催促させるとは失礼な事を。お礼に奢らせて下さい。」
もう一度艶やかに微笑み背を向けた男の後姿を見送り、絹一はそっと溜め息を吐いた。
あの微笑みは苦手だ。ほっとした気持ちと同時に、居たたまれない気持ちにもなる。
「・・・鷲尾さん、早く来ないかな。」
いまだ姿を見せない待ち人に想いを馳せ、今度は幾分長い溜め息が唇から零れ落ちた。
「お待たせしました、Blue Moonです。」
目の前のカウンターに差し出されたのは、淡いバイオレットの液体。その色彩と同じくらいロマンティックな名称を持つカクテルを絹一の細い指が持ち上げる。
「ひとつ、良い事をお教えしましょうか?」
こくりとひと口飲み込んだところで、横に座った一樹が秘密めいた口調で話しかけてきた。
「良い事・・・?」
瞳を上げた絹一に悪戯気な笑顔が答える。
「ええ。貴方は覚えていた方が良いと思いますよ。」
「はぁ・・・、お願いします。」
不思議そうに小首を傾げる絹一に、一樹は早速レクチャーを始めた。
「例えば深夜のバーでひとりお酒を呑んでいる時・・・」
「俺は独りでバーに行ったりなんて、滅多にしませんよ?」
話の腰を折る絹一を一樹は優しく睨んだ。
「・・・すみません。」
睨まれた絹一は肩を竦め目顔で「どうぞ」と促した。
「例えば、そんな時に隣のテーブルの見知らぬ男性からカクテルが・・・そうですね、Between the Sheetが届いたとします。絹一さんならどう対処しますか?」
『例えば』に何だか力が篭っていたな、と思いながら絹一は口を開いた。
「そうですね・・・無下に断るのも悪いですし、取り敢えず戴きます。」
「それにベッドの誘いを感じても?」
「え?」
驚いて見つめ返した先で、一樹の顔が笑いを噛殺すのに必死になっていた。
「Between the Sheet、『シーツの間に』ですよ? どう考えても夜のお誘いじゃないですか。」
自分の鈍感さを指摘され、絹一は真っ赤になって俯いてしまった。その頭を優しい手がそっと撫でる。
「ヘタに受け取ると誘いをOKした事になる。だからその時はこのBlue Moonを返すんです。カクテルで誘いを掛ける程度にエスプリの利いた相手なら、これで十分通じる筈ですから。」
「・・・通じなかったら?」
「その時は『頭の悪い男はタイプじゃない』とでも答えなさい。」
俯いたまま呟かれた問いにそう返すと、一樹は静かに立ち上がった。
「一樹さん! Blue Moonの意味は・・・?」
肝心な事を教えてくれぬままに立ち去ろうとする相手を、絹一は慌てて引き止めようと腕を掴んだ。
「残念ですがタイムオーバーです。・・・待ち人来たる、ですよ。彼もこの位の意味は当然知っているでしょう。知りたければ、彼に訊くと良い。」
やんわりと腕を外し謎めいた微笑だけを残して、一樹は店の奥へと姿を消した。
「悪い、遅くなった。」
漸く現れた鷲尾は悪びれた様子も無く、今まで一樹の座っていた椅子に腰掛けた。スーツのポケットから取り出した煙草に火を点けると、美味そうに紫煙を燻らせる。
ぼんやりと煙の行方を追っていた絹一の髪を、大きな掌が掻き雑ぜた。
「一樹と、何話してた? やけに親密そうだったじゃねえか。」
少しだけ甘い空気を纏わせた鷲尾を珍しいと思いながら、絹一は微苦笑を洩らした。
「Blue Moonの講義を受けていました。」
「Blue Moon? この曲か?」
「え?」
煙草を挟んだ指が天井を示した。
静かに流れるのは、少ししゃがれた男性の歌声。切なく甘く響くそれが紡ぐのは、あまりにも有名な1曲。
「マイルス・デイビス・・・か? JAZZのスタンダードナンバーだな。」
心地好さ気につま先でリズムをとる鷲尾を見つめ、絹一はそっと微笑んだ。
今はまだ、答えを知らないままで良い。
当分の間は、独りでバーを訪れる事など無いだろうから・・・。