天主塔の頭の痛い一日(10)
衛兵に見つからないように、こっそり移動したり、物陰に隠れたりしてやりすごしながら、南の太子の姿の守天と桂花はクリスタルロードに新しく入った絵を見にゆく。
(・・・探検というより、これはむしろ探偵ごっこでは・・・?)
先にたって守天を導きながら、桂花は思った。
「普通に見に行ったんじゃ『探検』にならないから、衛兵に見つからないようにこっそり見よう♪」
と提案した当の本人は、先に歩かせると一秒後に見つかりかねないような無防備な隠れ方をするので、結局桂花が先導している。
二人して観葉植物の陰に隠れて、辺りをうかがう。南の太子はさっきから何がおかしいのか、くすくす笑っている。
「・・・守天殿、見つかってしまいますよ?」
「だって、とまらないんだよ。」
たしなめる桂花に、慌てて口元を両手で押さえながら、それでもにこにこと目で笑っている南の太子。桂花は心中でため息をついたが、本人が楽しそうにしているんだから、まあ、何も言うまい。と思い直した。
新しく入ったという絵は、抽象的過ぎて桂花には理解しがたかった。
「同じものを見ても人によって感じ方が違うように、表現の形もさまざまだね。」
ポケットの中にしまっておいた昼食の焼き菓子の残りを半分に割り、その片方を桂花に渡しながら守天は笑った。
クリスタルロードを抜け出し、二人は再び森の中を歩いていた。
「守天殿は、あの絵をお気に召されたのですか?」
「う〜ん。気に入ったとかそういうのじゃなくて・・・・うまく言えないけれど、あの絵は、絵筆を持つ本人自身の内奥を、色を重ねる事で暴き出そうとしている。そんな印象だった。」
「・・・内奥・・・ですか?」
「うん。私は、芸術って言うのは、自分の中の世界を他人の目や耳に見える形に表現する事だと思う。・・・すごいと思わないかい? 言葉だけではあらわせない事を別の形で表現できるんだよ。絵にせよ、音楽にせよ、言葉以外で感情の表現の手立てを知っている人が、私はとてもうらやましい。」
「・・・言葉というのは万能ではないとおっしゃる?」
娯楽の少ない魔界で生まれ育った桂花にはよくわからない。桂花は言葉と態度と・・・肌を合わせる以外に感情を伝える方法を知らない。
「・・・むずかしいね・・・。でも、人は、思っていることの半分も言葉にあらわす事が出来ない。」
「・・・そうですね・・・」
その時、歩く守天の足先にこつんと当たるものがあった。
「何?・・・棒?」
自分の身長ほどもある長棒を手にして守天が首をかしげる。
「天主塔の兵士が槍がわりに練習で使う長棒ですね。誰かが置き忘れていったようです。」
近くから、硬い物を打ち合わせる音、掛け声などが響いてくる。
「修練場が近い。・・・ずいぶんと遠くまで来てしまったようですね。」
「・・・修練場かぁ・・・。ちょっとのぞいてみようか」
「・・・修練演習中のようですね。」
縦横に何列も並んだ兵士達が、号令に従って気合とともに槍代わりの長棒を型に沿って振り上げた
り突き出したりしている光景はなかなか迫力がある。
物陰から首だけ出して興味深そうにのぞいていた南の太子が、そのうち体をそわそわと動かしはじめた。
「守天殿?」
けげんそうに聞く桂花に、南の太子は長棒を持ったまま、照れくさそうに首を傾げて見せた。
「・・・その、なんていうか、こういう光景を見てると、黙って座っていられない。体がむずむずしてくるんだ。・・・変だね。武器を持ったことすらないのに。・・・アシュレイの体のせいかな。・・・ふうん。あんな風に槍を持つんだね。」
楽しそうに守天は長棒をくるくると振り回し、構えて見せた。
南の太子の肉体が記憶しているせいか、槍代わりの長棒を構えて見せた姿も初めてにしてはなかなか堂に入っている。
「・・・・ええと、こんなかんじかな? これでいいのかな? 桂花、槍術ってどういう風にすればいいの? 少しでいいからおしえてくれないかい?」
にこっと笑っていわれ、桂花は青ざめた。
(教えてって・・・守天殿・・・。どこの世界に(←といっても天界に一人しかいないけど)武器を手にして魔族に槍術の教えを聞く守護主天がいらっしゃるというんですか・・・)
修練場に行くと言い出したときから何となく嫌な予感がしていたのが的中した。
童心にかえってしまったまでは、まあ、まだいい。
良識を10万光年の彼方に置き忘れたことも百歩譲って忘れよう。
だがしかし
守護主天たる本質まで10万光年の彼方に置き忘れてしまわれたのではたまらない。
「・・・守天殿」
「何?」
にっこり笑って『南の太子』が聞き返してきた。
「・・・・・」
そう、たとえ中身は守天でも、外見は象が踏んでも壊れない南の太子なのであった。
守天の肉体ではないという事は、つまり、守天がどんなに望んでも出来なかったことを可能に出来るという事なのだ。
(『・・・だって、憧れだったんだよ・・・』・・・か。)
「・・・・・」
桂花は肩をすくめ、壁に立てかけてあった長棒を拝借すると、すっと構えて見せた。
毒を喰らわば皿まで、である。
「重心が少し傾いてます。もう少し腰を落として。右足をひいてください。」
「え〜と、こう?」
「そう、そうです。では吾がゆっくり打ち込んでみますから、守天殿は深く考えずに、体が動きたいように動かしてください」
「え・ええ? ・・・う・うん。よろしく」
最初は桂花が手加減して繰り出す棒先を危なっかしくはじくだけだったが、槍術の動きを叩き込まれた南の太子の身体はすぐに慣れ、動きにも棒を操る腕にも、次第に熱がはいってきた。
「攻撃してもらっても構いませんよ」
「・・・・『攻撃』って。でも私は・・・」
「『南の太子殿』なら、いつまでも守勢に甘んじていたりなさいません。大丈夫です」
木製の長棒を打ち合あわせる軽快な響きに気付いたのは、演習を終えて休憩をとっていた兵士だった。音をたどったその先で、南の太子と東の第三皇子の副官である白い魔族が、激しく長棒を打ち合わせているという光景を目の当たりにして、若い兵士は目を丸くした。
ぽかんと立ち尽くす兵士の姿に、彼の仲間が気付き、世にも珍しいその光景に、たちまちのうちに見物の人だかりが出来た。
「おおっすげえ。あんな重くて速えぇ突きまともに喰らったら、半日は間違いなく立てねえぞ」
「や、でもあの魔族もなかなかやるぞ。あの速い連続の突きを全部さばきやがった」
「力がないから、まともに正面から受け止めたんじゃ勝ち目がない。だから力を受け止めずに受け流すようにしてんだな。そうすることで相手にもスキを作ることができるってわけだ。・・・なるほどな」
片や、華奢な外見からはおよびもつかない剛勇なパワーとスピードを兼ね備えた南の太子。
片や、パワーこそ遙かに劣るがスピードと冷徹な柔軟さを兼ね備えた東の第三王子の副官。
「けどよ、スキを突くのはちょっと無理があるんじゃねえか? 相手はあの南の太子様だぜ。パワーも尋常じゃねえが、スピードはもっと尋常じゃねぇ」
「や、スピードだけならあの魔族も負けてねぇと思うが・・・けど変だな。あの魔族、攻撃を受け止めるだけで、自分からは絶対攻撃しねえ。・・・あ、ほら、さっきの見たろ? 受け流された南の太子様の体が一瞬宙を泳いで、脇ががら空きになったけど、魔族の奴、絶好のチャンスなのにさっさと長棒を引いちまったじゃねえか」
「あの魔族はたしか、天界人を攻撃することは禁じられているのではないのか? ・・・だがしかし、すこしずるいと思わんか。守天様をお守りする立場の我々を差し置いて、いくら柢王様直々に鍛えられたとはいえ、魔族などを修練のお相手にお選びなさっているなどとは」
「そ−だよな。俺だって南の太子様にだったら教えてもらいてーもんなー」
「南領の兵士が強いのは、南の太子さまが直接兵士に手ほどきしたり、修練の陣頭指揮をとってるからだって噂だもんな」
「・・・・・っ」
桂花は焦っていた。
思ったよりも南の太子の動きが速い。そして、攻撃の一つ一つが重い。かろうじて受け流してはいるが、桂花の細腕はすでに限界に達している。
そして、いつのまにやら出来ている壁の後ろの人だかり。(あれでも本人らは隠れたつもりでいるらしい)
しかも、時折守天(中身)が自分の身体の動きの速さに驚いて、精神と肉体の反射神経にギャップが生じ、唐突にスキだらけになるのだ。魔族相手にこれでいきなりバランスを崩してすっ転ぶのを見られた日には、南の最強と謳われる武将の威信なぞ・・・
(・・・って! だからどうして、この吾が、サルの威信の心配などをしなくてはならない?!)
桂花は違和感と責任感と使命感と自己嫌悪と良識の狭間で自問した。
後悔先に立たず。というかこの場合、良識を最後まで持ち続けた者が、わりをくうのだ。
かくなる上は、南の太子がぼろを出さないうちにきりあげることが最上策だった。
「守、守天殿、そろそろおやめになられたほうが・・・」
「え? 何?」
打ち合い、桂花は大きく飛び離れて南の太子との距離をとった。
(・・・えっ?)
さらに呼びかけようとした桂花と南の太子の間に、いきなり割って入った者がいた。
「斬妖槍に名高い南の太子様の槍術、・・・ぜひとも一手ご指南願いますっ!」
「・・っぇ? ええっ? ちょっと待・・・」
桂花が止める暇も、南の太子が断る暇もなかった。裂帛の気合と共に、血気盛んな若い兵士は南の太子目がけて棒先を繰り出してきたのであった。
どっかーーーん!
執務室のバルコニーから見える方角に巨大な火柱が高々と天を貫くのを柢王と守天はあっけにとられて見た。
衝撃波に天主塔が揺らぐ。
「・・・おい。あれって、修練場の方角じゃねえのか・・・?」
「・・・ってゆうか! あれは俺の『華焔咆』じゃねえか!(なんか形が違うけど!)」
あっという間に喧騒の坩堝と化した天主塔。回廊を慌しく走り回る足音が近づいてくる。
「・・・あの分だと怪我人が出てるな。守天殿、出番だ。」
「へっ?」
柢王に肩をたたかれ、守天の姿の南の太子があんぐりと口をあけた。
「『守天殿』の手光と聖水が必要って事さ。な〜に、ティアが斬妖槍出せたんだ。お前も出来るだろ」
「ば、馬鹿言えっ! 出来るかそんなもん!」
「やるんだよ」
柢王は守天の両肩を掴み、目線を同じ高さにし、低い、しっかりした声で言った。
「お前が昔、ああやって騒ぎを起こすたびにティアは手光だ聖水だと走り回っていたんだ。たまにはその大変さを体験してみろ。いい機会だから」
「・・・で、出来ないもんは出来ないんだよっ! 柢王のばかやろっ!」
執務室の扉が激しく叩かれた。
「守天様っ! 一大事でございます!」
「修練場が燃えております! 兵の演習が行われている修練場が、燃えておりますぅぅ!」
なお激しく叩き続けられる執務室の扉と、時を追って増える嘆願の声。
「・・・・・」
守天の姿の南の太子は真っ青になって立ち尽くしたのであった。