The Key in a wallet
プレゼント用の華やかなアレンジメントではなく、わざと自宅用の包装にしてもらう。
派手なリボンなどで包まれてしまえば、一目で贈り物だとわかってしまうから。
茶色のクラフトの紙で包んでもらったそれは、『今夜』という特別な時間を歩く恋人達の視線を遮るにはちょうどいい。
そう、受け取る本人にだけ伝わればいい。
それは心からのメッセージ。
定時に仕事を終えて、鞄の中にいつものように持ち返りの書類をつめる。
金曜の夜は明日だというのに、どことなく浮かれたオフィスの空気は、週末前夜よりもかなり濃密なもので。
携帯で恋人との待ち合わせを確認する者、一足早い熱烈なラブ・コールに顔の筋肉を緩める者。
仕事で残らなければならない人間などには、胃もたれしそうな光景だ。
いや、胸焼けといった方が正解だろうか。
そんな様さえも自分にはいつも無関係だった『今夜』。
それが今では、年を重ねるごとに、より特別な日になっている。
去年より今年。今年より来年。
こんなふうに自分が誰かと年を重ねるようになるなんてと、ひとり浸ろうとして・・・やめた。
今の自分の顔を誰かに見られるわけにはいかない。
そう考えながら、いつのまにか止まっていた手を再び動かし、鞄を抱える。
特別な夜の裏と表を背中に感じながら、ボスに見つからないうちに・・・と絹一は足早に会社を後にした。
駅構内にある花屋に足を踏み入れる。
特別な夜だからか、ガラスケースの中に残っているのはどれも慎ましい佇まいの花々で。
愛の告白に欠かせない薔薇の花は、早々と売りきれてしまったのだという。
そんな店員と客とのやりとりが、目に優しいグリーンを見まわしていた絹一の耳に流れこんできた。
先客の女性は、申し訳なさそうな店員に気を使いながらも、ショックを隠しきれない様子だ。
それを見ないようにしながら、絹一はガラスケースの中に視線を移した。
チューリップ、ヒヤシンス、ガーべラ、アマリリス・・・と残る花の姿はそれぞれ違えど、どこか可愛らしい印象の重なる花にはなるほど、情熱的な告白の助っ人には少し迫力に欠けるのかもしれない。
それでも誰もかれもが贈るような花よりはより印象に残るはずなのに、と珍しくもお節介な気持ちが絹一の中に湧き上がる。
それもきっと、誰かのせい。
少しずつ、けれど確実に変わっていくことを自然と自覚する瞬間。
こんなふうに日常の中で見つける度に、彼のことを強く想うようになる・・・。
「・・・様、お客様」
「はい?」
プライベートの自分に戻りつつあるせいか、声を掛けられていることに全く気付かなかった。
そんな自分に今度は少し顔を赤くしながら、絹一は素早く頭の中を切り替えた。
「どのような花をお求めですか?」
「えーと・・・」
『店長』と記されたプレートを胸に付けた女性に優しく微笑まれて、絹一は正直言葉に詰ってしまった。
実はここに足を踏み入れたのはほんの気まぐれだったのだ。
プレゼントのことなど、今日の当日になるまで、まるで考えていなかったから。
世間の恋人達とは少し違う自分達。
違うのは・・・今日という日が持つ意味合いもそうで。
あえて例えるなら、厳粛な気持ちになる聖夜。
去年のクリスマス・イブの・・・自分の誕生日の夜のように。
そんなふうに考えながら店内を見まわしていた絹一の目が、さきほどまで泣きそうだった女性客の視線の先にある花束で止まった。
細く長い枝の先に、小さくそっと花弁を広げている濃い茶色の花。
ひとつの枝にひとつの花が咲くその様子は、それこそ華やかさとはほど遠いけれど。
優しいグリーンと共に包装された控えめな花束は、今の彼女の微笑みににはとてもふさわしいものだった。
・・・・・・・だから。
「・・彼女と同じ花を頂けますか?」
辛抱強く自分の言葉を待っていてくれた店長に、絹一は優しくそう言った。
花を下にして持ちながら、マンションのエレベーターに素早く乗り込む。
約束の時間にはまだ早いけれど、今夜はこのまま彼の部屋を訪ねようと思う。
いつものようにベルを押して、いつものように名を告げて。
そしてなんでもないような顔をして、この花を渡すのだ。
本当は先ほどまで、自分の持っている合鍵で彼の部屋にお邪魔しようと思っていた。
そしてこういう記念日においては自分より数段上手の彼を、たまにはびっくりさせてやろうと思っていた。
でも、それにはまだ早いような気がする。
それはさきほど、花屋で見た光景から思ったこと。
花束を作ってもらい、会計を済ませようとした彼女の財布から落ちた、1ドル紙幣。
ほんのささやかな願い事のつもりなのだろう。女性らしい、可愛い 『おまじない』。
一度訪ねた国の紙幣を財布の中に入れておくと、再びその地を踏む事が出来るという。
土地に執着のない自分には、本来なら興味がないものだけれど。
それでも、彼のいる 『場所』 の傍にいつもいたい。
その地を踏む事が許される自分でありたい。
今までも、これからもずっと。
だから今は財布の中に入れておく。
自信を持って彼の隣に立つことが出来る、その日まで。
エレベーターの扉が開いて、絹一は一歩を踏み出した。
じゅうたん敷きの廊下をゆっくり歩いて、彼の待つ部屋の前で足を止める。
顔を見た瞬間の第一声はやはり、食事のことだろうか。
それとなく自分の抱く花束のことを気にしながら。
久しぶりに逢う彼のことを楽しく予想しながら、絹一はインターフォンを押した。