笑顔の理由
「絶対に嫌だっ!!!」
甲高い声が部屋に響く。
「俺はローパーに行くの! 絶対絶対ぜーったいに! 行きたいの〜!! ねぇ忍〜、お願いだからさぁ行こうよー!!!」
「仕方ないじゃないか、小沼が卓也さんとした約束なんだから・・・俺は言われた通りにしてるだけなんだからね」
忍の言葉に大きく頷くと、二葉は満面の笑みを浮かべて忍にすり付いて離れようとしない桔梗のおでこを軽く弾く。
「そーだぞキョウ!」
「そーだぞって何がそーだぞなんだよ!」
今にも泣き出しそうな顔で二葉の顔をにらみつける。
「だから、よりによってそんな約束を卓也とするお前が悪いって言ってんだよ」
自業自得だ。そう言ってやると少しだけ気分が晴れる気がする。
「なんでなんで!? 俺悪くないもーん」
「悪くても悪くなくてもいいんだよ! ちゃんとこっち見て話し聞けて!」
桔梗はふんっ! とそっぽを向いて、肩に置かれた手を乱暴に払いのけた。
「なんだよ! そこでいじけるんじゃねーよ!」
怒ったそぶりを見せても一向に謝る気配も、反応すらなくなってしう。
沈黙が重い。
普段はこんな事はほとんどといっていいほど起こったことは無かった。
それというのも桔梗と二葉が険悪な雰囲気になった時には忍がにこやかに微笑みながら、キツイ一言を浴びせて2人の感情を静めてしまうからで、今回のように忍が口をはさまないとなると事態は急変してしまう。
「・・・・・」
桔梗自身もどうゆう態度をとるべきなのかなやんでいた。
会話が無い。それだけでも桔梗には大きなストレスのように感じてしまう。
「大体なぁ、俺らは今日はデートの予定だったの! 分かるか? 俺の忍との時間を邪魔された今の気持ち! しかも納得できないような! すげー迷惑!! 忍もだまっちゃってるしー」
「それは・・・悪かったって思ってるもん・・・」
(本当に悪かったって思ってるもん)
2人がデートの約束をしているなんて知らなかった。
しかし知らなかったと言っても大好きな人たちの幸せな時間が自分の約束のために無くなってしまったなんて考えただけで泣きたくなってくる。
(俺だって、卓也との時間が無くなっちゃったら、泣いちゃうもんな・・・)
けれど卓也との約束をする事になった経路も十分恋人たちの時間を邪魔する事になった事にはまったく気がついていない。
「じゃあもういじけるのはやめだ。な?そうすりゃ全てOKってことだ」
下を向いている桔梗の顔を覗き込むと今までとはまったく違う優しい声を出しながら『な?』と声をかける。
どんなに頭にきていても、結局桔梗には甘い二葉だった。
それでも桔梗は下を向いたまま、今まで以上に暗い表情になってしまう。
「どーしたんだよ? もう今日のことは気にしてないし怒ってないって言ってるだろ? ・・・そんなに落ち込むなって、『ローパー出入り禁止令』だされたからってさ」
「だって・・・忍怒ってる・・・」
「はぁ? 何言ってんだか。なぁ? しの・・・マジかよ・・・」
(ヤバイ・・・マジヤバイって)
二葉の顔色が思い切り青ざめる。
それというのも、忍の顔がいつもの可愛くて何でも許してくれる優しい表情から、簡単には近づいてはいけないような、触れたら壊れてしまいそうな思いつめたような顔つきになっているからだった。
忍のこんな顔を2人は数回しか見たことが無い。昨日ですらこんな表情はしていなかったのに・・・気づいていないだけ・・・というのもあるが、実際は忍自身が2人に分からないようにと懸命に怒りを内に隠していたし、一緒に居ると楽しくてそんな事は忘れてしまうから気づかれる事も無い。
そして、いったんその我慢が限界まで達してしまった時は、本人自身ですら止める事が出来なくなり、機嫌を戻すのがとても大変な作業になってしまうのだった。
(まぁ、忍のことは昨日の今日だしなぁ・・・)
「はぁ・・・」
聞こえるかどうかの小さなため息が桔梗からもれる。
(どうしてこんな事になっちゃったんだろ・・・)
ことの始まりは昨晩。
いつもと同じように3人が卓也と一樹にからかわれながらも会話を楽しんでいる時だった。
「ねぇ一樹〜? 最近疲れてない?」
「そう見える?」
「んー見た感じは変わらないんだけど、忍が言うから」
「そっか、ありがとう忍。心遣い感謝するよ。でもね、本当に大丈夫だから心配しないで?」
「はい・・・一樹さんが言うなら・・・」
笑顔を向ける。けれど本当は心中穏やかではなかった。
一樹がどんな時でもほとんど弱音もはかないと言うことを誰よも・・・
そう、弟である二葉以上に感じているからこそ心配してしまうのだった。
(本当は疲れてるんだろうな・・・顔色が悪いもん。)
会話に入りながらも目では一樹を追っている忍に二葉はあまり良い感情は持っていなかったが、どうにか我慢をする事が出来ていた。
それは忍の言うように多忙な兄の事が心配だったからで、忍はその兄を心配しているから・・・ということが頭の中にあったからだ。
そうでもなければいくら親愛なる兄であっても愛する忍が視線を寄せているというだけで我慢の限界を超してしまいそうだった。
昔、忍は一樹に心が行っていた事があったから・・・
「一樹今香港に行くじゃない? 香港に行って、俺たちの事って思い出してくれてる? 仕事と恋人とのデートで忘れちゃってない? 思い出してる???」
「忘れちゃってたらどうする?」
「そしたら泣いてやる〜!!!」
「ははっそんなのいつものことだろ」
そう良いながら忍に軽い、ちょっと甘めのカクテルを作ってくれる。
「ありがとうございます」
一樹のこんな心遣いがとっても嬉しくて、ごく自然な感謝の気持ちの言葉が一樹の心を和ませる作用をしていることを本人は気づいているようで気づいていないが、桔梗はそのことをずーっと前から感じ取っていたので、
「どういたしまして」
という一言を口に出した瞬間の一樹の幸せそうな柔らかな笑顔を見ていると自分までもが幸せな気分になってきて大好きだったし、たまに見せる作られた笑顔ではなく、無意識に笑顔になっている一樹のそんな笑顔の源になっている忍の変わらない純粋な心がとってもとっても大好きだった。
「いいなぁ〜」
「何言ってんだ?」
突然ぽーっとした顔で一樹と忍を見比べている桔梗を、皿を拭きながら妙に冷めた視線を送る。
「あのねー。俺も、一樹みたいに、忍に優しくして欲しい!!!」