天主塔の頭の痛い一日(7)
昼食は厨房の料理長自らが執務室の別室に運んできた。連日の執務で食の細くなった天守塔の主を心配してのことらしい。
口当たりが良く、消化吸収のよいものを中心に、目を楽しませる彩り豊かな食材を駆使した料理が何十種類も運び込まれる。食べ物の好き嫌いを口にしない分、これといって大好物もない主へ、何十種類のこの料理の中から一種類でもお気に召していただければ、と願う料理長のせめてもの心配りだった。
・・・ある意味、料理長の努力と心配りは徒労に終わったといってもよかった。
柢王と二人して次々と皿を空にしながら優雅に食事を(←王族だからマナーは完璧!)続ける守天の姿に、事情を知らない料理長は手にした料理帽を握りつぶさんばかりにして感激している。
「・・・お気に召していただけたようで幸いです。」
「このスープが絶品だ。なんという料理だ?」
スープのおかわりを所望しながら上機嫌で守天が聞く。
「ああ、それはファッチューチョンというスープです。昨日お出しいたしましたところ、お気に召していただいたようなので、本日も作らせていただきました。何種類もの食材を壺の中に入れて長時間蒸すだけの料理ですが、入れる食材によって様々なバリエーションが楽しめます。薬膳としての効能もあるんですよ。ちなみに、昨日と本日は疲れをいやす効能のある薬草や材料を多数使用いたしております」
二人の箸が止まった。
「・・・薬膳?」
「・・・薬草?」
いきなり止まってしまった二人に料理長はおろおろとなる。
「・・・お、お気に召しませんでしたか?昨日は夕食時と夜食事にもお出しいたしましたが・・・」
(あいつそんなに飲んでたのかーっ!)
守天の弁護をさせてもらうなら、固形物が喉を通らなかったので、せめて飲みやすいスープの方に口をつけたということだけなのだが。
「いや、美味いよ。最高だ。この心づくしの料理の数々には感服する。守天殿が羨ましいことだ」
柢王が片目をつぶって笑ってみせる。
その笑顔に、料理長がほっとしたように息をついた。
「お気に召されたものがございましたらおっしゃってください。柢王様がいらしたおりには腕をふるわせていただきます」
「光栄だ」
食後に極上の白茶を淹れると、料理長は笑顔のまま、下がっていった。
「・・・おい・・・」
「ああ・・・」
料理長が去ったのを見届けて、二人は顔を見合わせた。
「おいアシュレイ、確か八紫仙がなんか言ってたよな」
守天が気難しい顔で柢王を見た。
「ああ? 丹慧堂か? 麒麟の甘露か?」
「違う。その前だ。『天主塔の皆が心配している』とかなんとか言ってただろ。朝一番の桂花の話が強烈だったからそのせいかと思っていたが、なにかがおかしい。八紫仙をはじめ、さっきの料理といい、今朝からなんか妙におまえ(守天)の周りが薬くさい!」
「・・・・言われてみればそーだよな」
守天が白茶の碗を覗き込んで『これにも、なんか変なもん入ってんじゃないだろうな』と汗をかい
ている。
その後、柢王がそれとなく聞き込み調査をしてみると、・・・出るわでるわ。
たとえば、朝一番の茶菓子。そして朝食。さらに湯浴みの時の湯は薬湯であるし、そのときに出された甘い飲み物にも疲れを癒す効用のある薬が混ぜ込まれていたらしい。
「・・・・・」
柢王の報告を聞いて守天が青ざめている。
時刻は午後3時過ぎ。例によって茶と茶菓子が用意されているが、彼らは手をつける気にもなれないようで冷めるにまかせている。
「・・・しかもこれは今日に限った話じゃない。日をさかのぼればまだまだ出てくるはずだ」
「・・・勘弁してくれよ〜〜」
守天が机に突っ伏してうめいた。
八紫仙のような高位の者たちならばともかく、女官やら料理人たち下位の者たちでは、いくら守天の体を心配したからとて、いい薬を持っていたからといって、面と向かって飲んでくれと言えるわけがない。下手をすれば不敬罪で重罰だ。しかし、この天主塔の主人の身を案ずる心やさしき使用人達は、何としてでも、元気になってもらいたいという一心で、自分達の(しかしばれると非常にまずい事になるので、横の連携無し秘密の個人プレイ)仕事の権限の範囲内で、さまざまな試みをしていたということだ。
「皆が皆してティアに薬を飲ませ、それがティアの体に蓄積されていたのを、昨日の桂花の薬がとどめをさしたってとこだろうな。それにしても、天主塔で働いている皆が皆ってのがな・・・・・・美貌と人徳のなせる技だな」
「な〜にが人徳だっ! あのばかったれ! 毒を盛られてんのとおんなじじゃねえか!」
呆れはてたを通り越し、もはやしみじみとため息をつく柢王に向かって うがーっと守天が牙をむく。
当の守天の肉体がぴんぴんしている事で、少なくとも蓄積していたものが毒に変質したわけではない事も実証されているが、当人の預かり知らないところで色々怪しげなものを飲まされていたと思うと、どうにも腹が立つ。
「・・・落ち着けアシュレイ。皆ティアを気遣ってやったことだ。悪気はない。・・・悪気がない分始末が悪いがな。」
「あいつが! ・・・ティアのやつが、フツーに食事して、フツーに仕事して、フツーに寝てりゃ皆こんな事はしないんだ!! ・・・この騒ぎの元凶はティアだ!」
守天は勢いよく立ち上がると乱暴に扉を開け放った。扉口にいた兵士がギョッと身をすくめる。
「あいつらを呼び戻せ!」
・・・連日の激務で守天様は気が立っていらっしゃる。本日は特に朝から非常に苛立っていらっしゃるようなので細心の注意を払ってお守りせよ、と警護の交代の申し送りで上司から言い渡されていた彼らは、唯一無二の貴い御印の浮かぶ秀麗な白い額に癇の筋をびしびし走らせて柳眉を逆立てている守天を見て心底ビビった。
「・・・あ、あいつらとは・・・?」
「あいつらといったらあいつらだ! ティ・・」
扉の内部から腕が伸びてきて怒鳴る守天の襟首を掴んで引きずりこむ。
「・・・至急南の太子殿と桂花を探して、執務室に来るように言ってくれ。どこにいるかは判らないが天主塔内にいるのは確かなんだ。」
あっけにとられている兵士へ、守天に代わって後ろ手に扉を閉めながら柢王が出てきて、すまなそうに言った。
「は、はい」
返事はしたものの、まだあっけに取られた目で扉を見ている兵士は、おそるおそる柢王に向かって尋ねてきた。
「て、柢王様、その・・・本日の守天様は、・・・あの・・・」
「・・・ああ。八紫仙の方々に疲れに効く薬というのを飲まされそうになったからな。手光も聖水も自分で出せる。自分の体の不調など自分で癒せるというのに、素性も知れない薬を飲ませようとするとは何事かって朝から怒ってんだ。愚弄するなってとこだろ。・・・あ、これを俺が言ったのは内緒な。とりあえず、二人を探してくれるよう、伝令に伝えてくれ」
「は、はい。ただいま」
走ってゆく兵士の後姿を見送って、柢王は薬騒ぎがこれで少しでもおさまってくれればいいがと思った。守天が得体の知れない薬を飲まされそうになって怒っているという事、そして守天が薬など飲む必要がないという事実が広まれば、少しは彼らも自重してくれるのではないか。そう思ったのだ。
(内緒ナ、と言えば言うほど人に話したくなるのが人の心理だからな。ここだけの話だがってかんじで噂はあっという間に広がっていく。・・・さて、うまく広がってくれればいいが・・・)
執務室にもどった柢王を迎えたのは、床に座り込んで後頭部を抱え込んで唸っている守天の姿だった。
「・・・何やってんだお前」
「てめえがやったんだろが! いきなり引きずり倒しやがって! 頭おもいっきし打ったぞ! いてて!」
「あ〜あ、タンコブできてるぞ。受け身の一つくらいとれよ・・・ってティアの体じゃ無理か。アシュレ
イ、手光は出せないのか?」
「出せるわけねぇだろ! ・・・あだだだ! さわんじゃねえ!」
柢王がつんつん突っつくのを涙目の守天が振り払う。
「やっぱ手光は出せないのか。今日一日重病人、怪我人が出ないことを祈るばかりだな」
「縁起でもないことをぬかすんじゃねえっ!」
守天が叫んだ直後だった。
あたり一面の光景が朱に染まったかと思うと、バルコニーから見える方角に巨大な火柱が立った。
「・・・・・・っ!?」
次の瞬間、衝撃が天主塔全体を揺るがしたのであった。