続・戯言/残り香
絹一に一刻も早く逢いたい衝動にかられシャワーもせず自宅マンションに車を走らせた鷲尾。
一樹との情事のあとの残り香は家で流せばいい、この時間ならまだ絹一は帰っていないはずだ。
ローパーのオーナーとして店に顔を出すためか、絹一のためか…
一樹はPM8:00には契約がTime upとなるよう組んでいた。
「一樹らしいな…」
自然と口元が綻ぶ自分に呆れながらも愛車から部屋を仰ぎ見た。
そして、灯りのついた自分の部屋に目が釘付けになる…
「…まだ8時半だぜ…おい…」
部屋に入るとリビングでパソコンに向かっていた絹一がその手を止め鷲尾に近づいてきた。
「おかえりなさい。…鷲尾さん…もしかして一樹さんと逢ってたんですか…」
そのあと声をなくしたかのように口を閉ざし所在なさげに視線をリビングに漂わせた絹一。
鷲尾の小さなため息に呑み込まれてしまった次に続けようとした言葉は、心の中に吐き出した。
(仕事だから仕方ない。でも、同じ同性を抱くなら俺の知らない人にして欲しかった…)
俯いてしまえば、微かに落ち込んでいる事は自分にわかってしまう。
かといって視線を合わせてしまえば、責めるような思いが伝わってしまう。絹一は、そう思っているのだろう。
そうやって自分に対して気を使うような仕草をしている事の方が、余程自分には訴えてくるのだとも知らずに…
「…いいわけも謝罪もしない。俺が癒してやりたいと思う人間から依頼が来るなら、俺は契約を結ぶ、それが…」
「ビジネスですから」
絹一は鷲尾の言葉尻をさらって、抑揚のない声で続けた。
でも…その後の言葉は続かなかった。なにか言わなければ、この場が持たない事はわかりきっているのに。心が凍り付いていて、言葉が出てこない。こんな思いを抱く事すら、いけない事だとわかっているのに…
「…すいません。今夜は帰ります」
「絹一」
「ごめんなさい。また…伺います」
本当か?
と、問いただしたい気持ちを押さえて、鷲尾は絹一の顔を見つめた。
平静を装ってる瞳。
それを裏切る青ざめた顔色。
微かに震えている艶やかな唇…
鷲尾は我慢できずに、絹一の頼りない身体を腕の中に抱きしめた。
抗うなら、それでもいい。本気の彼に打たれるなら、かまわない。
そう…無言で切なく思いながら。
けれど、腕の中の絹一は逆らわなかった。逆らうどころか、逆に背中に腕を回してくる。
最初は遠慮がちにおずおずと…そして、掌で鷲尾の広い背中を確かめる
とふいに強くしがみ付いてきた。
鷲尾の胸に顔を埋め、自虐的に一樹の残り香を肺に深く吸い込む。鷲尾の身体からクライアントの痕跡を取り除くように…
無言で示された彼の独占欲は、強烈なものだった。言葉で責められるよりも、胸を拳で打たれるよりも、激しい心の叫び。
残り香を身に纏ったまま、絹一を包みこもうとしている自分は初めてだった。自分の首に腕を絡めてそれを受け入れようとしている絹一に出会ったのも。
今夜だけでいい。今夜だけは、あなたを独占したいから。
自分を支配する、このどす黒い嫉妬心ごと抱き締めて。
自分の事を本当に…
「…わかってる」
わかっているなら…と心の中で続けようとしていた絹一の耳に囁かれた言葉。
自分が欲しいのは、あなたの心だけ。腕も、胸も、唇も、ほんの少し欲しい時にわけてくれればいい。そんな自分の気持ちが偽善であっても、と自分で自分を傷つけながら…
それでも、あなたを失うよりはずっといい、ずっとましだから。そう自分を励ます。
それでも……
誤魔化しきれない気持ちが泪として流れ落ちてしまう前に、絹一はきつく、その瞳を閉じた。