世界の童話:ヘンゼルとグレーテル
ある大きな森の前にけして裕福ではない木こり(貴奨さん)が妻(高槻さん)と二人の子供と一緒に住んでいました。
上の子を江端さん、下の子を健さんと言いました。
ある時、この国が財政難に陥り、その日のパンさえも手に入れることができなくなったとき、寝床で高槻さんが貴奨さんに言いました。
「このままじゃ、一家全員で餓死だな。どうする、芹沢」
その言葉に貴奨さんはすこし、考えました。そしてずっと心の中にあった考えを高槻さんに話したのです。
「何だって? 江端くんと向井くんを森へ捨てるというのか?」
「捨てると言うな、人聞きの悪い。捨てるのではなく、食べるものがないから、出て行ってもらうんだ」
「森へ行けというのなら同じことだろう? それに、出て行くなら私達でもかまわないじゃないか」
「世帯主が家を空けてどうする。それにお前には森での生活は無理だ」
高槻さんと貴奨さんの声は思いのほか大きくて、食べるものもなく眠れずにいた江端さんと健さんには筒抜けになっていました。
「…色っぽいことしてんのかと思えば、俺達を捨てる相談かよ。どーするよ、江端。このまんまじゃ俺達確実に捨てられっちまうぜ」
「まぁ、この状況では仕方ないかもな」
食べるものもなくなり、一家四人暮らして行くというわけには行きません。
理由も分かってはいるのですが、ただ捨てられるというのはしゃくに触ります。
どうすれば捨てられずに済むのかを江端さんと健さんが考えていた時、ドアがコンコン、とノックされました。
「起きているんだろう。話がある。居間へ来てくれないか」
貴奨さんでした。江端さんと健さんは一瞬顔を見合わせましたが、貴奨さんがどんな風に話を切り出すのかも興味があったので、健さんと江端さんは居間へと降りて行きました。
「たぶん聞こえていただろうと思うから、単刀直入に言う。二人で明日、出て行ってほしい」
隠し事なしの直球勝負に健さんと江端さんは返す言葉がありません。
騙して森へ捨てるというのなら、ねちねち嫌みの一つでも言ってやろうと思っていたのです。
「こんなか弱い子供二人に森へ行けっていうのは死ねって言うことと同義語ですよ」
健さんの言葉に貴奨さんがふふん、と笑います。
「か弱い? もしかして君たちのことか?」
普段からあまり仲の良く無い貴奨さんと健さんでしたが、ここでも穏やかな話し合いは無理のようでした。
もう一歩で引火という状態に水をかけたのは高槻さんでした。
「向井君、江端君、君たちにも言い分はあると思う。けれど、このままじゃ4人とも死んでしまうんだよ」
「ンなことはわかってます」
「君たちに出て行って欲しいというのは、君たちが根っからのサバイバル体質を持っているからだ。森の中だろうが山の中だろうがそうそうくたばらないことが分かっているから、少しでも生き残れる方に賭けてみる気は無いかと言っているんだ」
貴奨さんはそう言いました。
確かに、家に4人で居れば確実に死は近寄ってくるでしょう。けれど、森の中ならうまくいけば食べ物が手に入るかもしれません。
森の中には木の実もあれば、獣もいるのです。
それにこの家も育ち盛りの食い扶持が2人もいなくなれば、なんとか生きていけるはずです。
「賭け事は得意だろう?」
口端に笑みを浮かべて貴奨さんは言いました。
その言葉に健さんは覚悟を決めました。ほんの少しの可能性にかけることにしたのです。
あとは江端さんのことだけです。
健さんには江端さんの答えはなんとなく分かっていましたが、敢えて聞いてみました。
「江端は? どーすんだ?」
「お前が行くなら」
「よし、決まりだな。明日の朝、ここを出てく」
健さんと江端さんは寝室に戻り、明日のために、眠りにつきました。
残された高槻さんと貴奨さんもまた、重い腰を上げてベッドへと向かいました。
翌日。
まだ靄が森全体を覆っているような頃、健さんと江端さんは旅立ちの準備をしていました。
「向井君、江端君、少ないけど、これ」
差し出されたのはひとかけらずつのパンでした。
「もう、これだけしかないんだ…」
「気持ちだけもらっとくわ。俺たちはなんとかなるさ。…あんたたちも無事生き残ることを祈ってるぜ。行こうぜ、江端」
健さんは後ろも見ずに森へと入って行きます。江端さんは軽く頭を下げると健さんの後を追いました。
「無事に生き延びてくれればいいけど…」
「大丈夫だ。あの二人は殺しても死なん」
もう見えなくなった健さんと江端さんの後ろ姿を見つめながら、貴奨さんは呟きました。