ちび慎吾くん、女装をする(前編)
8月。猛暑が東京を襲っている中、ちび慎吾君とその御一行様は箱根にある高槻さんちの別荘へとやってきていました。
「高槻、慎吾はどこだ?」
「江端くんと一緒に買い物に行ってるよ」
ソファにゆったりと座りながら高槻さんは貴奨さんに言いました。
「………あの格好で出かけたのか?」
「もちろん」
その言葉にががーんっ、と後頭部を殴られたような感覚を味わっている貴奨さんでした。
そうこうしている内にまだお休み中だった健さんも起きだし、慎吾君が江端さんと出かけた、と聞いて貴奨さんと同じく衝撃を受けたのです。
そして優雅に紅茶を飲む高槻さんの前にうろうろと動き回っている男が二人……。
「あのね、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。江端君も付いていったんだから」
その言葉も二人には聞こえていないようです。
前庭にザザーーッという音がし、車が止まりました。
「ただいまーーっ♪♪」
玄関の方から弾んだ慎吾君の声がします。
「あ、貴奨、健さんっ、ただいまっ。あのね、江端さんにスイカ買ってもらったんだっ冷やしてみんなで食べようねっ」
「慎吾!」
「シンっ!!」
スイカを冷やしに行こうとしていた慎吾君は二人に呼び止められて振り向きます。
「危ないことはなかったか?」
「出かける時には俺に声をかけろって言ったろーが」
「危ないことって…江端さんもいたから大丈夫っ! それに健さん寝てたし、起こしちゃ可哀想かなって思って…」
ぎゅっとスイカを抱える慎吾君はすまなそうに心配している二人を見つめました。
「とにかく、あまり外へと出かけるなよ。何かあっては遅いんだからな」
「そうだぜ。用心に越したこたぁねーんだ」
はーいっ、と返事をして、慎吾君は台所へと走っていきます。スカートの裾を翻して。
そうです。慎吾君はこの別荘にいる間、スカートをはいて生活をしていたのです。
事の起こりは高槻さんの一言からはじまったのでした……。
<<回想開始>>
7月の終わり、芹沢宅でいつものメンバーが集まっていた時のことです。
「毎日毎日暑いなー。こう暑くちゃなんもする気にならねぇよなぁ。外出るのも命がけって感じ」
健さんが慎吾君の図工の宿題を手伝いながらぽそりと呟きました。
「………そんな中無理して毎日来なくてもいいんだがな」
新聞を読みながら貴奨さんがこぼした一言を聞き漏らさなかった健さんの耳。
「なんか、言いました??」
反撃に出ようとした健さんを止めたのはなんと慎吾君でした。
「健さん、ちゃんと持ってて〜っ。ぐらぐらするよーっ」
夏休みの宿題で郵便入れを作っている慎吾君は慣れない手付きで金づちを持ってさっきからトンテンカンテンしているのでした。
江端さんは郵便入れの材料になる木材をノコギリで寸法通りに切っているところです。
「………避暑に行こうか……」
高槻さんは突然そんなことを言い出しました。
「避暑? 避暑って??」
慎吾君は手を止めて高槻さんを見上げて聞きます。
「避暑というのはね、暑いところを避けて涼しいところで夏を過ごすことだよ。ちょうど、箱根に別荘があるし。うん、みんなで行こう」
高槻さんは楽しそうに言います。
「かまわないかな、芹沢」
「俺は一向にかまわんが」
「向井君たちは?」
「俺たちも予定なんてどーとでもなりますから」
「じゃあ、決定。慎吾君、箱根にいったら大きな船に乗って芦ノ湖を一周しようね」
高槻さんの手は慎吾君の頭をなでなでとやさしく撫でています。
「うんっ」
目を輝かせて頷く慎吾君に一同、連日の猛暑で荒んだ心が和んだ一瞬でした。
が。
高槻さんの思いつきはそれだけでは終わらなかったのです。
「んー。こんな男だけで行くって言うのもね…。つまらないしね…。(!) そうだ、慎吾君、秋の文化祭では白雪姫をするんだよね?」
「うん。クラスの皆が俺がいいって言うから…」
「スカートっていう代物は結構クセモノでね。足はスースーして落ち着かないし、
慣れないと転ぶし。文化祭のためにも、慎吾君、スカートはいて行かない?」
その言葉に貴奨さんは持っていたティーカップをがっしゃんと床に落とし、健さんは支えていた手に力が入り過ぎてぐしゃりと慎吾君の努力の結晶を壊してしまいました。
「なななななな、何を言ってる、高槻!!」
何が起こるかわからない世の中、ただでさえこんなに可愛いのに、なにかあったらどうするんだと、貴奨さんは高槻さんを必死に止めます。
「シンの身にナンかあったりしたら…俺りゃ、相手のヤロー、ただじゃおかねぇ…!」
「なにもないかもしれんだろう。大人の男がこれだけくっついていれば相手の方から避けていく」
それに知らない大人にはついて行かないだろうし、と江端さんは付け加えます。
「自らついて行かなくても、連れて行きたくなるほど可愛いんだろーがっ!! だからヤバいんだよっ!!!」
健さんは江端さんに向かって殴りかからん勢いでまくしたてます。
「一人で出歩かせなければ大丈夫だろう」
「そうだよね。江端君ならわかってくれると思ったよ。江端君も慎吾君のスカート姿、見たいよね」
「…いや、そんなことは……」
と否定しかけた江端さんの言葉を遮って高槻さんは慎吾君に聞きます。
「どうかな、慎吾君?」
慎吾君はゆっくりと一同の顔を見回します。
そして意を決したようにゆっくりと頷いたのです。
「慎吾っ!! 思いとどまれ!!」
「シン、そんなモンは家ン中で練習すりゃいーんだよっ!!」
ふるふる、と首を振り、慎吾君は貴奨さんと健さんをまっすぐにみて口を開きました。
「…最初はちょっといやだなって思ったけど、でも沢山の人の前でお芝居するんだから大勢の人に見られるってことも慣れなきゃいけないって思うし…。だから箱根に行く時は俺、スカートはいて行く!」
こうなっては貴奨さんも健さんも止められません。慎吾君はことの外頑固なのです。
その返事を聞いて満足そうに頷く高槻さん。
服はすべて高槻さんが用意してくれると約束してくれました。
一抹の不安を覚えた健さんと貴奨さんは無事、東京に帰りつくまで、片時も離れるものか、と心に誓ったのでした。
そして出発の当日、慎吾君に用意された洋服とは……。
細かな白いレースを惜し気もなく使ったローウエストのドレス。
サイドには大きな薄いピンクのリボンがあしらってあり、全体を引き締めています。
足下にはレースの靴下。そしてエナメルの白い革靴。
手に持っているのは白く大きなつばの帽子です。
「とても似合ってるね。可愛いよ。うん、ドレスはその形にしてよかったな」
一人満足そうに頷いている高槻さんの横で貴奨さんと健さんは呆然として慎吾君を見つめていました。
何も言わない健さんと貴奨さんに慎吾君は不安げにたずねます。
「……ヘン?? やっぱり…似合わない…??」
「いいや、そんなことはない。よく似合ってる」
すぐさまフォローしてくれたのは江端さんです。
「ほんと? よかったー」
胸をなで下ろした慎吾君でした。
「慎吾君、ちょっとおいで」
高槻さんに呼ばれていくと抱き上げられ、膝の上に座らされてしまいました。
高槻さんは慎吾君のドレスの裾や、襟元などの身繕いをしてあげます。
そして江端さんにカメラを渡すと、
「1枚、頼むよ」
記念撮影の始まりです。
高槻さんと少しおすまし顔の慎吾君を江端さんが写真に撮ってくれました。
その様子をみて尋常でいられないのは健さんと貴奨さんです。
フラッシュの光で我に返った二人は、あわてて高槻さんと慎吾君に近寄ります。
「おい、高槻…」
「シン、俺とも1枚……」
その二人を制したのはやっぱり高槻さんです。
「二人とも、残念ながらタイムリミット。写真撮影は別荘についてからにしてくれないかな。
そろそろ行かないと電車に乗り遅れてしまうからね、さぁ、慎吾君」
「う、うん」
ロマンスカーに乗りたいといった慎吾君の希望を取り入れて、今回は箱根まで電車でいきます。
駅に迎えの車が来てくれることになっているのです。
「芹沢、向井君、なにをつっ立っているんだ? 荷物もあるんだから、早く早く」
と二人を急かせるだけ急かせると、先に駐車場へ行っていると言い残し、慎吾君を連れて行ってしまいました。
「……またか…。だが…まだチャンスはある……」
「東京に帰ってくるまでに絶対にシンと1枚記念撮影を…」
貴奨さんと健さんは新たなる決意を胸に、荷物を抱え、駐車場へと向かいました。
そしてため息を密かについた江端さんが残りの荷物を持って続いたのです。
別荘へつく頃には慎吾君は疲れて眠ってしまっていたので、写真を撮ることはできませんでした。
そして今現在、貴奨さんと健さんの願いは叶えられていません。
<<回想終了>>
さて、居間へと戻ってきた慎吾君に高槻さんは芦ノ湖へ行こうと誘います。
当然、健さんと貴奨さんと江端さんも一緒です。
「これを着ておいで」
渡された新しいドレスの箱。
お出かけする際には新しい洋服を渡してくれる高槻さんです。
「でも、前にもらったのがあるし……」
「いいんだよ、慎吾君。せっかくの機会だからプレゼントさせてくれないかな?」
「……ありがとう、高槻さんっ」
箱を受け取って着替えてくるね、と部屋へ戻ります。
「高槻……」
「ん?」
貴奨さんは呆れた声で高槻さんの背中に声をかけます。
「よくもまぁ、何着も何着も用意してますね」
健さんも少しあきれ顔です。
「ふふ、まあね。皆だって可愛い慎吾君を見たいだろう?」
と健さんと貴奨さんと江端さんを振り返って笑います。
その笑顔に違うとは言えない三人です。(事実違わなかったりするのですが)
「高槻さぁ…ん。コレって……」
姿を見せた慎吾君の姿はまるで、「赤●のアン」の世界から出てきたような、とても愛くるしい姿をしています。
フリルとレースを使った五分袖のオフホワイトのブラウスにボルドーに近い地色に同じくオフホワイトの小花をあしらったフレアのワンピース。
レースの靴下に、靴はスカートと同じ色のストラップシューズです。
頭には麦わら帽子、そして手にはバスケットを持っています。
「うん、やっぱり良く似合うね、色が白いからかな。んー。でもなにか…足りない気がするな。なんだろう。芹沢、なんだと思う?」
高槻さんは慎吾君の全身をみながら、考え込むように貴奨さんにたずねました。
「アレにまだ足りないところがあるのか?」
「……向井君はどう?」
「さぁ?」
うーんと高槻さんは考えています。
と、江端さんがおもむろに慎吾君に近付き、跪きます。
なにをしているのか、と三人が覗き込むと、慎吾君の持っているバスケットにレースのハンカチを結んであげているところでした。
「ああ! それで完璧だ。さすが江端君、よくわかったね」
なんでそこにハンカチを巻く、と貴奨さんと健さんが心の中でツッコミをいれたのは言うまでもありません。
高槻さんも慎吾君の前にしゃがみこみ襟元を直しながら、
「慎吾君が女の子ならお嫁さんにもらっているよ。もし女の子だったら慎吾君は私のお嫁さんになってくれる? それとも…他の誰かがいいかな?」
「う……んと…。でも貴奨はダメなんでしょ? お兄ちゃんだもん」
「でも血は繋がってないから、結婚できるよ。慎吾君、芹沢がいいの?」
「…………みんな好きだから選べないよ」
困った顔をして高槻さんをみる慎吾君は本当に可愛いのです。
慎吾君のその姿を見て貴奨さんは
(嫁?! 嫁になんぞ、絶対にやらんぞ!!)
と思い、はたまた健さんは
(もし俺以外の誰かを選んだりしやがったら……破談にしてやる…)
と密かに思ったりしていました。
一方、高槻さんはそんな二人をよそに、慎吾君の頬を手で優しく撫でると、
「ごめんごめん、困らせるつもりはなかったんだよ。じゃあ皆にチャンスがあるってことだね」
さあ、行こう、と高槻さんは慎吾君と手を繋ぎ、慎吾君御一行様は一路芦ノ湖へと向かったのでした。