川の字(前編)
「慎吾、突然だが、俺たちにもうひとり兄弟ができた」
突然、貴奨は弟の慎吾に向かってそんなことを言い出した。
夏風邪でも引いたのかと、慎吾は貴奨の額に手を当てる。
「熱はないみたいだけど…。疲れてるんじゃないの?」
「信じられないのも無理はないが、どうやら本当らしい」
そういって貴奨が開けた扉のその先には健が立っていた。
「う、そぉ〜〜〜……」
「よぉ、シン。なんかわかんねぇけど、そういうことらしいんだわ。今日からここで一緒に暮らすことになったからま、よろしくな」
呆然としている慎吾をおいて、貴奨は健を部屋へと案内する。
「この部屋を使ってくれ」
「別に1つ部屋貰わなくてもシンと一緒でいーんですけどね」
受け答えにいちいち挑戦的な雰囲気を滲ませる。
「向井君」
「俺、貴奨さんの弟になったんですけど?」
弟に向かって『向井君』はないだろう、と健は唇の端をくっと上げて貴奨に笑いかけた。
「……では、君も俺のことを『お兄さん』とでも呼ぶか? 俺は一向に構わんが」
呼べるものなら呼んでみろ、と言わんばかりに貴奨は健に向かってフフンと鼻で笑った。
その笑みにカチンと来たのか、健は貴奨に向かってわざと言った。
「可愛い弟のシンと同じ部屋でいーですよ、オニーチャン」
「……そういう訳にはいかない。世帯主の俺に従ってもらおうか。部屋はここだ。一つ屋根の下で妙な気を起こさないように。いいな、健」
と最後に名前を呼ばれると、なにやら妙な感覚が二人の間に生まれた。
無言のままお互いの顔をまじまじと見つめる。
感じていたのは同じことだったのだろう。
なにか、収まりが悪い。
「あの、提案なんっすけどね?」
「なんだ」
「呼び名は今まで通りってことにしません? なんか妙な感じが…」
「珍しく意見があうな。では向井君、荷物は先に部屋の中に放り込んでおいた。手伝うようなことがあれば言ってくれ」
それだけを言うと、貴奨は自室へと入っていった。
「あ、あの、健さん…」
なんとか我を取り戻した慎吾が健に近づく。
「んー? なんだ??」
「なんだはこっちのセリフだよ。どーなってるの、一体」
健は事のいきさつを慎吾に向かって話した。
芹沢父が過去に1度だけ関係を持った女性というのがどうやら健の母親だったらしい(あくまで『らしい』。未確認情報である)
「………マジ??」
「さぁ? 俺りゃ、おまえのとーちゃんには会ってないからな。でも代理人ってやつが来て、戸籍の写しを置いてったぜ」
と健は慎吾の目の前でひらひらと振ってみせた。
「ほんとだ……。養子になってる……」
「大手をふっておまえと一緒に住めるっていうこの状況を俺様が見のがすはずなかろ?」
と健は慎吾の髪に手を伸ばし、くしゃくしゃと髪をかきまぜる。
「…俺だって健さんと一緒に住めるのはとっても嬉しいけど…なんか複雑なんだよなぁ……」
「なにが複雑だって?」
「えっ? ううん、なんでもっ。あ、俺、お茶入れてきますっ」
あまり深く追求されるまえに慎吾はキッチンへと逃げた。
ヤカンに水を入れ、火にかける。
「…マジで兄弟なのかなぁ……?」
ヤカンを見つめながら独り言が口から出る。
「確認してないからわからん」
「うわっっ!!」
いつの間にか部屋から出て来た貴奨が入口に立っていた。
「俺にも入れてくれ」
「あ、うん…。貴奨、確認してないって…??」
「親父に確認がとれていないからわからんと言ってるんだ。療養先に電話してみたんだが、どうやら移動したらしい。その移動先がわからなくなっている」
「それ…って、行方不明ってことっ?!」
「まぁ子供じゃないんだから、おっつけ連絡も来るだろうが…」
「だれが行方不明だって?」
紅茶の香りに誘われたのか、健が貴奨の背後から顔を見せる。
気配を殺して近づくのは相変わらずだ。
元祖芹沢兄弟を見比べるようにして健は立っていた。
「お養父さんが療養先を連絡もなしに変わっちゃったんだって。だから健さんのことも確認がとれないって」
「俺はどっちでもいーんだけど? 兄弟だろうがなかろうが」
そう笑って健は慎吾の持っていたトレイを取り上げるとさっさと貴奨の待つリビングへと足を向けた。
貴奨と健が向い同士、その間に慎吾が座っている。
なんとも奇妙な雰囲気だ。
兄弟ではなかった頃のほうがもう少し気が楽だったように思う。
(お姑さんとお嫁さんがケンカしてる時のだんなさんの気持ちってこんなのかなぁ…)
お茶を飲みながら慎吾はそんな突拍子もないことを考えていた。
何を話していいのか、わからないまま時間だけが過ぎて行く。
二人の様子を窺うように慎吾はちらちらと貴奨と健の顔を見てしまう。
「えっ……とぉ…。夕食の用意しよっかな〜。健さん、何か食べたいものある?」
「いンや」
「…貴奨は?」
「なんでもいい」
「あ、そ。……じゃあ、俺の好きなものにするよ!」
歩み寄ろうとしていないのか、このままの状態が心地いいと思っているのかは知らないがお互いに言葉をかけようともしない二人に半ばキレて慎吾は叫んだ。
「な〜に怒ってンだ?」
「慎吾? どうした」
ずんずんと電話の前に歩いて行く慎吾の後ろから貴奨と健の声が追いかけてくる。
その声を無視して、ピザの宅配のメニューをひっつかむ。
(まったく、胃の痛い思いしてるのは俺だけって、なんかずるいっっ!!!)
そう思いつつ、手当り次第にビザを頼む慎吾であった。
八つ当たり的に頼んだピザは大量に余ってしまい、皿に移し替えてラップをかけ、冷蔵庫にしまう。
貴奨は風呂に入っており、健は荷物の整理がまだだからと早々に部屋に入った。
リビングにいるのは慎吾だけだが、早く部屋で考えをまとめたかった。
大切な人が兄弟になったということは果たして自分にとっていいことなのか悪いことなのか。
自室に引き上げる前に、健に一言声をかける。
「健さん、俺、もう部屋いくからね」
部屋の中から、んー と声がする。整理に没頭しているようだ。
その声を聞いて、慎吾は部屋へと入った。
「なんでこんなことになったんだろう…?」
血の繋がりがそれほど大事なものだとは思わない。
事実、慎吾と貴奨とは血の繋がりはない。
ないが、確実に繋がりはできているし、その繋がりは慎吾にとって大切なものの一つになっている。
健とは家族になりたかったんだし、ある意味、これはいいことなのかもしれない。
だが、健が兄弟としての付き合いだけで満足するとは思えない。
兄弟になったとは言え、健とは血の繋がりはないのだからこれまで通りでもいいといえばいいのだが、そうなると貴奨がなにを言い出すかわからない。
「まさか、俺も…なんて言い出さないよな? ……ないないっ、貴奨には高槻さんがいるんだしっっ!!!!」
最近、過保護度がグレードアップしている貴奨を思い浮かべて、痛む頭を慎吾は抑えた。
「あーっもう、明日、明日ゆっくり考えようっ!!」
考える事を放棄して、慎吾は布団の中へと潜り込んだ。