2人だけの休日 4
鷲尾のベッドの中で、絹一は一人怒っていた。
しばらくは部屋から出ていくものかと思いながら、頭からかぶったタオルケットをギュッと握り締める。
もう何時間前のことかもわからなかったが、メシだぞ、と頭上で聞こえた鷲尾の声も無視してしまった。
なんで自分がこんなに怒っているのかちゃんとわかっている男は、返事のないことに苦笑しながらそれ以上はなにも言わずに部屋を出て行ってしまった。
あっさりとしたその態度に、ますますムカついてくる。
ムカつきながらも絹一の顔は耳から首筋までが熱を感じてしまうほど赤く染まっていた。
(………馬鹿っ)
決して本人に言えない自分が恨めしい。ちなみに本人とは鷲尾のことである。なぜかは眠る前の朝方、彼にされた恥ずかしいことに対してだった。
自分から挑発してしまった鷲尾に、さんざん意地悪をされたのだ。
少しずつ強くなっていく朝の光がほんの少し開けられたブラインドから差し込んでくる中、自分だけが何度も高みに追い上げられた。
あの大きな手と…優しい唇で。
『男なら、一度始めたことには最後まで責任持てよ?』
これ以上ない甘い声で、耳元に囁いたくせに。
明るいベッドの上で抱かれたことは何度かあったが、あんなことは初めてだった。
腰骨から脊髄を伝って脳天に響いてくるような快感に、とりあえず声だけは聞かせたくなくて、何度も流されそうになりながら必死で声を噛み締めていた。
はっきりと明るい室内で、2人で溺れていくならまだしも、自分だけが乱れる様を意地悪くじっと見つめられたのだ。
わざと焦らしながら少しずつ追い上げられて、いやらしい自分の顔も、時折漏れてしまった恥ずかしい声も、なにもかも。
また見られている、ということが自分を敏感にし、それによってさらに感じてしまい…そんな自分にまた煽られて。
もう何度目かもわからない、真っ白になった最後の瞬間、なにもかも頭から飛んでしまった自分は無意識のうちに脚を開いて、鷲尾の身体をそこに誘い込んでいた。引き締まった彼の腰を内股ですりあげながら、荒い息をつく自分の唇をなぞってきた指に舌を絡ませてしまっていた。
あの時、自分は欲しい…とそう思っていた。
そんな自分を、鷲尾はずっと前から知っていたのだろうか。
ねだってくる絹一に、口元に微笑みを浮かべながら鷲尾は形の良い鼻先に唇を押し付けると、自分にしがみついていた彼の腕をそっとはずさせ、身体を起こしてしまった。
熱に溶けてトロンとしていた絹一の目を見つめながらしばらくの間、ベットの端に座り、彼の髪をゆったりと梳いていたが、正気に戻り始めた絹一を認めると、優しい言葉を残して部屋を出ていってしまった。
もう少し眠れ…と。
あまりといえばあまりのしうちに、しばらくして自分がなにをされたのかやっと理解した絹一は、カッとなって思わず枕をドアに投げつけてしまった。
そんなことをしても鷲尾が相手にしてくるわけないのを自分は知っている。
知っているからわざとこんなこともしてしまう。…我ながら子供じみているとは思うが。
自分だけが感じてしまったことも。恥ずかしい思いをさせられたことも。もしかしたら…抱いてくれなかったことも。
それらに対する怒りと羞恥心でカッカしているうちに、いつのまにか眠ってしまっていた。
それは絹一には無理もないことだった。
なにしろこの一月というもの、睡眠時間は平均3時間という短さで、とりあえず日中は気力でもっていたのだ。
だから思わずぐっすり眠ってしまって、目覚めたら夕方の5時だった。
ベットの中で悶々としているうちに、今現在時計の針はもうすぐ6時をさそうとしていたが。
そこまで思い出したところで、絹一は唐突に気がついた。
今日はまったく仕事に手をつけなかった。当たり前だ。朝からずっとベットの中なのだから。
子供のように怒って、部屋にこもっていた。口もききたくなかったから。
(部屋にこもって…?)
自分の心をはんすうして、また気付く。
リビングでなければ仕事は出来ない。ここにいるかぎり、自分は眠ってしまうしかない。
きっと…鷲尾は気付いていただろう。ここのところのハードスケジュールで疲れきっていた自分に。
昨日は持ち帰ってきていた英訳の打ち込みをほぼ終えたあと、すぐ眠るつもりはなかったのに、やはり自分は鷲尾のそばだと自然に肩から力が抜けてしまうのか、いつのまにか眠ってしまっていた。
もしも。
もしもそんな自分をベットに入れておくためだったとしたら。
わざと怒らせて、嫌でも眠ってしまうように寝室に閉じ込めておくためだったとしたら? 部屋を出るとき、彼は自分に優しくこう言ったではないか。
もう少し眠れ…と。
今更思い出して、絹一は思わずベットの上に飛び起きた。
リビングに通じるドアをじっと見つめる。
自分の心臓の音がうるさいぐらい耳元で鳴っていた。
血液の流れる音まで聞こえてくるような気がする。
(…どうして…)
いつもいつもそうなのだ。なにも言わないまま、鷲尾は自分をこんなふうにくるんでしまうから。
気が付かないうちに。気付かせないように…せつなさに胸をわしずかまれて苦しくなる。
与えられるだけの関係は苦痛だったはずなのに。
自分も同じくらい、鷲尾に返したいと思っているはずなのに。
きっと自分が気付かないでいる鷲尾の優しさは数え切れないほどで。
どこまでも自分を甘やかす大人の男にそれでも自分はつかまってしまっている。
それは、ただやみくもに差し伸べられる手ではなかった。
でも、自分が本当に欲しいと思ったとき、当たり前のように彼は隣にいてくれるのだ。
前を見つめようとしている自分の目の前ではなく、さりげなく隣に…いままで自分から束縛を求めた人間たちとはあきらかに違う鷲尾に。
生まれて初めて感じる独占欲にも似た自分の気持ちに戸惑ってしまう。
戸惑いながらも、自分はこう思っているのだ。
自分からは決してこの人の手を離さない…と。
(鷲尾さん…)
せっかく2人きりの休日なのに。
あいかわらず無茶をしてしまう自分に、鷲尾は付き合ってくれているのに。
無視してしまってから、自分は彼の声さえ聞いていなかった。
そう思ったらなんだかもう、たまらなくなって。
勢いよくベットから飛び降りると、ドアまで走りよった。
ぎゅっとノブをにぎって、そっとまわす。
少しだけ開けたドアに身体を滑らせるようにしてリビングに出ると、後ろでにそっと閉めた。
しんとしたリビングにドキドキしながら鷲尾の姿を探すと。
彼はソファで眠っていた。
祖はの背に身体を預け、組んだ長い脚の上に読みかけの自分の本を伏せたまま、静かに寝息をたてていた。
「……鷲尾さん…」
裸足のままそっと近ずいて、絹一は鷲尾の隣に座り込んだ。
男らしい造形に、ほんの少し少年のような面影が漂っている。
目を閉じているからだろうか。そういえば、自分が彼の寝顔を見るのはそんなに多くないことにいまさら気付く。
「…本当に…寝ちゃったんですか?」
鷲尾に伝えたかったのに。伝えてから…謝りたかったのに。
そんなこともさせてくれない。この男は…それならせめて彼のぬくもりを感じたいから。
絹一は鷲尾を起こさないようにもう少し近つくと、彼の肩にそっと頭を凭れさせた。
目を閉じて、鷲尾の存在を自分の中に刻み込む。
持たれている広い肩がかすかに動いたように感じて。
もしかしたら…とおもいながら肩口に顔を埋めて、鷲尾の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
すると、ほどなくして大きな掌が絹一の髪を優しく撫でてきた。
(…やっぱり起きてた)
自分のカンが当たったことに、ほんの少し嬉しさを感じながら、頭をそのまま摩り付けた。
珍しく素直に甘えてくる絹一に、少し眉を上げた男は声には出さずに小さく笑って目を開けた。
「…眠れたか?」
「はい…」
きっとそんなことは聞かなくてもわかっているのだろう。
だって自分がドアに投げつけたはずの枕は、目覚めたとき、ちゃんと自分の頭の下にあったのだから…
「…鷲尾さん」
「ん?」
名前を呼んではみたけれど、今はなにも言わなくていいのかもしれない。自分はきっと上手く言葉にはできないから。
「絹一」
「はい?」
今度は逆に呼びかけられて、絹一が鷲尾を見上げる。
けれど鷲尾と視線が会う前に、その瞳はすぐ閉じられた。
少し強引に唇が重なってきて、性急に求められた。
顔を傾けて深く舌を絡めとられて、頭の後ろに甘い感覚が広がる。
少し煙草の味のする交わりになぜだかせつなくなって、自分からも求めたとき。
ゆっくりと鷲尾の唇が離れていった。
少し動けばまだ触れ合える距離で、じっと見詰め合う。
覗きこむように見つめた鷲尾の瞳は穏やかなのに、その奥にかすかに熱いもの感じて、自分の体温は少しずつあがってしまっていた。
意識していたわけではなかったのに。
思わず、抱いて…と口走ってしまいそうになってしまったとき。
それまでのムードを一気に壊す音がした。
朝からなにも入れていなかった絹一の腹が空腹に耐え兼ねて鳴ってしまったのだ。
赤くなってしまった絹一に、今日はそんなお前の顔ばかり見るなと思いながら鷲尾は小さく吹き出してしまった。
笑いながら、絹一に優しくこう聞いた。
夕食の前にミルクティーでもいれてやろうか? と。