2人だけの休日 2
少し早めの夕食を済ませたあと、仕事をきりのいいところまでやってしまいたいと申し出た絹一に、鷲尾は以外にもすんなりOKの返事をした。
まだ7時を回ったばかりなのだし、基本的に許可など必要ないとは思うのだが、なにぶん迷惑をかけている身だ。
出来る事なら、鷲尾の機嫌を損ねたくない。
それに、こうやって2人で過ごすのは1ヶ月ぶりなのだし。
こんな形は不本意だったが、鷲尾の傍にいれるのは…嬉しいのだ。
「ずいぶんとハードな仕事だな。もう一月以上…か?」
「ええ。ギルが社長に就任して初めての大きなプロジェクトなんです。」
「ああ、なるほど。じゃあ、力も入るってわけだ」
ノートパソコンのキーボードを叩く絹一の指先の動きはとても軽やかだ。パソコンの左に置かれた文章の英訳を直接打ち込んでいるのだ。
いつもながら鮮やかなその仕事ぶりに内心、感心しながら、鷲尾は絨毯に置かれたクッションの上に座り込んでいる絹一の隣に腰をおろした。
邪魔をする気はないと無言で意思表示するかのように、後ろのソファに寄りかかりながら、手にしたロックグラスの中のジンを舐める。
仕事に没頭している時に、そんなことぐらいで気を散らすような絹一ではなかったが。
なにを思ったか、彼はキーボードを打つ手を止め、隣の鷲尾をクルリと振りかえった。
そのまま、黒い切れ長の瞳が鷲尾をじっと見つめる。
ごく最近の事だ。こんなふうに絹一が自分の事を見るようになったのは。
以前はほんの少し遠慮がちだったり、負けたようにそらしてしまったり。
いつも気後れしているようだった視線が、いつの頃からか少し強いものになった。鷲尾の自分に対する感情を逃すまいとでもするような。
それは、視線だけでなく絹一の鷲尾に対する態度にもいえる事だった。
例えば…こんなふうに…
「鷲尾さん」
「ん?」
呼んだきり、絹一の目はまたじっと鷲尾を見つめてくる。
見つめたまま、絹一の手は鷲尾の手からグラスを取り上げると、パソコンの置いてあるリビングテーブルの上にそっとそれを置いた。
グラスの代わりに自分の手で鷲尾の手を握ると、絹一は自分の口元にそのまま引き寄せた。
目を閉じて、その大きく厚い掌に唇を押し付ける。
なかなか気持ちを言葉にして相手に伝えることのできない絹一に、鷲尾はこんなとき、いつも彼の好きにさせてやっていた。
口よりも雄弁な絹一の瞳を見ていれば、なにを言いたいのか、なにを欲しているのか、なんとなく自分はわかるつもりでいる。
けれど、彼がこんなふうに自分から気持ちをさらけ出してこようとするその姿が、鷲尾には愛しく思えて…それだけではない。
そんな彼に出会うたび、幼少の頃に傷ついた絹一の本当の心に少しでも近付けたような気になるのだ。
「…俺のせいで…仕事休ませてしまったんですか?」
「たまにはいいさ。こんなのも」
「でも…」
何度も優しく自分の掌に触れてくる絹一の唇を、鷲尾はその手でそっと押さえた。
自分の目を見つめてくる絹一に静かに微笑みながら、鷲尾の手が彼の長い髪に移り、優しく撫でる。
「ちょうど取ろうと思っていたんだ。少し長めの休暇をな」
去年も2ヶ月休んだことがあっただろう?と言葉の裏に忍ばせて、また勉強相手になってくれと言葉の最後にさりげなくつけたす。
自分の負い目をいつのまにか摩り替えてしまう鷲尾の話術に、ひっかかってしまうのはいつもの事だけれど。
こんな時、強く思い知らされることがある。
昨日よりも、今日のほうが彼を好きになっている。
そして今日よりも、明日もっと彼に惹かれているだろう自分に…こんな自分の気持ちに、はたして目の前の男は気付いているのだろうか。
なんとなく、聞いてみたいけれど。
それを口にする勇気が、自分にはまだない。
「だからさっさと仕事終わらせちまえよ。」
「…はい」
そんな絹一の心の揺れをなんとなく感じ取りながらも鷲尾は決して表には出さない。
微笑みというポーカーフェイスで絹一の視線をかわしながら、大きな手で彼の頭を優しくポン、と叩いた鷲尾は、テーブルのグラスに手を伸ばした。