東京テイクアウト 7−1
ファーストフード「Falke-3」。
体格がよくて、ちっよっと見、怖そうなのに、なんとなく、優しい感じのお客が秋の新製品を抱えて帰ったあとは、いつもの常連さんが残っているだけだった。
彼らも、新製品について色々と桜庭さんに聞いているところだった。
なんとなく、甘やかな香りがするなぁ、と顔を上げたところに人の姿を見つけて悠は一瞬驚いてしまった。何時の間に入ってきたのか、目の前にはスラリとした、青年が微笑んで悠を見ていた。
自分自身ではたいして気にしたことはないが“美少年”などと呼ばれる悠だったが、まさに「美形」と呼ぶにふさわしいのはこういう人のことだと、悠はその青年を見て思った。
その服装も何やら凝っていて、まるで“お伽の国からこんにちは”といった風情の青年はゆったりとした様子で立っていて、甘い香りは彼から漂って来ていているのがわかった。
しばらくしてそれは“くちなし”の香りだと気がついた。
日本人ではないのはわかるが、ではどこの人種かというと、見当もつかない。
何と言葉をかければいいか? と悠が悩んでいると
「こんばんは」
穏やかな声は聞き取りやすい日本語を話して、悠はほっと息を付いた。
「いらっしゃいませ、何になさいますか?」
悠はにっこり営業スマイルを浮かべて言った。
「君、普通の人間にしては美形だねぇ、やっぱり、『遠見鏡』越しじゃなくて、生はいいなぁ」
「はぁ?」
悠は意味がわからず首をかしげてしまった。
「なんでもないよ。『アシュレイ火鍋』というものがあると聞いてきたんだけど。ある?」
青年は微笑んでからそう言った。
「申し訳ありません『アシュレイ火鍋』は冬期限定ものなのです。後2週間しないと出ないのですが」
今日は、つくづく、無い物を聞かれるなと思いながら、悠は説明していた。
「2週間といえば14日だね。惜しかったな」
「改めておいでいただけますか?」
「そうだねぇ。しかし、14日じゃ、半端だな。こちらの100日が向こうの1日だから、一旦帰って又出なおししてもまた、すれ違ってしまうし…」
と考えている様子の独り言が小さく聞こえてきたが、内容は悠にはチンプンカンプンだった。
「じゃ。忘れてしまいそうだから、連絡くれないかなぁ」
青年はにこやかな笑顔で言うと携帯電話を取り出した。
「電話でいいです。それじゃないと通じないんですよ。私のところは」
「はい。では番号を教えていただけますか?」
「090のアーちゃんラブラブ、ティアランディア。はい、この番号」
にっこり笑顔で渡された紙を見て、どうしてこの番号がさっきの呪文みたいな言葉とつながるのかは理解できなかったが、深いことは考えずに悠はそのメモを大事にしまった。
じゃぁと帰ろうとしたところに慌てたような桜庭の声がかかった。
「すみません、お客様!」
その声に振り返った姿は優雅というか、まさに“見返り美人風”。
「なんですか?」
「あの、突然で、失礼な申し出だと思うのですが、ぜひあなたの写真を撮らせていただきたいんですが? 俺は美大で写真の勉強をしているんです。お願いします。あなたみたいな綺麗な人は初めて見ました。ぜひお願いします」
美形大好きの桜庭が先ほどから悠とお客のやり取りを見ていたが、ついに我慢できずに声を掛けて来たといったところだった。
悠は、また桜庭さんの病気が始まった…と額を押さえて俯いてしまったが、桜庭が焦ってしまうほどに、今日のお客様が美しいというのは悠も同感なので、桜庭が必死になるのが今回は正直納得でしたしまっていた悠だった。
「写真ですか?」
そう言って、お客様はまた少し首をかしげて考えている様子だった。
「それって、カメラに魂が抜かれるのではないですか?」
「はぁ?」
桜庭は一瞬呆気に取られた声をだしたが、慌てて否定していた。
「それは大昔の迷信です。大丈夫です。凄く綺麗にとれますよ。俺、人物は得意なんです。恋人の部屋に飾ってもらえるように素敵に撮りますよ」
“恋人”という単語にお客様は敏感に反応したようだった。自分から桜庭の方に向かうと彼の顔をじっと見つめて
「それは、本当ですか?」
「大丈夫です、なにしろご本人様が修正も要らないほどの美形ですから。なんでしたら、何枚か撮って気に入ったものを大きく伸ばしてパネル仕立てにするのもいいですね」
桜庭が調子に乗ってそう言うとお客様はしばし天を仰いでいたが、ニッコリと微笑した。
「いいですね、それでは、お鍋を食べに来る時に、お願いします。絶対に大判のパネルがいいですね。それでは楽しみにしています」
青年はゆるやかに言って静かに店を出ていった。
扉が閉まったと同時くらいに桜庭が歓声を上げた。
「やったーーーーーー!! 大成功! それもあんな超絶美形!! 俺はシアワセだ!!」
悠は内心では拍手していたけでど、まだいる常連さんの都合もあってあまり、騒いで、お祝いの言葉は掛けられなかった。
「良かったですね」
がせいぜいのところだった。
しかし、今までの様子をずっと見ていた常連のモデルのような少年と保護者青年の様子は明かに変化していた。
「何、今の? 綺麗な人を写真に撮りたいって気持ちわかるけど、俺、ず〜〜〜〜っとここに通ってるけど、誘われたこと無いよ、何? 失礼じゃない?」
お元気少年がご機嫌斜めに尖った声を出してしまっていた。
今、喜びで心は天井を付きぬけて彼方まで飛んでいってしまっているような桜庭を放って、悠は慌てていたが、表面には出さずフオローに入った。
「あの、お気に障るかもしれませんが、好みは個人で色々ありますから、彼の好きなパターンは今のお客さまだったというだけで…」
「それは、全く同感だな、人の好みは十人十色って言うだろ?」
すかさずフオローに加わったナイト青年はよく分かっているようで、悠は内心ホットしていた。
「でもさぁ。俺だってモデルの端くれなんだよね、ちよっと悔しいじゃん。まぁ今の人がめちゃ綺麗だったのは認めるけどさぁ。外人さんみたいだったし。でも、一回も俺に声掛けないって、随分ジャン? 君はどうなの?」
悠は突然矛先を自分の向けられ一瞬焦ってしまった。なんども写真撮らせてくてってせがまれて大変だった、なんて口が裂けても今は言えない。
そして今の少年の言葉で、やっぱりモデルだったのか…と悠は納得していた。だったら、やっぱり、本当のことは言えない。
「いえ、僕は、ただのバイトですし、仕事仲間ですから…」
と、答えになっていない返答をしていた。
「ふ〜〜〜ん。さっきの人、くちなしの香水つけてたのかな? 分かったでしょう?」
「ああ、あれ。くちなしか」
ナイト青年は少年のご機嫌がこれ以上斜めにならないように、相づちを打っているようだった。
「ほんのり、だったけどすぐ分かったよ。実際のくちなしの花って結構匂いが強いじゃない? 随分遠くからでも、あ、くちなしの花が咲いてるって分かるもんね。 あれってさぁ。ギリシャ神話のゼウスがいつも浮気するじゃん。で奥さんのヘラは凄い、嫉妬深いでしょう。ある日、噂好きでおしゃべりな子が、ゼウスの浮気の話を話題にして、それがヘラの耳に入って、ゼウスはこっぴどく、怒られたんだよね。恐妻家だよね、あそこ。で、逆恨みした、ゼウスが、お喋り好きな子にもう二度とおしゃべりが出来ないようにお花に変えてしまったって。それでもヘラは可哀想に思って、香りだけは強くして、人を惹きつけ、一人で寂しい思いをしないようにしたって話だよね」
お元気モデル少年の話を関心して聞いていた悠だったが、はじめて聞いた話なので、思わず首をかしげてしまった。
「へぇ、お前でもギリシャ神話なんて知ってるんだ。しかし今の話は俺も知らなかったな」
「えへ〜〜。でしょう? 俺の創作。でもそれっぽいでしょう。くちなしの香りって、甘く優しいけど、結構自己顕示欲強そうで、しかも寂しがり屋って感じだもんね」
ちょっと、意趣返しのつもりなのか、顎をそらせてそう言った言葉にナイト青年はがっくりと方を落とし、悠も同様な気分だった。しかし、いかにも有りそうな、ギリシャ神話だな、とも思って、その的確さに感心してしまっていた。
お気楽少年だと今まで思っていたけれど、なかなか鋭いしセンスもいいと悠は認識をあらたにした。