BETWEEN THE SHEETS 3
思わず溜息をついて彼を見送りながら、絹一は鷲尾に向き直った。
「鷲尾さんって…すごいですね…」
「そうか? 俺はお前のほうがすごいと思うぜ? ここの2人にいきなり気に入られるなんて…な」
めったに無いことだ、と鷲尾はどこか誇らしげだ。
喜んでいいのか悪いのか、いまいち判断のつきかねている絹一に鷲尾はやわらかく苦笑した。
絹一を優しい目で見つめながら、とうに目の前に置かれてあったグラスを軽く持ち上げる。
一樹と卓也に微笑みで礼をした鷲尾と同じように絹一も2人に微笑むと、色鮮やかなブル−で満たされたロックグラスをそっと手に持って鷲尾のダイキリに触れ合わせない乾杯をした。
添えられたストロ−に口をつけてそっと含む。
なんとも甘い…魅惑的なのど越し。
目の醒めるようなその色はまるで…青いシルクシャツの一樹のようだ。
その色にうっかり魅入ってしまったら最後。深い海の底に辿りつくまで捕らえて離さない…そんな錯覚に囚われながら、絹一はゆっくりと舌で堪能した。
明るく華やかな雰囲気、おいしいお酒。そして、鷲尾のやさしい声…夢のように流れる時間がこのまま続いてくれたら…と絹一が思ったとき。
それは唐突に破られた。
「なあ…聞いてんの? そこの、か〜のじょ!」
酒臭い息を吐きながら、見知らぬ若い男が絹一に話しかけてきたのだ。
いったい、何杯飲んだのか。相当酔っているらしい。
よく見ればわかるのに、絹一を女と間違えていることからそれがわかる。
とっさに振り払おうとして絹一ははっとした。
ここに来ている客の大半は、きっと酒の嗜み方を心得ている大人に違いない。
せっかくの雰囲気を自分のせいで壊してしまいたくない。
そう考えて無視を決め込むことにした絹一がおとなしいのをいいことに、男はますますしつこく絡んでくる。
その様子な鷲尾が無言で立ちあがり、卓也がカウンタ−から出ようとしたとき。
相変わらず滑らかな足取りで、一樹が近付いてくるところだった。
卓也の身体をやんわりと、だが有無を言わせぬしぐさでカウンタ−のほうにそっと押し返す。
それと同時に酔っ払った客ににっこり微笑むと、絶妙のタイミングで酒のオ−ダ−を卓也に出した。
「初めてのお客さまですね? …来ていただけて光栄だな。お礼に俺から一杯プレゼントさせて…ね?」
溜息のような声でそう囁くと、男にむかって艶然と微笑んだのだ。
この店に来る客は、もちろんお洒落で洗練された店の雰囲気と美味い酒も気に入っているが、実は大半が一樹と卓也が目当てだった。
それを十分理解している一樹が、自分に見つめられて真っ赤になったまま動けずにいる酔っ払いを注文の酒が出来あがるまでの間、見事に視線だけ絡めとっていた。
「ニコラシカです」
そう言って卓也がカウンタ−に滑らせたリキュ−ルグラスを見たとたん。
酔っ払いは、今度は別の意味で固まってしまっていた。
たっぷり数秒間、それを見つめている。
「…特別のお客さまにしかお出ししないものなんですよ?」
そう言って一樹はカウンタ−に頬杖をつくと、固まっている客の耳元までその艶やかな唇を突き出し、今にも触れそうな位置から息を吹きかけた。
そのとたん、男の喉がゴクリ、と嚥下した。
そこまでされて、一樹の申し出を断る無粋な客はここにはいない。
「…いただきます」
もうすっかり酔いの冷めたような顔で、おそるおそるグラスを手に取る客を、絡まれた当の絹一はあっけにとられたような顔で見ていた。
それは誰もが思わずうなってしまうようなプレゼントであった。
ブランデ−が注がれたリキュ−ルグラスの上に蓋をするようにレモンスライスが乗せられ、その上にさらにシュガ−パウダ−が乗せられているのである。
その様子を無言で見ていた鷲尾が、やはり無言で絹一を引き寄せた。そのまま自分の背に隠すように今までとは反対の椅子なす座らせる。
それを待っていたように、今やすっかり一樹の虜になってしまった男はレモンとシュガ−の乗ったままのグラスを半分まで咥えこみ、そのまま一気に流し込んだ。
同時に一樹の身体がカウンタ−から離れる。
「グ…ッ・げぇッッ!! ゲホッッ!!!」
その途端むせかえった男は、目を白黒させながら、派手に咳き込んだ。
身体を丸めて苦しそうにしているその姿に、あちこちから冷笑や失笑が浴びせられる。
こうなったら居たたまれないどころの期分ではない。
一樹にいいようにあしらわれた怒りも絹一を女と間違えてしまったバツの悪さも、この羞恥心の前にあっては吹っ飛んでしまう。
すでに他人と決め込んでいた男の連れの数人と、転ぶように店の外に出ようとしたはた迷惑な男の背中に、一樹の留めの一言が突き刺さった。
「お客さま。飲み逃げは犯罪ですよ?」
そう言って、にっこり微笑んだのでのである。
その時すでにカウンタ−から出て追いかけていた卓也に一万円札を数枚わし掴んで渡すと、ほうほうの態で逃げていった。
覚えてろよ! といつの時代も月並みな捨てゼリフ残して。
その瞬間、店内のあちこちで賞賛の声があがった。
「きゃ―――――ッ!! 一樹ったら、やるっう!」
「いつもながら、見事なお手並みねぇ…」
興奮混じりのその声に、一樹は困ったような謎めいた表情で曖昧に微笑む。すると彼女達の口からすっかり骨抜きにされてしまったような溜息が次々に漏れた。
自分の魅力を自由自在に操る男。一樹・フレモント
「さて…と」
今の微笑みで落してしまった男と女の数などまるで気にしていない男は、苦笑している鷲尾に軽くウインクして控え室の中に消えていった。