リトル・マジック(続・秘密)
ちょうど月が消え、太陽が昇る瞬間の空を絹一は見ていた。
宝石のような星をちりばめたまま、空が薄紫色になり、地上からの太陽のオレンジに混ざっていく。
星はまだ、そこに残ったままだった。
夏の夜が明けるその一瞬に、絹一は魅了されていた。
「すごい・・・」
まるで感性に突き動かされるままに、あざやかな手つきでキャンバスを次から次へと塗り替えていく画家のようだ。
モネ、ルノワ-ル、ゴッホ、ユトリロ・・・・。
以前手掛けた画集の天才達を思い出す。
それまで特別、芸術に興味がある訳ではなかったが、それでも不思議と心に染み込んでいったのを憶えている。
(ちょっと寒いかな・・・)
目が覚めてすぐつけたク−ラ−の風が寝室をひんやりとおおっている。
明かりがもれてベッドに届かないよう、遮光カ−テンを少しだけめくりながら空を見ていた絹一は、素肌に纏った大きめのシャツの前を軽く合わせてベッドの方をそっと見た。
いつも目覚める時間にはだいぶ早いからか、鷲尾はまだ眠りの中だ。
穏やかな寝息をたてて眠る彼のそばに、絹一は音をたてないように裸足でそっと近ついた。そのまま隣に滑り込む。
捲れたシ−ツの隙間から仄かに香りがただよう。
そこに昨夜の情熱の名残はもう無い。あるのは潔いまでの涼しさだった。
それを少し寂しく感じながら、絹一はうつ伏せて眠る鷲尾の隆起した肩にそっと唇をつけた。
我を忘れるほどの快楽に、流されまいとしがみついた自分の指の跡がのこっている。
「香…」
「……なんだ…?」
てっきり眠っていると思ったのに。
切れ長の目を薄く開けた男は、少しだけ意地の悪そうな笑みをもらした。
絹一が鷲尾を下の名前で呼ぶことはめったに無い。
いや、昨夜はその切ない声で何度も呼ばれたが。
自分でも自覚しているのか、絹一の目元がうっすらと赤くなった。
「…まだ起きるには早いですよ」
羞恥心をにじませて、拗ねた様子でそう返す。
その様子にますます口元を緩ませながら、鷲尾は絹一の方へ寝返りを打った。
「珍しいな、お前がこんなに早く起きるなんて。眠れなかったか?」
「そんなことありませんよ」
髪をかきあげながら、鷲尾の瞳をじっと見つめる。そこにはまだ、悪戯っぽい光りが宿っている。
ほんの少し不安そうな絹一の表情を楽しみながら、鷲尾は彼の手を引き寄せると指の股を舐め上げた。
「…許してやるんじゃなかったな」
こんなに早く目覚めてしまうのがわかっていたら。
濡れた舌の感触と鷲尾の低い挑発に、絹一の顔は今度こそ真っ赤になった。
最後のほうは、もうほとんど覚えていなかった。
いつのまにか気絶して、そのまま眠りについてしまったのだ。
それでもたぶん、自分は最後の最後で懇願したのだろう。
もう、許して…と。
「…鷲尾さん…」
自分の指を舐める鷲尾の唇が濡れていくのを直視できない。
「…やめて…鷲尾・・さ…」
「カイ、だろ?」
低く笑いながら囁いた声は憎らしいほどの余裕っぷりで。
反論しようとした唇も逃げようとした熱いカラダも。
その一言であっさりと封じ込めた…。
昨夜とは違いとても恥らったカラダを新鮮な気分で堪能した鷲尾は、放心していた絹一の身体を抱き上げると浴室に入った。
バスタブにキュ−ブを落としたっぷり泡をたてると、自分と絹一の髪と身体を交互に洗った。
身体を隅々まで丁寧に洗う指に甘い声をあげてしまった絹一に、鷲尾は小さく苦笑した。
浴室に響く絹一の声を自分の唇で塞ぎながら熱い湯で泡を洗い流すと、鷲尾は彼の身体を新しいバスロ−ブで包んでから、枕に背中をもたれさせた形でベッドに降ろした。
「水持ってきてやるから、まってろ」
もう声も出ない絹一が、無言でうなずく。
鷲尾がとなりのリビングから冷えたミネラルウォ−タ−を持ってくるとおいしそうにそれを飲み尽くした。
「大丈夫か?」
聞いてくる鷲尾の声は穏やかでとても優しい。
こんなふうに聞かれなければならない状態にした元凶を、にらみつける絹一の顔はこれ以上ないほど赤かった。
「もう…責任とってくださいね」
「なんの?」
身体を起こして自分の胸に顔をうずめてきた絹一の髪を鷲尾はそっとなでる。
クスリ、と絹一の小さく笑う声がした。
これだけ自分の身も心も翻弄しておいて、まったくこの男は。
どこまでも自分より聡いくせに。肝腎なことがわかってない。
でも、それを種明かししてしまうのはなんとなくもったいないような気がして。
もう少し、焦らして楽しみたい。ささやかな優越感を感じたい。
されるばかりでは、なんとなく悔しいから。
「恋人同士って、こんな感じかな…」
「…そうだな」
鷲尾の声に、また小さく絹一が笑った。
それが知れるとせっかくのマジックが解けてしまうから。
絹一は鷲尾の首に腕を回すと、恋人に唇をねだるように目を閉じた。