Wish
「忍…」
大勢の学生でごったがえす入寮手続きの日、俺が忍を見間違えるはずない。
あいつが来るのをどれだけ待ったか…。
俺は忍を日本に残してロスの大学に留学した。
あいつが来るまでは幹兄貴の家で世話になってたけど、あいつの留学が決まって、俺と忍は二人、このロスで暮らせることになったんだ。
二人で入寮の手続きをする約束をしていた。
なのに忍は…なんで俺に気づかないんだ!!
「忍、おい、忍!」
「…誰!?」
俺は返す言葉を失った。
いったいどうしたって言うんだ、俺は忍の肩を掴んで激しくゆすった。
「おい、何言ってんだよ、忍。冗談はよせよ、いくら一年ぶりだからって…」
「…やめてよ、痛い。」
おびえた目で俺を見上げる忍。
知り合った頃のこいつ、いつもこんな目してなかったか!?
でも、なんで今さら…
「二葉!」
「一樹、なんで…」
「探したよ。」
「兄貴がここにいるってことは何かあったんだな。俺のいないあいだに何があったんだよ!?」
「二週間前、酔った店の客に絡まれて、忍が階段から落ちた。」
「二週間前…って、何で連絡しねぇんだよ。」
「いなかっただろう。それにおまえに連絡取れるまで待ってられる状態じゃなかった」
兄貴は、そのときのことを話しはじめた。
俺が興奮しないよう静かな口調で…。
「見た目は何ともないように見えたのに、意識不明で…三日目に目を覚ましたときには、全て忘れていたんだよ。だからおまえには余計知らせることができなくて…」
「ちょっ…兄貴、全てって…全てってどういうことだよ!」
俺は愕然とした。
全てって、俺のこともなのか…あんなに愛し合ってたのに色んな思い出の詰まった出会いからの今まで全て…。
冗談じゃねぇ!!
そんなこと信じられっか!
俺の興奮した様子を感じとった兄貴がすかさず声をかけてくる。
「二葉、忍が怖がってる。」
「忍は全て忘れてるって、どこまで忘れてるんだよ?」
「自分が忍だっていうこともだよ。それでわかるね」
自分が誰なのかもわからねぇなんて…
俺より辛いのはおまえなんだな、忍。
「治らねぇのか?」
「わからない。」
「わからないって…」
「何かの拍子に思い出すかもしれないし、このまま…」
兄貴は唇を噛み俯いてしまった。
兄貴がこんな顔するなんて…
「だから二葉、おまえのところに連れてきた。」
「兄貴!?」
「忍にとって、おまえの元が一番いいと判断したから」
「こいつの両親は!?」
「俺達で説得した。」
「俺達?」
「ああ、卓也に桔梗、悠に秋さん、江藤さんそれに浅井君と伊田君だ。」
「浅井や伊田まで…」
「忍のロス行きのパーティーで皆ローパーにいたからね。客に絡まれたのは忍だけじゃなかったんだ…桔梗も…そっちは卓也がなんとかしてくれたんだけど、俺は忍を守れなかった、すまない、二葉…」
「兄貴…兄貴のせいじゃないだろ! 体のでかい伊田だっていたんだ! 俺がいたって同じことになってたかもしれないじゃないか。」
「二葉、ありがとう。」
俺に頭をさげてる兄貴、もしかしたら一番辛い思いをしてるのは兄貴かもしれない。
自分の店で起きた不祥事、かわいがってた忍の事故を未然に防げなかった自分の不甲斐なさ。
「兄貴、大丈夫、俺が忍を元に戻してやるよ。」
「二葉…大学側には事情を説明してあるから。おまえとは同室で手続きも済ませてきた…忍、彼は二葉、俺の弟」
「…一樹…さん?」
忍が兄貴を見上げている。それは怯えた目だった。
「きょうから忍のことは二葉が守ってくれるよ。」
「…ふ・た・ば・!?」
忍の視線が怯えたまま俺に移る。
まるで『ママは出かけるから、いい子にお留守番してるのよ。』って言われた幼子のように…
「忍、ほら…」
兄貴が忍の背を押した。
忍の体がトンと俺の体にぶつかってくる。
一年ぶりの恋人の匂い、何も変わってない忍だ! 間違い無く…
「必ず思い出させてやる。」
「俺はしばらく幹兄貴のとこにいるから、何かあったら連絡してくれる?」
「ああ。」
俺は忍を怖がらせないように話しかけた。
「俺は二葉きょうから同室だ。よろしくな…」
「…二葉。」
忍はコクリと頷いた。
まずは笑顔からだ。こいつの笑顔を取り戻すんだ…次は…
すこしづつ、すこしづつ忍に戻してくんだ。
俺の手で…
そう、俺だけの手で俺の恋人の忍に戻してくんだ。