投稿(妄想)小説の部屋

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No.251 (2001/05/27 00:27) 投稿者:花稀藍生

清緋揺籃(5)

「李々、つけられている」
「誰が? わたしが? 桂花が?」
 足跡を慎重につけ、半日がかりで仕留めた獲物を片手に桂花がうかない顔で言った。
「多分、李々。吾が狩りに出かけた後、この野営地の周囲を足を引きずるようにしてぐるぐる回っている跡が残っていた。変だとおもって前の野営地にも行って見たら、同じような跡が残っていた」
「・・・変ねえ・・・。気配には敏感なつもりだったけど。」
 魔界には定住という言葉は存在しない。ほとんどが野宿だ。そもそも『家』という概念すらない。李々と桂花も、あの洞窟を出て以来、広い魔界の一ヶ所に留まることをせずに頻繁に野営地を移動させていた。最初は、単に住みやすいところを探しての移動が多かったのだが、最近はほぼ一日おきに野営地を移動させている。

 ここのところ、李々や桂花の美貌に目をつけ、良からぬ事をしようと襲ってくる連中が後をたたないのだ。
 ここ最近の桂花の成長ぶりはすさまじい。面差しにまだ幼さは残るものの、大人びた表情をよく見せるようになった切れ長の綺麗な紫色の瞳。出会った当初に感じた可憐な花の印象は影をひそめ、見たこともない大輪の蕾の印象を思わせるようになってきた。 
 身長も李々の肩まで伸びている。すんなりと長く伸びた手足や首は相変わらず華奢だが、狩で鍛えられている敏捷な体はある種の緊張感を伴って煽情的ですらある。
 見慣れている李々ですら時々どきりとさせられるのだから、桂花を始めて見る魔族が良からぬ心を抱いても無理はないとはいえ、襲われればその度に撃退するこちらの身にしてみれば、こうも続くと心も体も休まらないというものだ。
 桂花も剣の腕を上げているが、年齢から来る、力や体格差はどうしょうもなく力で押されて悔しい思いをする事が多い。それをまた李々にフォローされることにかなり負い目を感じているようだ。
 李々はそれを知っているからこそ、ことさらに明るく言い放った。
「・・・ま、大丈夫よ。剣さえあればどんな奴にだって負けない自信はあるしね。」
「頼もしいね」
「ついでに桂花も護ってあげるから安心なさい」
 桂花がいやぁな顔をした。その顔がかわいくて、李々は思わず笑った。とりあえずは、野営地を別の場所に移したほうがいい、ということで二人は早速荷物をまとめる事にした。

 警戒を続けながらの数日は瞬く間に過ぎた。引きずるような足跡の主はよほど鋭敏な嗅覚でも持っているのか、着実に二人の後を追ってきている。迎え撃とうにも気配に敏感な李々ですら相手を認識できないのだ。どうやら標的は自分と思われるだけに、相手を見つけられない李々の苛立ちは日毎に募った。そんな折、桂花が珍しく息を弾ませて帰ってくるなりこう言った。
「李々とはじめて会った洞窟の事覚えてる? 今ちょうどその近くに来てるらしくて、狩をしてるときに見つけた。今のとこ誰も使ってなくて空いてるみたいだけど・・・」
 見上げてくる瞳がいたずらっぽい光を湛えている。
「いいわね」
 李々は桂花の提案にのる事にした。
 この殺伐とした日々に、ちょっと疲れてきたところだ。
 誰も使っていないのなら少しの間休ませてもらってもバチはあたるまい。もし、足跡の主が追ってきたとしても、あの狭い魔風窟の通路内なら一対一で闘う事も可能だ。
「決まりだね。吾が先に荷物を運び込んでおくから李々は後からゆっくり来ていいよ」
 そうしてさっさと荷物を取り上げると、歩き出す。途中一度だけ振り返って目だけで笑った。
「・・・『三つ子の魂百まで』って言うけど、ホント、相変わらず笑うのヘタよね〜。昔みたいにこっちが笑うのを見て逃げ出さなくなっただけ進歩だけど」
 ぼやきながら、李々は微笑んだ。最近の桂花を見ていると、なんとなく嬉しくなる。例えば狩の合間に綺麗な花や石を見つけると、土産として李々にくれる。荷物を運ぶときでも軽いのを李々に持たせ、自分は重いほうを持つ。さっきの洞窟の件にしても、苛立ちにより鬱屈している李々の気をほぐそうと思ってくれての事だ。何気ないことや仕草に気働きが感じられて、李々は育て方を間違っていなかった、と嬉しくなるのだ。
(・・・でも)
 でも時々思うのだ。魔界には魔界の生き方がある。環境も生活習慣も言語も何もかも違う魔界の民。魔界で生まれた桂花に、生き延びるためとはいえ李々は自分の常識と生き方を習わせた。吸収の早い桂花は、それら全てを体得してしまった。最近は教える事がなくて困っているくらいだ。
 魔界『以外』の言語や文字、歴史や事象を教える事は出来る。しかし、それは魔界で生きていくために必要な知識ではない。戯れに教えた知識が、原始的な魔界では通じるはずもなく。
 李々はぞっとした。
 与えられる知識を吸収し更なる知識を得ようとする桂花は、おのれの知識と魔界とのギャップにいつか押しつぶされ、魔界では生きていけなくなるかもしれない。
 それが恐ろしくて李々は桂花に魔界以外の世界の事を教えられずにいる。・・・だがそれももう限界だ。
「・・・・・・・・・」
 李々は空を見上げた。木々の枝の合間から、さまざまな色彩の稲妻が雲の合間で閃いている。遠くに高くそびえる嶺の中程を巨大な岩が地響きを立てながら移動してゆく。魔獣や植物の魔族がざわめきながら逃げ惑うのがよく見えた。
 植物にも鉱物にも命が宿る混沌たる世界。・・・魔界。
 生命の密度の濃さに息切れしそうだ。
「・・・・・・」
 最初に創られた、世界。
 最初に創られた、生命。
 ・・・そして、最初に捨てられた、世界と、生命・・・。
(なぜだろう・・・)
 太古、ここは祝福された地であったのに。
 万物に生命が宿り、美しい人々が暮らす地であったはずなのに。
(なぜ、魔界は廃棄されたのか・・・)
 李々の記憶を探っても、それに関する知識はなかった。

 間近で小枝を踏み折る音が物思いに沈んだ李々を現実に引き戻した。侵入者用のトラップとして李々があちこちに仕掛けておいたものだ。飛び退り、侵入者が驚くほど近くに迫っていた事に李々は愕然とした。
(・・・気配に気づかなかった!?この私が?)
 侵入者は逃げるでもなく隠れるでもなく、また、跳び退った李々を追いかけようともせず、そこに立っていた。黒い肌の男で、全身枯れ枝のように痩せているのに腹が異様なまでに膨らんでいる。左の肩口に刃物で斬ったような傷口があり、青黒い肉が盛り上がっているのが見て取れた。
 男の顔と肩口の傷に李々は見覚えがあった。確か、魔界にきてすぐ、李々を襲った一団の中にいた黒い肌の男だ。
 あの時、確かに肩口を斬った。即死でないにしろ相当の深手を負わせたので、とうの昔に命を落としていると思っていた李々はその事をすっかり忘れていた。
 男が足を引きずるようにして近づいてくる。男の目は白く濁り焦点が合っていなかった。力なくぽかりと半開きになった口は唇が乾ききってめくれあがり、歯列がむき出しになったその奥にからからに干涸らびた舌が見える。足を引きずるように踏み出すたびに、首が大きく左右にゆれた。
「・・・・・・」
 剣の柄に手をかける。首の後ろが、じっとりと汗で濡れているのがわかった。
 気配が分からなくて当然だ。この男はすでに死んでいる。命のないものに気配はない。
「言っても聞こえないかもしれないけど・・・それ以上近づけば、斬る。」
 男は十歩程はなれた所で足をとめた。がくがくと首を揺らしながら、力なく空いた男の口から言葉が流れ出た。
『・・・怖い怖い。殺気の塊のような女だ。知っているか?お前の放つ「気」を恐れて、植物や小さな魔族は逃げ出してしまうのを。・・・お前達をつけるのは簡単だった。魔族の気配が少ない場所にいけばお前達が見つかるのだから』
「・・・・」
 多少くぐもった声だったが男の乾いた舌は動いていないことを李々は見ていた。言葉を発したのが黒い肌の男でないのだとするのなら、この男を操る他人がいるはずだった。だが、気配が感じられない。
『どこを見ている?』
 男の体が大きくふるえた。男の異様にせり出した腹がぐにゃりと動いた。・・・ちがう。男の腹に住む何かが身じろぎしたのだ。
 男の肩口にある傷がみしみしと音を立てて広がるのを李々は見た。その肩口の傷を押し広げるように青黒い肉塊が蠕動している。肩の傷はさらに大きく裂け、青黒い色の傷口を肩から胸へ、胸から腹へと広げつつ、男の半身は生木が裂けるような音を立てながら李々の眼前で二つに裂けた。
 胸の肉が裂けて垂れ下がり、内側の青黒い肉隗が露出した肋骨の間を蛇のようにくぐって肩の上まで伸びあがった。
「・・・・・・!」
 悪夢のような光景だった。李々の脳裏で警鐘が鳴り続けている。にもかかわらず、剣の柄に手をかけたまま李々は凍りついたようにその場を動く事が出来なかった。
 青黒く蠕動する肉隗の表面が泡立ち、男の顔が浮かび上がる。  その顔が魔風窟の前で胸を刺し貫いた男の顔だと思い当たった時、李々の頭の中で鳴り続けていた警鐘が一際高く鳴って記憶の一つをはじき出した。
『憑依』
 己の体の一部を媒体にして相手の体に侵入侵略し、相手を完全に己のものにするか、もしくは共生するという、魔族だけがもつ異形の技。
 ・・・桂花と始めて会った時の、あの森の惨状。
 あの爪あとや、何か大きいものが引きずられたような跡。
 直後に植物の魔族と遭遇したので、失念してしまっていたが、
 あの、のた打ち回り、地に刻まれた爪跡は、憑依されたときの男の断末魔の跡であったのだとすれば・・・
 男の肩の傷口から入り込み、侵略しながら、身を隠すために、森へと這いずってゆく異形の魔族の姿が目に浮かぶようだった。
『・・・この体は腐りかけてもう役に立たない。・・・新しい体を探して探して、ようやく見つけた・・・』
 眼球も歯もない、肉隗だけで形作られた面のようなその口から明確な言葉が放たれた。
「・・・な・・・?」
 言葉の意味を捉えかねてたじろいだ李々のその一瞬の隙を突いて肉隗は黒い男の体から抜け出、ぐうっと撓むなり李々目がけて十歩の距離を跳んだ。
「・・・・・・!」
 ぐにゃりとした青黒い肉隗が眼前で傘のように広がり、咄嗟に上げた李々の右腕に張り付いた。肉隗は生暖かく、蠕動を繰り返しながら明確な意思を持つもののように李々の腕に巻きついた。
 引き剥がそうと肉隗を掴んだ左手が、途端ずぶりとめり込んで剥がれなくなった。
 己が『憑依』の標的にされた事をようやく悟り、李々は己の失態と嫌悪感に鳥肌を立てた。


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