投稿(妄想)小説の部屋

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No.234 (2001/04/15 00:13) 投稿者:花稀藍生

清緋揺籃(4)

 銀光が一閃して、魔獣の鼻面を切り飛ばした。
 横合いから飛び掛ってきた獣の横腹に李々は容赦ない一刀を叩き込んだ。内臓と黒い血が辺り一面にぶちまけられたが、李々にそれを構う余裕はなかった。
「桂花!」
 身を隠す場所とてない平原で、姿だけは狼に似た、体長は李々の倍ほどもある魔獣の群れに襲われた。桂花を背に護りながらの善戦だったが、数の多さはどうしょうもなく、気づいたときには彼女の養い児の姿が消えていた。
「桂花! 返事しなさい!」
 李々の声は魔獣の唸りと牙を鳴らす音にかき消された。
「・・・桂花」
 見渡しても、白い子供の姿はなかった。
 李々は唇をかんだ。
 正面から飛び掛ってきたものを横様に蹴り上げ、仰向けに地に落ちた所を逃さずに李々はその魔獣の喉首に勢いよく足を落とした。
 陥没した喉首をさらし、断末魔の痙攣を繰り返す魔獣を踏み越えて、李々は臆することなく、周囲を取り囲んだ魔獣を睨みつけた。
 自責の念は怒りへと転化し、その矛先は眼前の魔獣へと向けられる。血で滑る柄をきつく握りしめると、嵐のような激しさで李々は群がる牙の中にその身を踊らせた。

 数十頭の獣の半数を斬り殺し、残りの半数が文字通り尻尾を巻いて逃げさってゆくのを横目に見ながら、獣の死骸が折り重なる場所を、李々は歩いた。せめて、髪の一筋でも見つけたかった。
(・・・ごめんね)
 目の前の死骸の山が動いた。
 まだ生きてるのがいたか、と、李々が剣を抜きかけたとき、重なった死骸の腹のあたりから、黒い小さなものが這い出した。
「つぶされるかと思った・・・」
 李々はぽかんと血で真っ黒に汚れた頭をぷるぷると振る子供を見た。
「・・・桂花?」
 子供は李々を見、それから死骸の腹あたりを探り、短剣を取り出した。李々がいつも剣帯につけている短剣だ。
「黙って借りてごめん。・・・3頭しか手伝えなかった」
「・・・・・・・」
「・・・李々?」
 李々は走りよって、ものも言わずに子供を抱きしめた。
 魔獣の巨体に押しつぶされかけた子供は、今度は李々に抱きつぶされることとなり、小さな悲鳴をあげた。
 養い児に傷一つないことを確認して、血で汚れた髪をかき上げてやりながら李々は笑った。
「・・・こんな風に真っ黒だと、出会ったときのことを思い出しちゃうわね」
「また、川に投げ込む?」
 二人は顔を見合わせた。最初に李々が笑い、桂花も小さく笑った。
「ばかね、そんなこともうしないわよ。・・・でも、体は洗いたいかもね。」

 水辺で体を洗っている養い児のおこした火に枝をくべながら、李々はしみじみと思った。
(時間って、ほんとに経つの早いわよね・・・)
 桂花と李々の共同生活が始まって、数年が経とうとしていた。
 李々が持っている、魔界の『知識』が『知恵』に変わるまでにたいした時間はかからなかった。
 李々の庇護の下、桂花はすくすくと成長した。
 ただ生き延びるためだけの生活から、護られ、学びとってゆく生活は、桂花の表情を明るくさせた。
 桂花は、一度教えたことは二度と忘れなかった。また、李々のすることをそばで見ていて、教えなくても次には同じように動いた。桂花の記憶力と集中力と器用さに内心舌を巻きながら、優秀な生徒を持って李々は幸せだった。
(とはいっても、この魔界で教えられることといったら、ほとんどサバイバル方法ばっかりだけどね・・・)
 火の起こし方や、籠の編み方、食べられる木の実の見つけ方、また、木の実の渋抜きや、貯蔵方法。
 仕掛け罠や、狩猟道具の作り方、その使い方、そして狩の仕方。獲物の捌きかたや、毛皮や筋の利用方法等々。
 すべて、生き延びるための方法だ。だが、効率よくこなす方法さえ知っていれば、費やす時間が大幅に短縮される。
 手のすいた時間に、李々は言葉や、さまざまな物語を桂花に教えた。
 李々とうまくコミュニケーションが取れるようになりたかったのか、桂花は、いつにもました熱心さで李々の言葉を習った。

 体を洗い終え、腰に布を巻きつけながら近づいてくる養い児を李々は見た。人型の魔族特有のすらりと華奢な体つきから来る『無性』の印象は出会った当初からあまり変わっていない。
 だがしかし。
(正直、桂花が男性体を選ぶとは思わなかった・・・)
 出会った当初、李々の腰のあたりまでしかなかった桂花の身長が、今や、胸下まで伸びている。背を追い越されるのはそう遠い事ではなさそうだった。
 綺麗に血糊を落とした短剣を李々に返しながら、桂花が訊ねてくる。
「李々、その剣の事だけど。刃をつぶしてあるの? 李々みたいに斬る事が出来なくて、突く事しか出来なかった」
「そりゃそうよ。だってこれは刺突用の剣だもの。」
 養い児が首を傾げた。そんな仕草に李々は思わず頭を撫でてやりたい衝動を抑えた。最近の桂花はそういった子ども扱い(李々から見ればまだまだ膝の上で抱いていてやりたい小さな子供なのだが)される事を嫌うようになっている。元々、独立心が旺盛な子供だったが、最近それがますます顕著になっている。それが李々にはなんとなく寂しい。
(・・・第一次反抗期なのかもしれないけど、男の子って、なんかつまんない・・・)
 いつだってその瞳を外の世界に向け、庇護者の下を飛び出していってしまおうとする。
(・・・あの子も、もう少し経ったらこんな風になるのかしら?)
 置いてきてしまった子供の事を李々は想った。
 自分の目で世界を見、肌で感じ、言葉を学び取ってゆくのが一番楽しい年頃だろう。
 自分の足で立ち、興味の対象を見つければ庇護者の手を無邪気に振り払って、気の向くまま、風を巻いて走っているのかもしれない。
 ・・・李々が憶えているのは、小さなあの重みだけだ・・・。
 胸元が寒くなった気がして、李々は想いを振り払った。
「桂花、これをあげるわ」
 鞘にはいった短剣を投げてよこす。
「刺突用の小さいやつだけどね。斬りつけるより、刺す方がダメージが大きいのよ。力も少なくてすむしね。・・・どう使えばいいのか、どこを刺せばいいのかは、おいおい教えるわ。まあ、急所なんて、動物も、魔族も天界人も人間も、似たり寄ったりだけどね」
 彼女の養い児は短剣をしばらく眺めていたが、どうせなら李々のように、長剣を使って闘う方法を教えてほしいと言った。
「桂花。『斬る』って言うのはね、ちゃんと刃を押しあてて強く引かないと斬れないのよ? ただ振り回せばズバズバ斬れるってものじゃないの。そうするには相当の力が要るの。今の桂花の体じゃちょっと無理ね。もっと大きくなって、体がちゃんと出来上がってきたら教えてあげる」
「・・・今から体を鍛えちゃだめ?」
「だめよ。体もまだ出来上がってないうちから鍛えたら、背が伸びなくなるもの。それでもいいって言うなら教えるけど?」
 この一言が効いた。
 桂花は体を鍛えることについて言わなくなった。

 李々は桂花の良き師匠であり、母であり、姉であった。
 桂花は彼女の優秀な弟子であり、息子であり、弟であった。
 李々と桂花の共同生活は平穏のうちに過ぎてゆく。

 その平穏の上に、災難が降りかかろうとしている事など、二人は知る由もなかった。


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