投稿(妄想)小説の部屋

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No.220 (2001/03/19 14:06) 投稿者:花稀藍生

清緋揺籃(3)

 水場のある空間に二人して戻り、子供の髪をくしけずってやりながら、李々は、なぜ、体に炭など塗っていたのか、と問うた。
 この子供は、野営の後などに残る、木を燃やした後の木炭などを、体や髪に塗って黒くしていたのだ。
「…しろい、けもの、ころされやすい」
 確かに、暗い魔界や魔風窟で、この色はよく目立つ。
「けものの、はなから、にげられる…」
 炭の脱臭・浄化作用は、昨今周知の事実である。
 魔界や魔風窟で、子供を襲うのは、魔族だけではない。獰猛な魔獣も横行するここで、大型の獣に襲われたら、子供などひとたまりもない。
(この子、すごく賢い…)
 李々は、この子供の観察眼と、実践力に驚嘆した。
 この子供は、必死で生き延びるすべを考え、今まで、命を永らえてきたのだ。
「・・・ねえ、名前はなんていうの? 私は李々っていうの」
 子供は小さく首を振った。
「名前・・・ないの?」
 子供は小さくうなづいて、おずおずと言った。
「はは、いった。・・・さいしょ、ころす、なまえ、もらう・・・」
 つまり、最初に戦って殺した相手の名前を、自分の名前にしろ、ということだった。
「・・・・・・」
 李々は天井を仰いだ。こともあろうに、母親はこんな小さな子供にとんでもない事を教え込んだ挙句、捨てたというのか。
 自立をうながすとか、そういう以前の問題だった。それとも、魔族というのは、皆そういう風に育てられているのだろうか?
 視線を子供に戻す。大きな紫色の瞳が、李々を見上げている。
 李々は膝をおとして、子供の瞳を覗き込むようにして言った。
「・・・名前というのはね、奪えるものではないの。名前というのは、その人そのものなの。その人の生きてきた歴史そのものをあらわすものなの。だから、たとえ、奪ったって思ってても、それは違うの。きみはその人にはなれないの。だって、きみは、きみにしかなれないのだから。」
 ・・・こんな小さな子供に何を言っているのだろう、と李々は思った。
 昔、とある赤子の傍で、その影に潜むようにして、護り育てながら、その子供の望むままに>行動をおこしたことは、数え切れないほどあった。だが、話し掛けたことなどなかったから、今、この場に到って、この子供にどう言ったら理解してもらえるのかすらわからなかった。
 李々にとって幸運なことに、この聡明な子供は、言葉の意味を理解した。つまり、悲しい顔を見せたのだった。
「悲しまないで。そうじゃないの、名前ってのは、奪うんじゃなくて、貰うものだって、言いたかったの」
 李々は更に、子供の瞳を覗き込んだ。
「私が、きみに名前をあげるから」
 
 とはいえ、李々は、迷っていた。
(この子は、男の子なの?女の子なの?)
 子供の性別がさっぱり分からないのだ。
(『魔族の子供は、性別も自由自在に変えられる』って記憶の中にはあるけど・・・。体を洗ったときの感じからして、この子はそのどっちでもないみたいだし)
 李々は更に記憶を探った。
(・・・ええと、『生まれてしばらくの魔族の子供は、両性の形態が未分化のままで体内にあって、一定時期まで外見も本質も、男性でもなく女性でもない。』・・・つまり、今は『無性』の状態で、この子が性別を獲得するのは、もう少し成長してからってこと?)
 李々は、記憶を探るのを止めた。知識は得てして、必要時に役に立たない事が多い。性別云々で名前を決めるのはやめたほうがよさそうだった。
 李々は、考えるようにあたりを見渡した。
 白く淡い光の満ちる、子供の聖域。
 この光は、何かに似ている、と考え、すぐに思い当たった。
(・・・そう、月光よ。夜の安息を約束してくれる月の光に似ている)
 月の光のような空間で出会った、綺麗な子供。
 ・・・月には大きな桂の木があって、香りたつ淡い金色や銀色の花が咲きこぼれているという・・・
 ふとそんな話を思い出した。
「・・・桂、花。・・・ケイカ」
 声に出してみた。音の感じも悪くない。
「桂花、がいいわ」
 李々は子供の目を覗き込んで言った。
「きみの名前は『桂花』よ」
「・・・けいか」
 子供は不思議そうに慣れない舌で発音した。
「そう、桂花」
 子供はうつむいて、慣れない舌で何度か繰り返していたが、やがて顔を上げて、こっくりと頷いた。
 大きな紫の瞳が、嬉しそうに輝いている。
 桂花は李々を見上げ、何かを言いかけ、困惑したように口をつぐんだ。
 己の言葉の少なさを、もどかしがっているようだった。
 李々は、桂花が何の言葉を伝えようとしているのかを、理解した。
 李々の記憶では、魔族の使う言語で、その言葉は抜け落ちている。 ・・・魔族には必要のない言語・・・。
「・・・『ありがとう』よ。」
 天界語なのは承知の上で李々は言った。
「こういうときの、言葉は、『ありがとう』って言うの」
「・・・ありが、と。」
 たどたどしく、桂花は言った。
「なまえ、ありがと。・・・みどりいろ、まぞく、にげる、ありがと」
 植物の魔族から助けたときのことを言っているのだ。
 桂花のかわいらしさと妙な律儀さに李々は思わず笑った。
 途端、桂花は目に見えて怯えた顔をし、李々に背を向けて逃げようとした。
「ちょっと! 三度目じゃない!」
 李々はがっきと桂花の肩を掴んで自分のほうに向きなおした。
 桂花は李々を見上げ、おそるおそるといった風に言った。
「・・・おこる、ない?」
「怒ってないわよ。でも逃げたら怒るかもね。何で笑ってるのを見て、逃げようとするの?」
 桂花は首を傾げた。
 ・・・ひょっとしたら、この子は『笑う』ということを知らないのでは・・・と、
(そういえば、不思議そうな顔はしても、笑顔は一度も見ていない。初対面の警戒心からと思っていたが・・・)
 李々が不安になった瞬間、桂花は不思議そうに言った。
「けもの、おこる。は、みせる」
 李々は天井を仰いだ。
 ・・・確かに、『笑う』という行為は、人間だけのものだ。
 獣は笑わない。『歯を見せる』というのは、『威嚇行為』なのだ。
(・・・確かに、逃げ出すわね)
 安心させるための行為のはずが、威嚇していると思われていたのだ。
 ・・・桂花は賢い。でも、と李々は思った。
(でも、何かが違う…)


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