投稿(妄想)小説の部屋

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No.211 (2001/03/13 00:48) 投稿者:皐月

桜語り「再び、春」4

「これは…?」
 柢王は、町から持ちかえった山のような荷物を二つ、桂花の前にどん、と置いた。
 離れがたいまどろみからようやく抜け出した桂花は、まだ夜着をまとっただけの姿だ。ふろしきのような布に包まれた荷物を見つめる不思議そうな瞳と、情事の跡を残す首から下が不似合いで、柢王は小さく笑った。
 小山のような包みは、持ち上げると見た目よりずっと軽い。中に入っているのは柢王から桂花への土産だった。
 その片方の包みを柢王自らほどき、取り出すというより放り出す動作で中身を床に広げる。
「これは…」
 同じ言葉に少しだけ驚きをにじませながら、桂花は柢王と広げられた品を交互に見比べた。
 それは、色とりどりの衣だった。
 桜、うぐいす、藍、真白、象牙、萌黄…。どれもこれも淡い織りで、桂花の肌や髪がよく映える色だ。
 その薄衣はもう仕立てられていて、誰が見ても一目で分かるほど上等なものだった。
 幾重に重ねても陽の透けそうな衣が広がっている床は、そこだけが春の野のような光を放っている。
「綺麗だろ?」
 桂花の身体に合わせるように真白の衣を取って広げ、柢王は満足そうに笑った。
「何処からこれを…」
 柔らかい手触りを確かめるように衣に手を這わせながら、桂花がぽつりと呟く。柢王や桂花の元に、これほどの衣を集める金子はなかったはずだ。
「桂花、今日が何の日か覚えてるか?」
 桂花の質問には答えず、柢王は優しい笑みで問い返す。
「え?」
 二月の終わり、桜は蕾。冷たい空気に日々陽差しが柔らかくなるこの時期は好きだったが、何の日かと問われても桂花にはわからなかった。
「覚えてないか? 俺とおまえが出逢った日だよ」
 あ…と形作られた唇から、しかし声は流れていかなかった。
「だからさ、一年の記念に、おまえに何か贈りたかったんだ」
 瞳は桂花に留め、柢王はなおも優しく微笑む。しかしその瞳には、いつもは見かけない弱い光がちらちらと混ざり始めていた。
「ほんとは真面目に働こうかとも思ったんだがよ。つーか働いてたんだけど金貯まんなくてさ。面倒くさくなったもんだから手配の出てた盗人の一匹二匹とっ捕まえて、上に差し出してきたんだよ」
 なんでもないことのようにさらりと言い、誰に語るでもなくぼんやりと柢王は先を続ける。
「で、褒美にこの衣を頼んだんだ」
 衣の上を、あいだを風が通りぬけ、さらさらと音が鳴った。涼やかな、冬と春の隙間のような風だった。
「それで何日も、帰って来なかったんですか?」
 黙って聞いていた桂花も、理解しがたいことを聞いてしまったような顔で不在の理由に辿り着く。
 呆れや嬉しさ、喜びや怒り、それらすべてが混ざった複雑な心境だった。盗人を捕まえるなど、柢王にしか思いつかない。
「それだけのために、吾をひと月も放っておいたんですか?」
「おい、そんな寂しいこと言うなよ。俺はおまえと出逢えて嬉しいんだ。記念日を祝いたい俺の気持ちもわかるだろ?」
「だったらそう言ってくれればいいじゃないですか」
 間髪入れずに言い返す口調は、ひと月の不在を責める気持ちと衣に織り込まれた柢王の思いへのうれしさが混ざっていた。
 柢王はふたりが出逢った日を覚えていた。その日の記念を残したくて、柢王は桂花をひとりにしてまでそれを手に入れてきた。おまえに綺麗な衣を着せたかった、そう言われてしまえばもう何も言えない。そんな理由も柢王らしくて、ごめんと謝ってきた恋人を許すのはた易かった。ひと月の不安も、それ以上の愛で埋まっていく。そうして残るのは優しい気持ちばかりだ。
 桂花の中でじわじわと喜びが広がっていく一方、柢王は弱い光をいっそう強め遠くを見つめる。
「それじゃあ物を贈る意味がないだろうが」
 そう笑って柢王は、座ったまま気持ちよさそうに背伸びをした。語る口調はことのほか静かで、いつも纏っている覇気は感じられない。凪いだ海のような、広がった喜びを掻き消すような、少しだけ桂花を不安にさせる…。
「これから毎日忙しいぜ。記念日が死ぬほどある」
「なんです? それ」
「だから記念日だよ。…おまえと俺が出逢った日、初めておまえが笑った日、初めておまえが喋った日、おまえの本当の名前を知った日、白い髪と紫微色の肌を見た日…」
 ぽつりぽつりと囁く声は弱々しく、両の瞳は愛しすぎて困っているのだと訴える。大切な思いは言葉にすると軽すぎて、消えてしまいそうで。先程から瞳に宿る弱い光は、桂花を愛するほどに感じる漠然とした不安だった。柢王の中にはいつもそれが流れている。そして時折、薄氷の上に立っているような気分になる。
「極めつけがこれだ。…おまえと俺が結ばれた日」
 へへっと笑い、薄衣のように軽く桂花の唇を掠め取る。持て余す気持ちを伝えられないもどかしさと、でも伝わってくれという願い。溢れるほどの愛しさを伝えるには、どんな言葉でも足りなくて、「愛してるぜ」の一言に託すしかなかった。でもまだ足りないんだと、不安になる。いつもいつも矛盾する思いに、愛を伝えるのはもう諦めたはずだったのに、でも…。この気持ちは桂花に届いているだろうか。あまり多くを望まない恋人だからなおさら、せめて言葉だけでも…。
 柢王が初めて見せる弱さは、桂花への大きすぎる愛故だった。
 柢王は桂花から視線を外し、桜の蕾を見つめていた。これがいつも自信たっぷりの柢王なのかと思うほど、桂花に向けられた背は頼りない。
 初めて垣間見る柢王の不安に少しだけ戸惑い、そしてそれはすぐ愛しさに変わる。柢王がいればそれでいいのだという桂花は、全てを伝えようとする恋人よりも強い。
 柢王の気持ちも、彼がなぜそんなに不安に思うのか不思議なほど、桂花には伝わっている。伝わっていないのはむしろ、あなたがいるだけでいいのだという桂花の思い。
 柢王にとって桂花が何も望まないように見えるのは、柢王が持つ不安からだった。桂花は何も望まないのではなく、他に何も望むものがないほど柢王に埋もれているのだ。それに柢王は気づいていない。
 桂花は柢王の前にまわり、丸められた背を抱きしめた。抱きしめる腕を頼りに、もう充分なのだと伝える。
「そんなにたくさん、記念日なんて言いませんよ…」
 ただ抱きしめて、さまよう柢王に早く帰ってきてと願う。吾は元気なあなたの方が好きだから、あなたがいればそれでいいから、と。
「そうか?」
 桂花の肩に頭を預け、無意識のうちに止めていた息を吐き出す。
 腕の中にいる安堵は、生きるものすべての本能だろうか。桂花を守るために抱きしめていた腕も、もしかしたら自分が安心するためのものだったのだろうか。帰りたいと思うのは、羊水の中ではなくこの腕だろうか。不意にそう思う。
「そうですよ…」
 緊張している肩や背をほぐすようにきれいな筋肉を撫でながら、桂花は小さく答える。
先の問いではなく、柢王が今感覚として捉えた全ての疑問に答えるような、声だった。


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