桜語り「再び、春」2
『俺が殺してやるよ』
突然、桂花はもう随分前に柢王に言われた言葉を思い出していた。
桂花が、自分の中の激しい感情をはっきりと確認した日。
それは、このようなやりとりからだった。
床にふたり体を横たえ、初秋の風に肌をさらしていた時、何の前触れもなく柢王が言いだした。
『なぁ桂花、俺が死んだらどうする?』
じっと天井を見つめたまま、独り言のように囁かれた静かな言葉。
鬼の命は、人の二倍とも三倍とも言われていた。このまま時を重ねれば、残されるのは桂花の方だった。
体を起こし、柢王を見下ろしながら桂花もまた、静かに言葉を紡ぐ。
『吾も死にます』
即答だった。
『もうひとりには、なりたくありません』
もう以前から、ぼんやりと考えていたことだった。この温もりがなくなった時が、自分がこの世から消える時だと…。
ひとりだと思い知らされるのは、柢王の死のみ。哀しいほどの必然は、桂花が望むもの。
ならば一緒に行けばいい。
温もりに抱かれてなおその先を考えずにいられないのは、桂花の弱さだろうか。
『俺が駄目だって言っても? 自殺したら天国で逢えないぜ?』
冗談のように口調は笑っていても、瞳には強い光が宿っていた。自分の死を思うより、桂花の行く先を案じる…。
『かまいません。吾は鬼です。どうせ天国には行けません』
柢王に出逢い、自分は鬼だという劣等意識は消えたはずだった。しかし、心が弱ると途端に押し込めた気持ちが頭をもたげてくる。暗い瞳とは対照的な笑みを口元に浮かべ、自分で自分を傷つけ、傷ついている自分にまた傷つき…。
そんな桂花の気持ちはわかっている。だからせめて、その痛々しい笑みをやわらげてあげたくて、長い髪に手を伸ばす。手に馴染むその髪は、失いたくない愛しさばかりだ。
『桂花、ひとりはいやか?』
『…ええ』
死など怖くはない。怖いのは、ひとりになること。柢王を失うこと。
桂花は死をも厭わない、これほど激しい感情の中に自分の身を置くことになるとは思いもしなかった。
『じゃあ、俺が殺してやるよ』
頭を引き寄せ桂花を胸に抱き、再び視線を天井に合わせ柢王は言った。優しい口調で愛しているよと囁くように、自らの手で、桂花の命を終わらせると。
だって桂花は寂しがりだから…。
ひとりが嫌いなおまえは、俺が死んだらすぐに俺を追ってくるだろう。 口元には凄絶なまでに美しい笑みを浮かべ、これから満開を迎える桜のように潔く…。ああ桂花は桜の鬼だったのだと、今更ながらに思い出す。
その紫微色の、頬を伝う涙は一筋。哀しみよりも、死への餞。桂花にとって死への道行きは、柢王との永遠への道行きだった。
それでも、自分で自分を消すのはあまりにも哀しすぎる。ひとりで眠りにつくのは怖くはないだろうか。
ひっそりと命を絶つ桂花など、柢王には容易に想像できる。だからこそひとりにはしたくない。
死してなおそんな桂花の姿を見なければならないのなら、いっそこの手で…。そうして俺が看取ってやる。なら寂しくないだろ、桂花…。
『そうすれば俺も地獄行きだ。地獄で逢えるぜ、桂花』
ふっと笑った柢王の胸越し、穏やかな心臓が、約束を誓っていた。
今もこの先も、ひとりになりたくないのは柢王も一緒なのだ。
生も死も越えた、氷の中で燃える炎のような恋だった。