Little anger 1
その日、高槻さんが料理を作りにマンションにやって来た。
もちろん、貴奨のためとか、まして俺のためとかじゃなくて、お客さまにお出しする前の客観的な意見をきくために、なんだけどね。
「あ、このお澄ましおいしい」
一口のんで、俺は素直に感嘆の声をもらした。
「そう? ありがとう」
高槻さんが、嬉しそうに微笑む。ちゃっかり高槻さんの隣に座った貴奨が、じろりと俺を睨んだ。
なんだよ、と思ったけど、顔には出さずに高槻さんに話かける。単純に疑問に思ったのと、貴奨に対するいやがらせが4分の1。
「これ、なんですか? お澄ましに入っているやつ」
「ああ、それはユバだよ」
「ユバ?」
「お湯な葉っぱって書くんだ」
「湯葉・・・・ですか。これ、葉っぱなんですか?」
俺がそう訊くと、貴奨が
「バカ」 と、ひとつ溜息をついた。
「湯葉はね、豆乳を熱したときにできる皮膜を、干して乾かしたものなんだよ」
高槻さんが優しく笑って説明してくれた。
豆乳っていうと・・・・あの、牛乳みたいなものだよな。
「ええと、つまり湯葉って、牛乳温めたときにできる膜の親戚みたいなものですか?」
頬がかっかしてた。多分、赤くなってると思う。これ、葉っぱじゃなかったんだ。
俯いてそう言うと、
「うん、そうだね」
高槻さんはくすくす笑った。
俺はますます俯く。顔が熱い。恥ずかしくて顔を上げられない。
ほんと、俺ってなにも知らないんだなって思った。思ったことをすぐ口にするのも、ほんと考えなしで、貴奨の言ったとおり、バカだ。
情けなくて、涙が出そうになったそのとき。
「ホエー」
謎の生き物の鳴き声みたいな声を、高槻さんが出した。
いいや、なんかの聞きまちがいだ。俺は即座にそう思った。
高槻さんの声に似た音であって、それは高槻さんの声ではないのだ。
だけど、貴奨が憮然とした声で訊いた。
「なんだ、それは」
高槻さんは、ゆったりとした顔で笑った。そして
「ばか」 と、貴奨に向かっていった。
俺が口をぱくぱくさせてあえいでいると、俺の方を見て
「慎吾くん」 と呼びかけてきた。
「は、はいっ」
思わず居住まいを正してしまう。笑顔が怖い。
「無知なことはバカなことじゃないよ。無知だと知らないことも、まだバカじゃない。無知だと知っていて、知から逃げることがバカなんだ」
もしかして・・・・・、さっきの貴奨の「バカ」、怒ってくれた、の、かな。
「ほら、ふたりとも。早く食べないと冷めてしまうよ」