Little anger 2
「あの、高槻さん」
ごはんの後、片付けをしながら、俺は高槻さんに訊ねた。
「さっき、なんて言ったんですか?」
「ああ、『ホエー』?」
食器を洗う手を止めずに、高槻さんは答える。
「はい、その『ほえー』って、どういう意味なんですか?」
今度はぴたりと手を止めた。
「わからなかった? 慎吾くんが言っていたものだけど」
わからなかった。
なにしろ高槻さんの『ホエー』が強烈で、それまでの会話の内容が、脳裏からきれいにふっとんでいってしまった。あ、でも貴奨の「バカ」は覚えている。湯葉のことも、思い出してきた。
だんだん顔が火照ってくる。ああそうか、これが無恥の知か。無知の自覚か。高槻さんの言っていたことは、ギリシャの哲学者・ソクラテスの思想なんだ。
「・・・・『ホエー』っていうのはね」
お皿を拭きながら、高槻さんは言った。
「牛乳を温めるときにできる膜のことだよ」
あ、っあ! 湯葉の例えにだしたアレか!
「『ホエー』はグリコにも入っているんだよ」
「グリコって、『1粒300M』の?」
「そう、アーモンドキャラメル。小さいころの正道やアリサがアレが好きでね、よく一緒に食べたよ。特に、運動会では必需品だったね」
運動会か。
「正道なら、活躍したでしょうね」
「しすぎて大変だった。競技ならまだしも、応援団長を務めてね」
俺はこみ上げる笑いをかみ殺して応じる。
「正道はサービス精神が旺盛ですからね」
「旺盛? 冗談じゃない、それしかないんだ」
俺と高槻さんは、ふたり同時に吹き出した。
いないとなに言われるかわかったもんじゃないですねと苦笑したら、いてもいなくても、きっと同じことを言うよと高槻さんは笑った。
「・・・・・・話を蒸し返すようですけど」
「なんだい」
「湯葉って、むかし理科で実験した、アルコールで脱色した葉っぱにそっくりだったんですよね」
しみじみ俺がそう言うと、高槻さんは盛大にむせて、手に持っていたお皿を取り落としてしまった。
どうやら、まだ笑いの残滓が残っていたらしかった。
余談だけど、割れはしなかったものの、大きな音をたてて床に転がったお皿は、静かに怒っていた貴奨を、居間から引きずりだすことに成功した。
「どうした!?」と血相変えて飛び込んできた貴奨に、こっちが面食らってしまった次第だ。
結局、貴奨に『ホエー』の正体は教えなかった。
せいぜい悩めばいいんだ、と俺は内心舌を出している。
でもまぁ、貴奨のことだから、すぐにわかるだろうけどね。