投稿(妄想)小説の部屋

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No.82 (2000/08/05 23:25) 投稿者:Shoko

華も嵐も〜弐〜

 夜になって、貴奨は隣の高槻さんと出かけてしまった。なんか会合とか言ってたけど、多分今日は帰ってこない。お弟子さんたちにも、もう寝るといって俺は自室に引き上げた。これでよっぽどのことがないかぎり誰も部屋にはやってこない。物音をたてないように静かに家を抜け出すと、裏道を約束の場所まで急いだ。
 今日は雲一つなくて月明かりで明るい。もうすぐ健さんに会える。俺はそればっかり考えて夜道を走った。
 2,3度辺りを見回して、竹林の中に足を踏み入れる。この先に健さんと二人で偶然見つけた場所がある。そこに健さんが待っていてくれる。
 竹が途切れて、丘のような場所に健さんは月明かりを浴びて立ってた。
 なんだかその姿を見たら、俺はどうしようもなくって、健さんに思いっきり抱きついてしまっていた。
「健さんっ!」
「見つかんなかったか?」
 身体を優しく抱き締められて囁かれる言葉に、俺は言葉もなく頷くしかできなかった。
 背中に回した指先から、健さんの体温がゆっくりと伝わってくる。本物の健さんだ。ずっと触れたかった本物の健さんだ。
「…逢いたかった、逢いたかったっ!」
「俺だって逢いたかったぜ」
 背中に回される腕は緩むことなく、より一層身体を抱き寄せた。
 何を話していいのか、俺は言葉が出てこなかった。本当はこれは夢で、なにか一言でも話すと夢から覚めちゃうんじゃないかってそう思っちゃって…。
「なぁ、シン…」
 先に話しだしたのは健さんだった。なに? って健さんの顔を見ると、いつもと違って真剣な表情をしてる。
「一緒に暮らそうぜ」
 突然出たその言葉に多分俺の目は目一杯開かれてただろうと思う。
「お前1人なら食わせてやれるしさ。こんなふうに隠れて逢うこともなくなる」
「…お店はどうするの?」
「しばらくは江端に任せるとして、どっかの街でなんか始めてもいいしな。…なァ、そうしようぜ」
 頭に貴奨のこととか浮かんだけど、イヤか? って顔を覗き込まれたら、自分でも無意識のうちに頷いていた。
「じゃあ、早い方がいいな。今日は兄貴いるのか?」
「出かけてる」
「そっか。…じゃ、今夜このまま行くか」
 抱いていた身体を離して健さんはそう言った。
 でも、俺にも色々と心の準備もあるし、持っていかなきゃいけないものもあるし…。
 そういうと健さんは
「荷物なんてなくっていいんだ。身体と気持ちがあれば十分だろ」
 って俺の額を軽く小突いた。でも、服とかなくてもお金はあったほうがいいからって、無理矢理家に寄ってもらって預金通帳と少しの現金を持って再び俺は家を抜け出した。その時。
「どこへ行くんだ」
 暗闇の中から声がする。自分の身体が強ばるのがわかった。見なくても分かる。貴奨だ。
 庭の松の木の影で気配を殺して立ってる。今夜は帰ってこないって思ったのに。
「貴奨…」
「向井くんのところか? …何度言えばわかる。お前は芹沢流の次期家元になる身体なんだぞ」
「俺は家元なんかにならないっ!」
「慎吾、冷静になれ。向井くんが気になるのはお前が今まで出会ったことのない人間だからだ。だから…」
「そんなことないっ! 確かに健さんみたいな人初めて逢ったけど、でもこの気持ちは嘘じゃないっ!」
「慎吾、俺はお前を嫌いでこんなことを言ってるわけじゃない。兄として、弟のお前が心配だからだ」
「…わかってるよ、痛いくらいわかってる。でも、俺は健さんじゃないとだめなんだ」
 俺は貴奨に背を向けて裏木戸から出ていこうとした。でもその腕を貴奨は掴んで離さなかった。
「貴奨っ!」
「わざわざ、苦労しにいくことなどない」
「頼むよ、貴奨。健さんが待ってるんだ。行かせてよ」
 腕が折れそうな力で俺の身体を抱きとめる。貴奨がこんなに必死にとめるなんて思ってもみなかった。
 俺が泣いても頼んでも貴奨の力は弛んだりしなかった。でもいつまでもここにいるわけにはいかない。
 俺は健さんと一緒に行くんだから。


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