恋なんて知らない 愛なんて知らない
恋なんて知らない 愛なんて知らない
雨の夜だった。
高槻が泊まりに来ていて、慎吾も貴奨も次の日は仕事も休みをとり、久しぶりにゆっくりできる予定だった。
高槻の傍で嬉しそうにはしゃいでいた慎吾は、くしゃみをしたのをきっかけに、貴奨に寝室に放り込まれた。
そして、慎吾は見てしまった。
「・・・相変わらず大切なんだな、慎吾君が」
慎吾を寝室に放り込んで戻ってきた貴奨をからかうように高槻は片眉をあげてみせた。
「当然だ。弟だからな。おまえだって過保護のくせに」
「だってかわいいだろう? 素直だし頭もいいし、性格もいい。誰かさんとは大違いだな」
「・・・誰の事を言ってる?」
「さあね」
ロックグラスを傾けて、高槻はそれはそれは艶やかに笑う。
貴奨は自分のグラスを離れたところに置き、高槻に近寄った。
「珍しいな、芹沢。何ヶ月ぶりだ?」
「さあな。たまにはいいだろう。身体だけなら俺たちは相性がいいからな」
「いいわけみたいなことを言うんだな」
可愛くない事を言う唇を、貴奨は自分のそれで塞いだ。
―――ふたりのまわりに、濃密な空気が立ちこめてゆく。
ミルクがほそく鳴いて、ドアをひっかく音に慎吾は起こされた。
「・・・なに? 外出たいの? あ、トイレかな」
どうせだからと自分も起きて、トイレに行くことにする。
トイレから出たその時に、慎吾の耳がかすかな音をとらえた。
それはたしかに聞き覚えのある声で、それを認めたとたん、慎吾は頭の中がかっと熱くなった。
(高槻さん・・・)
リビングの方から聞こえるそれは、切れ切れで、間あいだに荒い呼吸音も挟んでいて、どう見ても貴奨とそういうことをしているとしか思えなかった。
(やば・・・。ここにいちゃだめだ)
そう思うのに、足が動かない。ずっしりと、根を生やしたみたいに。
「・・・っ」
どうして。貴奨。高槻さんをいくら愛しても、あのひとは薫さんのものなのに。
胸を去来したのは、そんな想い。
いくら望んでも、身体しかつながらないのに。
こころは手に入れられないのに。
それでもあのひとを抱くの―――?
(・・・っ、何考えてんだ、俺・・・)
そのとき、ミルクが高く鳴いた。瞬間、リビングでの声が止まる。
「・・・慎吾?」
躊躇いを含んだ貴奨の声に、あわてて慎吾は部屋に駆け戻った。
布団を頭からひっかぶっても、思い出すのはさっきの声で。
長い間高槻を愛していて、彼以外は望まなかった貴奨。
報われないとわかっていても諦めない、その一途さに、いとしさをおぼえたことがある。
でも、もう高槻のことは諦めたと思ってたのに。・・・身体のつながりもなくなったんだと思ってたのに。
(・・・なんでこんなこと考えてるんだ、俺! 関係ない!)
そう、関係ないのだ。慎吾は布団に顔を押しつけて、その思いを追い払おうとした。関係ない、忘れろ、考えるな・・・
なのに。
どうして 胸が 苦しいんだろう・・・
「聞かれたな。完璧に。見られてはないだろうが・・・」
廊下を走る慎吾の足音に苦笑する高槻の上から、貴奨は無言で退いた。
「なんだ、続きしないのか?」
「悪いな、そんな気になれなくなった」
「・・・慎吾君に聞かれたのがそんなにショックか?」
「まさか」
即座に否定するけれど、説得力はなくて、高槻はからかってみたくなった。
「らしくないな。誰に聞かれようが、見られようが、いつもなら最後までするくせに。・・・慎吾君がそういう意味で大切になってきたかな?」
「高槻!」
激しい声で一喝したその胸中は複雑だった。
途中までは確かに熱くなっていた。久しぶりの身体に夢中だった。
だがそれが、聞かれていたとわかった瞬間に、冷水をあびせられたようにすっと冷えた。
そして今は、ずしりと心が重い。
「あのとき、慎吾君はかわいかったよ」
いきなりの高槻の言葉に、貴奨はかっと目をみひらいた。
「あのとき」がいつのことを指しているのかは一目瞭然で。
「感じやすい身体だった。おまえ好みかもな」
その一言に反応した男の般若のごとき形相に、高槻は自分の言い過ぎを悟った。両手を挙げて、謝罪する。
けれど、その心中では、貴奨の慎吾への想いの変化を敏感に嗅ぎ取っていた。
しあわせに、なってほしいと思いながら、高槻は貴奨の険しい横顔を見つめた。
高槻の戯言に、浮かび上がってきたこのはっきりしない気持ちはなんなのだろう。自分の知らない慎吾を知っている高槻に対して、一瞬感じたこのどす黒い思い。
高槻の、慎吾のことでのからかいに、こんなにも平常でいられない自分に、貴奨はとまどいを覚えていた。
(慎吾は弟だ。それ以上の感情はない)
そう、弟なのだ。高槻の悪質な揶揄に、腹が立っただけだ・・・
なのに。
どうして この気持ちが 消えないんだろう・・・
―――ふたつの迷う想いを抱えて、夜は更けてゆく。
恋なんて知らない 愛なんて知らない
ただ 強い想いがそこにある